第10話 偶然(2)

突然のキスに呆然としたままの俺は、松山に引っ張られるまま駅の外に出た。

冬の夕方は少し冷え始めて、ほてった頬を抜ける冷たい風が心地よかった。


「じゃ~ね~」


どうやら松山はさっきの事を有耶無耶にしたまま、一人で帰ろうとしている。

何て勝手な奴だ。俺は咄嗟に松山の腕をつかんで、電車の中で起こした松山の行動の真意を聞こうとした。


「あのさ、さっきのアレ…」

「バツで~す」

「は?」


良い顔でキッパリと言い切る松山。その答えの意味が分からない俺をよそに、松山はまた勝手に俺の腕を引っ張って歩き始めた。


「それじゃ、続けて家まで送ってもらいます~」

「は?ちょ…」


どうやら松山の機嫌が良いらしく、俺の腕をつかんだまま、楽しそうにくっついている。


「はぁ…」


俺は大きなため息を吐いた。強引な彼女の事だ。結局このままこのペースで行くつもりだ。俺は抵抗する事をやめた。

結局あのキスも本当に冗談の罰ゲームみたいなものなんだろう…。


駅を出て向かったのは、俺の家とは反対側の道。

こっちは来た事が無いな、と思いながら見慣れない住宅街を二人で歩いて行く。

ここまで来ると駅の喧騒も静かで、人気も少なくなっていた。


「本気なんだけどなぁ」

「え?」


不意に切り出した松山の言葉。本気とは何だ?


「池田って高校の時から、いつも本気に取らないけど、こっちは結構本気だったりするんだけど」

「え?何?何の話?」

「最初は一目ぼれ。池田の顔、凄いタイプなのよ」


松山はそう言って、俺の顔を両手で挟んで、朝と同じようにぐいっと顔の向きを自分の方へ変えた。そして俺の目をジッと見つめる。


「う~ん。やっぱ好きな顔だ。池田は自分の顔が嫌いなの?」


松山の言葉に眉がピクリと揺れ、眉間にしわが寄る。

人間は自分が思っている事を指摘されると、咄嗟に言葉が出ないらしい。


「私は池田の顔、好きだけどな。特にこの少し鋭い感じのする目とか」

「…」

「池田の事が好きだから、顔だけじゃなくて、多分全部好きになる」


松山の言葉と真っすぐに俺を見る目。そんな松山の好意を俺は受け止める事が出来なかった。

だから顔を背けようとしたけれど、松山の手が俺の頬を押さえているので顔を逸らせない。だから俺は目を伏せて、その視線をかわした。

けれど松山は言葉を続けた。


「だってこんな偶然ってある?高校卒業して、8年。確かに今までずっと好きという訳じゃ無かったけど」


たまたま再会する事が出来て。

しかもお互いの時間が空いていて。

それにお互いに恋人も居なくて。


「偶然、高校時代に好きだった人に会って、そしてやっぱり、またカッコいいなぁって思って。だったら昔みたいにまた好きにるの、もう必然じゃない?」


偶然からの必然だと、松山は自分の気持ちを真っすぐにぶつけて来た。


「……」


逸らした目を動かし、好意を伝える松山に戻す。

松山はいつものご機嫌な顔では無く、少しだけ悲痛そうな顔をしていた。

そうか、本気…ってそういう事か。

松山の気持ちが腑に落ちると、俺は、正直「もう良いんじゃないか」と思った。


だって松山の言う通りこんな偶然って無いと思う。

それに別に恋人になるような人がいる訳でもない。

正直に言えばアンさんの事は気になっている。…けれどそれはもう終わっている。

いや何も始まってもいないだ。

だからもう、良いんじゃないかって、そんな風に思ってしまった。


「そっか。そうだな、偶然って、松山の言う通りだな」

「…そうだよ」

「だけど…ごめん。やっぱりちょっと分かんないや…」


だけどやっぱり松山と付き合うとかは想像が出来なかった。

そんな俺の言葉を聞いた松山は、意外にもあっけらかんとして少し笑ってもいた。

俺の頬を挟んでいた松山の手が離れる。


「あ~また振られたか!」

「また…って」

「だって、そういう所も好きだから仕方がない。細かいよね池田は」


再び上機嫌の笑った顔に戻る。

切り替えの早さに、さすがは松山だと感心する。


「でもさ、こんな偶然を私が手放すと思う?」

「へ?」

「連絡先、交換ね」

「はい?」

「え?交換しないと、池田を落とせる機会が出来ないじゃん。さ、スマホ出して」

「…えっと?」

「じゃ、家に連れ込むぞ」


これはきっと冗談じゃない。俺は松山の強引さを思い出し、黙ってスマホを差し出した。


「残念~即答か!」

「…お前、怖いよ…」


そんな俺の言葉にもめげず、ニマニマと笑いながら、スマートフォンのメッセージアプリを開いて連絡先を交換する。


「よし、覚悟しとけ?」


多分、松山は俺に振られたはずなんだけど、何だろう。暖簾に腕押しと言うか、あまり効いてないみたい。凄く元気そうだ。


「はぁ、お前を見てると、こっちの方が元気になるな」


俺は呆れながら、またため息を吐いた。


「え~告って振られて、それはキツいんだけど?」

「あ、ごめん」

「ブッブー、バツです、抱きしめて下さい~」

「はっ?」


松山は俺の返事も聞かずに、正面から抱き着いてきた。

戸惑う俺は、相変わらず、成すがままにされている。


「あのなぁ…」

「良いじゃん!減るもんじゃないし、これくらい聞いてもらっても」


俺は松山を引きはがそうとしたけれど、松山は俺のダウンジャケットのジッパーをさげて、中に入り込んで、腕を腰に回して来た。そしてぎゅっと抱き着いて「今だけ」と小さな声でつぶやいた。


「わかった…」


俺はそんな松山に抵抗するのは諦めて、彼女の気が済むまでそのままで居る事にした。

きっとこう言う時の正解は、俺の手を彼女の背中に回して抱きしめるが正解なんだろう。

けれどその正解にたどり着けない俺は、手持ち無沙汰になった手をダウンジャケットのポケットの中へ逃がす。


街灯の灯りがポツポツと並ぶ住宅街。

人気のない、静かな夜の始まり。

吐く息は少し白く、松山の温もりと、頬を抜ける冷たい風。


俺は黙ってそれを受け入れ、星が瞬き始める夜の空を眺めていた。

だから俺は全く気が付かなかった。


松山の家の近くにアンさんも住んでいて、俺達の影が一つになっているのを彼女が見ていた事に…。





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