第35話 放っておけない人(2)

仕事が終わり、自転車の前かごにリュックを突っ込むと、俺はスマートフォンを取り出した。画面を見るとメッセージアプリに通知バッチが付いてある。


「誰だろ?」


珍しく通知を知らせる画面にそんな言葉を口にしつつ、アプリを開けるとそこにあったのは、藤田からメッセージだった。


『久しぶり!

この前イケの店で会った子店に来たっぽい

場所教えた?ありがとう!』


藤田のメッセージの最期には、何故だか金髪の男が投げキッスを飛ばすスタンプが押してある。


「あいつ、連絡も無駄にテンションが高いな…」


苦笑いをしつつも、藤田のメッセージに違和感を覚える。

松山の事を言ってるようだけれど、藤田の店の場所なんて教えただろうか?


俺はずっと遠い昔の事の様に思える、松山と過ごした日々を思い出した。

やっぱり藤田の事は何も言って無いな…。

俺は返事を打ちこんだ。


『松山?隣の席の子?

だとしたら店の事もお前の事も教えてない』


松山の強引さを思い出していたら、いつの間にかスマートフォンの画面が落ちていたらしい。

ピコンと通知音が鳴り、再びスマートフォンの画面が明るくなった。

再びメッセージアプリを開けると藤田からの返事が来ていた。


『あれ?イケじゃない?

自分で調べたのかな?

名前は言ってないけど?』


そんな藤田の返事の最期には、またしても妙なスタンプが押してある。

今回は微妙に戸惑う熊のキャラクターだ。


まさか…?

