第44話 繋がり(5)
「私の母は心を病んでいてね…」
そう切り出した父さんの話を俺は黙って聞いていた。
「退行…と言うのかな?少女のような言動の母を変な目で見ずに、ひとりの人間として接してくれたのが智子だった。
もちろん仕事だったと言うのもあるけれど、それでも五十過ぎの女性がまるで十代の少女のような振る舞いをするんだ、普通は違和感を覚えるものだよ」
「そうなんだ」
「母がそうなった原因はよく分からないけれど、やっぱり祖父や父に原因が有ったと思う…。
それにまた同じことをするところだったかも知れない…」
「…?また同じ?」
遠くを見るような、悲し気な眼差しに俺は戸惑いを覚えた。
「いや、それは関係ないか…。だからと言うか…」
「?」
「まぁ、智子が母親だった…と言うのも有ったんだと思うけど、その…母性と言うか…。そう言った部分を表に持っている智子に興味が向いたと言うか…」
「え?」
「まぁ、マザコンってやつに近い感覚だったかも知れないな」
それは父さんにとって、言いにくい言葉だったらしい。父さんは、少し苦い笑いのようなものを浮かべながら話を続けた。
「だから…まぁ…全く相手にされて無かったというか…」
「てか、それ目的だとちょっと怖いんだけど」
そう言って俺は少し訝しげな目で見ていたと思う。
そんな俺の顔を見た父さんは、やっぱり苦い笑いで頷いていた。
「最初はそう言った…母性への憧れに近いものだった事は認めるよ。
それに母がそんなだったから、大川の家は居心地の良くない家だった。
けれど、そんな我が家の風通しを良くしてくれたのは、間違いなく智子の母親としての明るさや朗らかさだよ」
「…」
「だからと言うのも変だけれど、智子に惹かれるのは必然だった気がする」
父さんは当時の事を思い出しているのだろう。
懐かしむように病室の天井を見上げていた。
「そうやって智子を見ている内に、彼女を支えてあげたいって思うようになってね。
…まぁ、おこがましいんだけど、私なら支えてやれるって…思った訳だ。
これは若さの勢いだったと思う…。
だから智子の事情も考えず、自分の気持ちを押しつけた。だから本当にうまく行かなかった。
意中の相手に全く相手にされていないってのは、結構ショックなもんだよ」
父さんは「結構モテた方なんだけど」なんて言いながら、母さんに無下にされた話を面白そうに続けていた。
「だけど、こんな私のどこが良くて、受け入れてくれたのかは、最後まで教えてはくれなかった気がする」
「そう…なんだ…」
「それでも、直ぐに聞きにいけるから良いんだけどね」
そう言って父さんは窓の外へ顔を向けた。
独り言のように小さく吐いた言葉は、きっと俺への言葉では無い。
(そんな事、言わなくても…)
そんな言葉を言い出しそうになって、俺は唇をギュッと結んだ。
そして父さんの小さな背中にかける言葉を、俺は必死になって探した。
けれど、否定の言葉は何も浮かばなかった。
背中が小さくなったのは、俺が大人になったからじゃない。
「また会いに来るからさ」
「えぇ?」
俺が声に出せたのは、父さんへの慰めでは無く俺の希望だった。
零れた俺の本音に父さんは驚いたらしい。
振り向いて俺の顔を見た父さんは、少し困った顔を浮かべているようにも見えた。
「んだよ、その顔。また直ぐに来るし」
「…」
「退院しても会うつもりなんだけど?」
そう言った俺は少しぶっきらぼうな物言いだったし、まるで拗ねているようだった。それはきっと拒絶の言葉を聞きたくない、俺の反抗心が表に出ているようだった。
「あぁ、そうだな」
そう言って笑った父さんの顔は昔と同じ顔をしていた。
「いつでも良いぞ」
「そんなの当たり前だろ」
言い切った俺の言葉に父さんは変わらずに穏やかな笑みを浮かべていた。
*****
その日はそれ以上母さんの話にはならなかった。
父さんは暫く話を続けると「眠い」と言って目を閉じて横になったからだ。
そんな一日が終わり、また同じ毎日が繰り返す中、秋の気配が感じられそうな日。
父さんは退院する運びになったと桜田さんから連絡が来た。
そう、父さんがあの家に戻る事になったのだ。
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