第31話 誤りを解く(1)

アンさんの後に黙ってついていく。

やがて目的の店に着いたようで足が止まった。

促されて視線を上げると、少しレトロな喫茶店という感じの店だった。

駅前の商店街よりも少し外れた場所にあり、外も静かで落ち着いた雰囲気の店だった。

そう言えば桜田さんと一緒に行ったお店と雰囲気が似ているかも知れない。

そんな事を考えながら店に入った。


「この店は…ココアも美味しいですよ」


テーブル席に着くなり、アンさんは少し笑いながら教えてくれた。

そうした方が良いのかと思い、俺はにココアを注文した。

アンさんはコーヒーを頼んでいた。


程なくテーブルに運ばれたココアの上にはクリームが乗っていた。


「頂きます」


前とは少し違う甘いココアを飲むと、やっぱり桜田さんの顔を思い出す。

だから俺は大昔の思い出をなぞる様に、「もう大丈夫です」と告げた。

それを聞いたアンさんも気が付いたらしい。


「それはようございました」


アンさんは少し笑って返してくれた。


そうか。やっぱりアンさんは覚えていたんだ。

だけど俺はすっかり忘れていた。その事にほんの少しだけど罪悪感が生まれた。

だから言い訳じゃないけれど、俺は自分の事を語り出した。


「ずっと忘れてたんです。しかも間違って覚えていたようです…」

「…それは」


俺の言葉に戸惑いを見せるも、何かを考えるアンさん。

そして俺に問いかけた。


「最初の…一度目の頃の小さい頃の話ですか?」


アンさんの言葉で、彼女の記憶が正しいものだと知った。


「両方です。ごちゃ混ぜで。それに父の事も、違う人物と間違えてました」


父の事に触れるとアンさんの肩が揺れた。


「もしかしたら、辛かったから…でしょうか。小さい貴方はそうする方が良かったのだと思います」


アンさんは俺の記憶が欠落していた事を信じてくれるようだ。

そして謝罪の言葉を続けた。


「父が酷い事を言いました…」

「でも、それも違って覚えていて…。俺は、自分の父がそう言ったのだと…」


俺が自分の曖昧な記憶を引き出すように語るとアンさんは言葉を詰まらせながらも、否定の言葉を発した。


「っ叔父様はそのような事は言わない人です」


まるであの日の桜田さんのようだ。

俺は手にはあの日と同じようにココアの温かさがあった。


「そうみたいですね。桜田さんも同じ事を言ってましたよ」


苦笑い浮かべながら肯定の言葉を告げた。

桜田さんの名前を出すと、アンさんは少し泣きそうな顔をしていた。

そうだな。

アンさんは「違うのに…」と言っていたんだっけ。

だったら本当にアンさんとの間にも齟齬があるのかも知れないな。


そうか。

俺とアンさんも始めから捻じれていたのかも知れない…。


アンさんと俺が初めて関わった日。

アンさんが店に泊まったあの日。

その日より前にある誤解の元が、俺の忘れていた記憶や、記憶の間違いだったとしたら、それは解いた方が良い。

俺は手にしたココアのカップをテーブルの上に戻した。

カップを見ればココアは半分位の量になっていた。


「お客さ…いえ、杏子さん、少し聞いても良いですか?」


俺は静かに切り出して、アンさんの様子を伺う。

アンさんは俺の目をジッと見たまま、一度だけしっかりと頷いた。


「では…。ジロ…じろうは最近亡くなったのですか?」


俺の質問にアンさんの肩が揺れる。

そしてジロを懐かしむように視線も揺らす。


「…はい。…が亡くなったのは、私が初めてお店に泊まった…貴方にご迷惑をかけた日の2日ほど前です」


あの日のアンさんが「いって欲しくない」と願ったのは、愛犬のジロへの最期の言葉だった。


「似てる…と俺に言ったのは、ジロにですか?」

「…両方です」

「…そうでしたね、キョウちゃんは俺の髪と小次郎と、それにジロを触りながらいつもそんな事を言ってましたね」


そう。…これは桜田さんと会ってから思い出した。

