第24話 願いと憂い
父と再会した数日後。
俺は桜田さんから聞いた話と、思い出した話。それに父親に会った話を姉に告げる事にした。それに明人さんにもきちんと言っておきたい。
姉さんに話があると言って、俺は姉さん達の住む家に向かった。
玄関のチャイムを押すと今日は姉さんが出迎えてくれた。
どうやらソファーの主の姉さんは、今日は歩いているらしい。
廊下を後ろからついていくと、姉さんのお腹が随分と膨れたのが分かる。
ヨタヨタとゆっくり歩く姉さんを見ていると、らしくない感じがして少し面白い。
どうやら小柄な姉さんのお腹の赤ちゃんは、姉さんに似ず、明人さんに似て大きくなったようだ。
「もう暑いし、苦しいし!」
姉さんが文句を言いながらゆっくりとソファーの主としておさまると、お腹を撫でつつ、グラスに入った麦茶をグイっと一気に飲み干した。
「夏が来る前に出て来るなんていい子じゃ無いか」
「あ、それもそうね!」
無駄に元気そうな姉さんが面白くて、俺はプッとふき出して笑ってしまった。
そんな姉さんをよそに、俺は母さんへ挨拶をしようと和室に入った。
仏壇と反対側の日当たりの良さそうな場所に、ベビーベッドが置いてある。
赤ちゃんを迎える準備は既に出来ているようだ。
「あれ?あの荷物なに?どしたの?」
ベビーベッドの傍に、大きな旅行鞄が置いてある。
旅行に行くようなタイミングでは無いし、里帰りにしても帰る実家は無い。
「あはは、あれね、入院用の着替えやら荷物よ」
ソファーの主の姉さんの声がリビングから届く。
「あ、そうか…なるほど先に準備しておくものなんだ…」
「いつ生まれるか分からないからね」
ソファーの主の方を見れば、隣で明人さんが良い笑顔そして大きな姉さんのお腹を撫でていた。
そんな光景がいつかの俺だったら良いのにな…なんて思いながら、仏壇に手を合わせ、年を取らない母さんの写真に挨拶をした。
俺は母さんに父親と会った事を報告した。
母さんには悪いけど、まだもう少しだけ向こうで一人で待っていて欲しい…そんなわがままな願いは通じるだろうか?
けれど、自分がそんなお願い事をする日が来るとは思わなかった。
だからかな。写真の母さんはいつもより呆れた顔をしているように見えた。
まぁ、それは俺の妄想だけどね…。
わがままなのかな。願望なのかな。
俺は良く分からないお願い事と、自分のよく分からない気持ちを母さんに報告して、リビングに戻って行った。
そして、姉さんと明人さんに話を切り出した。
「俺の事で聞いて欲しい事があるんだ…」
二人は黙って頷いてくれた。
******
一連の話を終えると、姉さんは少し涙ぐんでいた。
「桜田さんは姉さんに、言葉が足らず申し訳なかった…とも言ってたかな」
「…でも当時の私がマサシだけを引き取る話を聞いていたとして、素直にそうですかと、納得はしなかったと思うわ」
「かも知れないね」
「誰もそんな話になっている事を私に教えてくれなかった。…でもそれはそれで、悪気は無かったのかもね」
「うん。きっと良かれと思ったと思う。俺達はまだ子供だったし。けど、結果的に言葉が足りず、誤解が生まれたのかも知れない」
明人さんは前と同じ様に、姉さんの肩を抱いて一緒にソファーに座っている。
「もっと周りに頼れば良かったのかなぁ…」
「姉さん。前にも言ったけど、姉さんはそれで良かったんだよ。それがあるから明人さんがここに居るんだよ」
「そうね…」
「そうだよ」
一通り俺の話がすむと、明人さんが尋ねて来た。
「ショウ君を引き取った時の誤解が解けて、思い出した話も考えると、お父さんとの再会は、良い方向にいったんだよね?」
明人さんの質問に俺は頷いた。
「ええ。あまり先は長くない…といった感じでしたが、また桜田さん経由で会ってもいいかな…なんて。それ位には思えるようになりました」
言葉に出して俺は自分の気持ちに気が付いた。それは先ほど仏壇の前で感じた、自分のよく分からない気持ちがの正体が、今、分かったのだ。
そうか。俺はまた父親に会いたいのか…。
「お父さんの事は、お互いにまだ時間がかかるんじゃないかな。離れている時間が長かったしね。お父さんもショウ君も…って、もうショウ君って呼ばなくて大丈夫じゃない?」
「あはは。もうそのままで良いかなって。ニックネームみたいなもんだし。それに自分の名前を隠すのも、別に無くても良かったのかなぁって、今ならそう思います」
俺がショウと呼んで欲しいと言ったのは、例の連れ去られた事を発端としている。俺はよく分からない人の前で自分の名前を出すのが怖かったのだ。
「父親と同じ文字が名前に入っているが嫌で、妙にこだわっていた部分が有ったのも事実です。名前から身元がバレて、また父親に連れ去られる心配と言うか、そう言うのも、もう無くなったし。名前のこだわりも、もう無くなったので」
「そっか。ショウ君がスッキリしたのなら、結果的に良かったよ」
「はい」
明人さんは朗らかな顔でそう言ってくれた。
だからこれで全てが丸く収まったと思った。
だけどそれは次の姉の言葉で、そうじゃ無い事に気が付いた。
「後は、マサシの記憶のお嬢様が今も心配しているかどうか…って話が気になるくらいね。桜田さんは何か言ってなかったの?」
「っ…」
そうか。アンさんだ。
「…どうしたの?」
俺の戸惑いを感じた姉さんは、少し怪訝そうな顔で尋ねて来た。
アンさんの事は、姉さんはもとより、明人さんに言うべきか?
姉さんの質問に答えあぐねていると、明人さんが心配そうに尋ねてきた。
「ショウ君?」
「まさか、知ってる人なの?」
姉さんが女性の勘で気付いたらしい。
姉さんの言葉に明人さんは困惑の表情を見せた。
うん。別に言っても構わないか。俺は観念して答えを口にした。
「店の常連さんだった」
「はぇ?」
姉さんが素っ頓狂な声をあげる。
「明人さん、アンさんです…常連さんの…」
「え、まさか」
「そのまさかです。…それと本名は、杏子と書いてキョウコ。大川杏子さんです」
「って、まさか知ってて僕の店に来たの⁉」
「いえ、それは本当に偶然かと。だって俺が店に行く前から、既に常連さんでしたよね?」
「あっ…そうか…そうだったね…」
俺の言葉にホッと胸をなでおろす明人さん。
「でももしかしたら、アンさんは俺の事を知っていたかも知れません」
「そうか…その可能性は、あるか…」
「はい」
アンさんが俺の従姉に当たる事は、特に大きな問題ではない。
けれど明人さんと俺の間で、妙に気まずい雰囲気になるのは、最近のアンさんの様子が少し変なせいだろう。
「その常連さんは、マサシの事情を知っている人って事?」
姉さんが不思議そうな顔で尋ねる。
「…多分?」
「だったら、何も問題ないわね」
「多分」
俺の曖昧な返事を気にせず、姉さんは一人で納得していた。
多分、大丈夫…。
だってアンさんの好きな人は『じろう』で、今は婚約者も居るのだから。
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