第47話 構築(3)

クルクルとココアをスプーンを回しながらも、浮かばない言葉を考えていた。

すると再びアンさんが台所へ戻ってきた。


「一緒に食べようと思って…」


そう言ってお土産のお菓子を二つ、ダイニングテーブルの上に置いた。


「え?」

「私もココアを頂こうかな…」


少し柔らかい顔をしたアンさん。

そんなアンさんの顔を見た俺は情けない事に、少し泣きそうになってしまった。


「…それは、私の方だと思うのだけれど…」


そんなアンさんの言葉で俺はそれが顔に出ている事を知った。

そしてアンさんへ謝ろうとしていた事も思い出した。


「すみません…、俺…」


けれどその言葉を口にする前にアンさんが俺の言葉を遮った。


「…大丈夫です。もう気にしない事にしたので」

「え?」

「だから、気にしないで」


少しだけぶっきらぼうに言い切ったアンさん。

そんな彼女に対し、情けないままの俺は、彼女の言葉を俺はただ受け入れる事しか出来なかった。


暫くするとテーブルの上にココアが二つならんだ。

結局最後はアンさんが入れてくれた。


「さ、どうぞ」

「…頂きます…」


ふぅと少しだけ長い息を吐いて、少しだけ冷ましたココアを飲んだ。


「どう?」

「…甘いです」

「…」

「自分で入れたものより、美味しい気がします」


そう言いながら俺はマグカップのココアを再び口にした。

そして広がった甘さに口元の緊張が解かれたのだろう。

さっき口にしようとした言葉を口に出す事が。


「ごめんなさい…。俺、本当に忘れていました…。それにあの時計の事も」


ハッ息を飲んだのアンさんの真意は分からない。

俺の言葉が突然過ぎたのかの知れないし、聞きたくない言葉だったのかも知れない。

けれど出た言葉に嘘は無い。

不意に見上げた時計は、昔と同じように、タッ、タッ、タッ、タッ…と今の時間を刻んでいた。


「…ココアはどうして?」


その声に時計から目を離す。

アンさんはの顔は少し真剣な表情に見えた。


「…何となくです」

「そう…」

「…落ち着くんです」

「そっか…」


胸に染みるココアの甘さに、言葉が素直に紡がれていく。


「ここに来るようになって、少しずつ思い出しています」

「…他には?」

「え?」

「他に思い出した事はある?」

「…玄関の花…とか?」

「他は?」

「土間が思ったより狭かったとか…」

「二階は見た?」


アンさんのその言葉で、俺は階段の先にある暗闇へ踏み入れる事がまだな事に気が付いた。


「まだ…上がって無いです」

「…」

「多分、行かないと思います」


そう答えた俺の言葉にアンさんは「そっか」と一言だけつぶやいて再びココアを口にした。

そして「そう言えば」と言って話題を変えて来た。


のお母さん、覚えてますか?」

「小次郎でしたっけ…」

「そう。女の子なのにね。ねぇ、どうしてって名付けたの?」

「え?あぁ…多分、姉の持っていた本です。ジロって名前の犬が居て…」

「そうなんだ」


どうしてだろう。

アンさんがキッチンに来てから、部屋が暖かく感じる。

そう思った俺は席を立ち、石油ストーブのつまみを回し、少し火力を弱くした。

そしてやかんの蓋を外し、中身を確認し、お水を継ぎ足した。


再び席に着けば、アンさんがお土産のお菓子を渡してくれた。


「ありがとうございます…」

「叔父様、こういう焼き菓子が好きなのよね」


小さな袋を開ければ、程よくカットされたバームクーヘンが入ってあった。

ポイっと口に頬張るアンさん。


「美味し…」


笑みを零すアンさんを見ていたら、俺はまた変な顔をしていたらしい。


「そんな顔しなくても…」

「え?あぁ…すみません…」

「…また、行きます」

「え?」

「お店の方…マスターにも随分と会っていない気がします。少し忙しくて、遠のいてただけなの。落ち着いたからまたお店に通えると思う」

「そう…ですか」


突然のアンさんの申し出に俺は戸惑いを隠せなかったようだ。


「だから、そんな顔しないで」

「でも…」

「私もあの時、変な事頼んで、ごめんなさいね」


そう言ってペコリと頭を下げたアンさん。


「都合が良いようだけれど、忘れて下さい」

「え?」

「その方が良いと思います」


それは何か吹っ切れたような物の言い方だった。


あぁ、なんだ。

そっか。

やっぱり今更だった。

アンさんは俺が心配するよりも、ずっと大人だったんだ。


「そうですね…」

「はい」


そう。

だったら俺も大人な対応を。


「アンさ…いえ、杏子さん」

「…はい」

「お幸せに」

「え?」


お幸せに…


「また、一緒に店の方にも来て下さい」


そう言い切った俺は、上手く笑えていたと思う。

自分の言動をどこかで俯瞰していた俺は、上手く言えた事に安堵して「頂きます」と言って何事も無いかのようにバームクーヘンを口へ放り込んだ。


そう言えば、姉さんが招かれた結婚式の引き出物の中にバームクーヘンが入ってた日があったな。


どうでも良い話を頭の片隅に思い浮かべる位、俺は冷静だったらしい。

そのまま片付けを済ませた俺は、別れの挨拶をして勝手口から外へ出ようと小さなドアの前で靴を履いた。


「え?そこから…?」

「あぁ、桜田さんは玄関から入るように言われているんですけどね…。何となくここから来る方が気が楽なんです」

「そう…」

「お行儀が悪くてすみません。じゃ、また…」

「えぇ…また…」


また…。


その言葉に再び安堵を覚えた俺は、今度も上手く笑えていたと思う。

小さな勝手口から外に出た俺はそのまま裏口から正面へ周り、大きな門から抜け出した。


「寒っ…」


温かい台所から出て外に出れば、やがて日が落ちるのだろう。

見上げれば、どんよりと暗い曇り空が広がっていた。

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