松山が名前も知らない人物の店を特定した可能性に気が付く。

いやいや。待て待て。俺と会ったのは偶然だったはず…。

本人も偶然と言っていたし、そこは信じたい。


不穏な事を考えつつも、深夜の静けさと空気の湿っぽさに気が付いた俺は、藤田にメッセージを返した。


『夜も遅いけど大丈夫か?』


すると藤田は直ぐにメッセージを返して来た。


『明日定休日。イケは?』

『俺はいつも通り』

『お疲れ〜

明日暇か?昼飯どお?』


「明日か…」


突然の誘いに驚くも悪くないその話に乗る事にした。


『行く。どこが良い?』

『気になっている店がある』


続いて届いたメッセージは、飲食店のレビューサイトのURLと画像が貼られていた。なるほど。藤田は相変わらず研究熱心なようだ。


『了解』

『12時半〇〇駅で?』

『OK』


藤田から届いた最後のメッセージの後に、またスタンプが押してあった。

今回は先ほどと同じ、金髪男の投げキッスのスタンプだった。





*****




迎えた翌日。

無事にランチを食べた俺達は、別の店でコーヒーを飲んでいた。

今日は平日で時間は14時過ぎ。

立地のせいもあるが、立ち寄ったコーヒーショップの店内は客の数も少なく、落ち着いた雰囲気だった。

だからという訳では無いと思うが、藤田が少し声を落として話しかけてきた。


「なぁ、イケ…正直にどうだった?」

「あ~、悪くなかった…けど?」

「…だよな。悪くはないなぁ…」

「お前の店の方が、断然旨いわ」

「あはは、ありがとうな」


まるで内緒話をするように、俺達はさっき食べたランチの内容を話し合った。

藤田はスマートフォンをずっと触りながら何かを打ち込んでいた。

その様子を眺めていたら、藤田が気まずそうに言った。


「あ、悪い…さっきの味の感想とかメモして置こうかと…」


俺は熱心に記録を残す藤田の事を、ただ真面目な奴だなと思って眺めていただけだ。


「いや、熱心だな…と。それより、松山がお前の店に行ったって?」

「あ、あの子な、松山さんって書いてたな」

「…あれ?聞いてないの?」

「特に?」


屈託なく笑う藤田の様子に少し呆れながらも、昨日のメッセージの内容を思い出す。

そう言えば、そんな事書いてたな…。


「少し前なんだけど」

「うん」


藤田が思い出すように話しだした。


「うちの店に松山さん?が来てたっぽくて。その時に接客してたのが母さんで。で、その子がお袋の顔を見て凄く驚いたって。だからそれで俺の知り合いかって?」

「あぁ。そういや、お前、母親似だっけ?」

「それは知らん。で、店内を見たら居たっぽくて。後で店内を見に行ったらもう帰った後だったって感じ」

「チラ見しただけか」

「だから、てっきりイケが教えたのかと…」


アイスコーヒーのグラスを持った藤田はストローを咥えた。

そして何か考えているようだ。


「別に教えては、ないかなぁ」

「どうやって調べたんだろ?偶然?」

「…かなぁ」

「だとしたら凄い偶然じゃ?」


多分松山が店に行ったのは偶然じゃ無いぞ。

だけどそれは怖くて藤田には言い出せなかった。

藤田はストローで氷をカラカラと回してグラスを眺めていた。


「あのさ、もう松山とは会ってないんだ」

「あれ?イケ口説かれてなかった?」

「ん~…振られた?のかな?」


自分でもよく分からないけど、多分見放されたと思う。


「え?付き合ってたの?」

「いや?」

「あはは、口説かれてたのに、振られたのか」


何が面白いのか、藤田は笑っていた。


「で、何で振られたんよ?」


笑いながらも核心に迫るその質問に、俺は答えられずに黙り込んだ。


「あ~。松山さんは見込みが無かったから、諦めた感じなのかな?」


多分違うと思うけど。

俺は松山の最期の言葉を藤田に言ってみた。


「松山がさ、『新しい彼氏が出来たら、店に行く。それまで会わない!』って。それが最後の会話だったかな」

「あはは、なんだそれ?イケメンのお前が振られるなんて、ザマアみろだ」


松山と同じような言葉を発した藤田に、気まずさから顔を背けた。


「あれ?」

「…」

「もしかして、殴られたとか?」

「…」

「あ~。うん。真っすぐな子なんだろう…きっと」


少し憐れむような表情を浮かべた藤田は、松山の性格をそう結論付けて、アイスコーヒーを口にした。

会話を持て余した俺も、藤田と同じようにアイスコーヒーのストローを咥えた。

そのまま苦いコーヒーを飲むと、松山が出したコーヒーの事を思い出した。


「…松山は、俺に好きな人が居たのを見抜いたんだと思う」

「え?」


そう…だよなぁ。

あの時松山が怒ったのは、松山への俺への態度だけでは無かったのかも知れない…。自分でも気づかなかった気持ちを松山は見抜いていたかも。


「松山ってさ、結構強引な所があってさ…」

「うん」

「でも、あいつ自分に素直で、嘘が無いんだ」


ご機嫌そうに笑う松山の顔は割と好きだったな。

だからそんな、あっけらかんとした空間感が楽で。


「俺らより男っぽいかも知れない」

「気は強そうだ」

「…気は強いけど、優しい良い奴だったな」

「イケは他に好きな人がいたのか。ま、気にすんな。よくある話だ」


藤田はストローを避けてグラスを掴むと、氷ばかりになったコーヒーを飲んだ。


「だったら、イケはその好きな人に向かわないと、松山さんに失礼かな。それに殴られたのって…」

「誤解のないように言っとくけど、別に殴られてない。中途半端な俺への怒りはあったかも」


俺は別に松山に殴られたわけでは無い。

だけどあの日の別れ際のキスと噛まれた衝撃は、確かに俺の中途半端な気持ちを殴って行った。


そこから俺はアンさんの事を藤田に少しずつ零し始めた。

つまり相談のような話になってしまった。

そんな俺の行き場の無い会話を、藤田は黙って聞いてくれた。


「…それに彼女は婚約者が居るんだ」

「でもさ、そのアンさんって本当はイケの事が好きって事なんだろ?」

「え?」

「だってさ、婚約者が居るのに、好きでもない男とそんな感じで昔話なんてするか?それにプロポーズだっけ?子供の頃の話だとは言え、わざわざ言う必要ないじゃん」

「…」

「なぁイケ、お前さっき教えてくれたじゃん。アンさんの見合いだっけ?それに抵抗する為に俺を利用したのかって聞いたけど、それは違うって答えたって…」


藤田の言葉に、俺はアンさんと話し合った日に抜け落ちた言葉が、蘇るような気がした。


「利用したんじゃ無かったら、なんだってんだよ」

「…」

「イケの好きなアンさんって、狡い感じの女なのか?」

「…違うと思う」


俺はそう答えると、幼い頃の最後に世話をしてくれた、学校の制服姿だったアンさんの辛くて悲しそうな顔を思い出した。

そして、あの日。俺は再び喫茶店で同じ顔を見たのだった。


『…初めては好きな人が良かった…それだけなんです』


そしてただの別れの挨拶だと思っていた『さようなら』の言葉も、同じ顔で告げていた事に気が付いた。


「好き同士なのに、付き合わないのは変だと思けどなぁ」

「…」

「今の時代に、親の都合で結婚相手が選ばれる…ってのも俺からすれば変だと思うけどな」


藤田は空になったコーヒーのグラスを傾けて、中の小さくなった氷を口の中に頬りこむと、ガリガリと噛みだした。


「細かい氷って食うと旨いよな…」

「…」

「…俺は…わかんねぇかな…」


そんな藤田の言葉に俺は顔を向けると、そこには氷で頬を膨らませた藤田が居た。


「恋愛ってよくわからん。だけど料理と似たような感じなら、自分の思うままにやれば良いと思う」

「…」

「新しいレシピなんて、出来上がりが予想と違ってたら、自分で食って研究して、また作り直せばいいだろ?食材があるんだから、試せばいいじゃん」

「俺は食材か?」

「…アンさんへの思いは、材料みたいなもんじゃん」

「材料…」


そんな突拍子もない言葉に、少しばかり俺は悩んだ。

藤田の言った言葉の意味を考える。


「お前の素材の味を引き出して、相手に食って貰え」

「だれが上手い事を言えと」

「別にそう言う意味じゃないぞ」


嚙み合ったたような、合わないような。

そんな言葉で俺達は笑い合った。


結局その日はそのままコーヒーショップで藤田と別れた。


「じゃあ、悪いな先に出るわ」

「おぅ。仕事、頑張れよ!」


まだ時間に余裕のある藤田を置いて、俺は先に店を出た。


16時前の都会は、まだうだるような暑さだった。

溶けそうなアスファルトの道を歩く俺の足取りがいつもより軽いのは、多分気のせいでは無いはずだ。


俺は被っていたキャップのつばを少しだけ上にあげた。

まだ傾かない夕方の日差しは、その熱を失わずまるで燃えているようだった。






















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