第29話 変化(2)

「は?」


急に抱き着いた松山に驚き、俺は彼女の肩を押して自分から引きはがした。


「なに、急に」

「やっぱりなぁ」

「だから、なに?」

「いやぁ、薄々気付いてたんだけど、脈無しじゃない?」


脈無し…。

その言葉で松山の確認したい事が、何となく分かってしまった。


「う~ん…やっぱり超タイプなんだけど…」

「…」

「カッコいいし、好きなんだけど、放っておいても大丈夫というか」

「だから何?」

「それに、前に親友の結婚式に行った日に、お店で『新郎の友人がしつこい』と言ったのに、スルーしてたよね?」


それでも松山が、何を何と言いたいのか分からない俺は、逆に問いかけた。


「結局、何が言いたいの?」


すると松山はそれに答えず、再び真剣な顔で俺に質問を重ねて来た。


「池田って、私の事要る?気になる?」

「えっ?」

「要らなくない?それに、気になってないよね?」


俺は松山の質問と、いつものご機嫌な松山とは違う表情に、何も答えられずにいた。

そんな沈黙を破ったのは、スマートフォンの着信音だった。

俺は急いでスマートフォンを手に取って確認をすると、通話の相手は明人さんだった。


「はい、俺です、ショウです!」

「あ~、ショウ君!ヨリちゃんが分娩室に入っちゃた~、どうしよう」

「え、もう産まれるんですか?」

「俺、邪魔みたいで、追い出されちゃった~」


明人さん言葉で、店で聞いた常連さん達の会話を思い出す。


「直ぐ行きます!」

「ごめんね、でも気を付けてね~」

「はい、何か要るならメッセージ下さい!」


俺は通話を切って帰る準備をする事にした。

松山へ伝えようと目を向けると、目を丸くして驚いて固まっていた。


「えっと、俺、帰らないと」

「ど、どしたの?産まれるって?ま、まさか、池田の子供?」


松山の盛大な勘違いに、俺は呆れて大きなため息を吐いた。


「あのなぁ…マスターからだよ」

「あはは、そっか、そっか!あんた魔法使いの弟子だったわ」


松山は藤田との話を思い出したらしく、急に笑い出した。

そんな松山に俺はいたたまれない気持ちになって帰ると告げた。

すると松山は自分も病院に行きたいと言い出した。


「あ、明日ってもう今日だけど、明日の昼とかだったら、私も行きたい。マスターの赤ちゃん見てみたい!」

「え、う~んどうだろ。まだ産まれてないし、行って良いかも聞いてみるから、返事はまた明日でも良いか?」

「じゃぁ、行くなら土曜が良いかも」

「わかった、聞いてみる」

「ありがとう~、ちゃんと連れて行ってね!」


結局松山の言う確認は出来ず、妙な約束をして俺は松山の家を出た。

深夜の住宅を自転車で抜け、そこから駅前に向かい、タクシーを拾って産院に向かった。


産院に着いたのは良いけれど、入り口は閉まっている。

夜間の入り口なんてあるのだろうか?

そんな事を考えていたら、建物の脇から明人さんが出て来た。


「ショ、ショウ君!」


慌てるマスターの様子は、まるで遭難者が救助隊に会ったかのような、既に力が尽きた感じでフラフラとしていた。


「まさか、もう産まれたんですか?」

「そうなの~男の子だった」


俺に抱き着いた明人さんは、おいおいと泣き出した。

こんなに泣くなんて子供みたいだな…なんて思っていたら、サユさんの言った事を思い出した。

そう言えば、「二人分の子供の面倒を見る」って言ってたっけ。


「明人さんおめでとうございます」


お祝いの言葉を伝えて、ゆっくりと明人さんを俺から引きはがした。

明人さんはクシャクシャにさせながらも、「ありがとう」と言って笑っていた。


そこから少しばかり様子の落ち着いた明人さんに連れられて、姉さんの滞在する病室に向かった。


「赤ちゃんと同室になるのは、もう少し先みたいなの」


ベッドの上の姉さんは、気だるそうに教えてくれた。

少しウトウトしているのは疲れているんだろう。


「姉さん、おめでとう。それとお疲れ様」

「ありがと~。いや~、マサシ、ほんと大変だったわ」


姉さんは、ゆっくりと起き上がろうとしたから、俺と明人さんで全力で止めた。


「まだ、ゆっくりした方が良いよ」

「あ~うん、そうね」

「今日はもう帰るよ」

「そうなの?」

「うん、また明日とか明後日とかに来るから」

「そっか、うん、そうね」


とりあえず母子の無事を確認出来たし良かった。


「明人さんもお疲れ様。お店は当分一人でも大丈夫なので」

「あ~でも明日は出るよ。ヨリちゃんに怒られると嫌だし」

「あはは、それもそうですね」


俺は来る途中で寄ったコンビニの買い物袋を明人さんに渡した。

中身は明人さん用に見繕ったパンとか飲み物が入ってる。


「小腹好いてるかと思って」

「ショウ君ありがとう」


俺は姉さんに声をかけると、手を振って病室から外にでた。

そして暗い廊下を抜けて、非情口の灯りを頼りにしながら時間外出入口に戻り、産院の外に出る。


そろそろ夜が開けるのだろうか。

産院の外で見上げた空は、少し白み始めていた。

まだ眠っている街並みは、初夏の湿り気も無く、清々しい朝の始まりを奏でようとしていた。

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