アンさん…キョウちゃんは、俺の柔らかい髪の毛と、小次郎の毛が似ていると言って、小次郎の横に俺を座らせて一緒に撫でて笑っていた。

やがて子犬のジロが生まれると、ジロの毛の方が似ていると言って、ジロを撫でまわしながら笑っていた。


俺は最後にアンさんの気持ちを確認した。


「最後に…どうして俺に抱いても良いですか?と聞いたのですか?」


その問いにアンさんは答えなかった。

だから分かってしまった。

そう、子犬を抱くように、俺を…。そんな願いの底に、そういう意味が全くない訳では無かった。


だけどそれは、俺が松山にしたのと同じ。

アンさんも俺に身代わりを求めていたのだろうか…。


俺は身勝手ながらも、若干の苛立ちを覚えた。

自分にそんな資格もないのに、俺はアンさんの本性を暴きたくなった。


「結婚するんですよね」

「見合い…で。父が勝手に決めた人です」

「だから俺を都合よく扱おうとしたのですか?」

「ち、違います!」


けれど答えは、否定の即答だった。

強い言葉と真剣な眼差し。俺の問いに対する答えは、俺と同じじゃ無かった。


…そうなんだ。

アンさんは俺と違うんだ。

思い知らされた俺は、抱いた疑問が口から勝手に洩れた。


「では何故ですか?」


なぜ、俺を身代わりのように扱ったんですか?


「…初めては好きな人が良かった…それだけなんです」


アンさん言葉に俺は何も言えなくなってしまった。

絶句だ。

思いもよらい答えに、俺は戸惑いを超えて混乱した。

一体、どういう事だ?


混乱し考えが纏まらない俺をよそに、アンさんは今までで一番悲しそうな顔をして言葉を続けた。


「貴方は覚えていないかも知れませんが、3つの時にプロポーズしてくれたんですよ?…。そこからです…。そんな子供みたいな約束ですが、それが忘れられなくて」


プロポーズ?

何の話だ?

子供みたいな?

約束?


「で、でも、8つから貴女と会っていません…中学生くらいでしたよね?流石にそんな約束は…冗談だったはず…です…そんな事、あり得なく…ないですか」


俺はアンさんの気持ちを勝手に否定した。

だけどアンさんはそれを否定するように話を続けた。


「やっぱり覚えていませんよね…」


いや…流石に。

って、違う。そう言えば俺が3つの時の話って言った?

アンさんの話の時系列が分からず、考えをまとめようとしたが、話を続けるアンさんの言葉に思考が流れる。


「貴方が高校生の時、〇〇町の居酒屋の外で、女性を助けませんでしたか?」

「え?」

「歓迎会でかなりお酒を進められて…箱入り娘だから分からないだろうとか…強引に連れて行かれそうになった事があって」


今度は…一体何の話だ?


「大人の癖にえげつないって…そう言われた事しか覚えてないんですが、お店で介抱してくれた店員の男の子の顔がどことなく叔父に似ていたので…。でも確信したのはその店員さんが「マサシ」って呼ばれた事です…」


アンさんの話で、俺は少しずつ思い出した。

そう言えば、確かに高校時代は居酒屋のような場所でアルバイトをしていた。


まさかそんな偶然が?

俺はアンさんの言ったトラブルの話を覚えていなかった。

だって居酒屋でもトラブルなんて、全部似たような話だ。

それに多少の事は大人の事情と言う感じで、高校生なら見ないふりをするだろう。


でもそうか。

俺はきっとアンさんが無理やり連れ行かれる現場を見たんだ。

そして連れ去られそうな女性が自分と、小さい頃の自分と重なったんだ。

だからきっと、当時の俺は何も考えず、ただ助けたのか。


その時に助けた女性が、たまたまアンさんだったなんて…。

そんな偶然があるなんて。


「あり得ない…」


俺はアンさんの言葉を全部否定するかのような言葉を出していた。

だからこの言葉を聞いたアンさんが、どんな顔でどんな思いで聞いていたかなんて、この時の俺は全く気にも留めていなかった。

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