第13話 松山の追撃(1)

とある平日の夜。いつものようにお店で働いていると、ドアが開いて若い女性客が一人で入って来た。

松山だ。


「来ちゃった」

「「いらっしゃいませ」」

「こんばんは~」


俺とマスターが声をかけると彼女はマスターの近くに座った。

俺は冷静を装ったが、密かに松山の強引さを思い出して恐れていた。


「いかがなさいますか?」

「甘酸っぱいのが飲みたいですね」


マスターから出されたお酒を松山が楽しめば、いつの間にかお店に馴染んだようで、彼女は見るからにくつろぎ始めた。

そして常連さんとも仲良くなって、話の輪の中に入っていた。


「コミュ力お化けめ…」


松山に聞こえないように呟いて呆れていたら、不意に松山が俺の方を向いたので不本意にも目が合ってしまった。

嫌な予感がする。俺はゆっくりと視線を外して逃げ出す準備を始めた。

けれど松山は逃がさないとばかりに話しかけて来た。


「今日は一段とカッコいい~ね」


松山の言葉に、俺は再び呆れながら視線を戻した。


「ソウデスカ?オホメイタダキ、アリガトウゴザイマス」


そんな俺と松山との会話のやり取りに、常連さんは面白いものを見たとばかりに入って来た。


「あれ?君、ショウの知り合いなの?」

「ショウ君?ですか?高校の同級生です」

「へ~、こんな綺麗な子がねぇ、流石はイケメンだな!」


俺は会話を聞き流して抜け出そうとした。

なのであえて返事はしないで、黙って食器を手に取り、仕事を進めようとしていた。

いつもならそれで済むのだけれど、今日に限ってはそれは許してくれないらしい。


常連さんは何かと松山に絡んでは、高校時代はどうだったとか、俺はどうだったのかだなんて、色々な事を聞き出しは、それをつまみに盛り上がっていた。


「へ~。やっぱ、ショウ君はモテんだねぇ」

「だってカッコいいですもん。クールな所も人気でしたね~」

「…そんな話聞いたことないですね」

「またまた~」


にべもなく否定するも、俺の言葉は全く取り上げてくれない。

しかも俺の架空のモテ話で、松山までも勝手に盛りあがっている。

いやいや、流石にこれは、いたたまれない。

俺は「今すぐ恨み節を言いたいです」というような目で松山を睨みつける事にした。

けれどそんな俺の気持ちに気が付かない松山は、独り言のように自分の思い出を語り出した。


「でもバイトばっかりで、遊んでる感じは無かったですよ。真面目で…細かく気配りの出来る…すごく優しい人だったんです…」


まるで昔を懐かしむような感じで呟く松山。

松山は半分になったグラスビールに、その時の光景を重ねているようで、ぼんやりとグラスをゆらしながら眺めていた。


松山の周りでは時間がゆっくりと、穏やかに流れていた。

そんな目の前の光景に、俺は声を出す事が出来ず、ただうっとりとした表情を浮かべてグラスを見つめる松山に見とれていたらしい。

そっか。俺、あの時も必死で周りが良く見えていなかったけれど、松山にとってはいい思い出なんだな…。


そう思うと、俺も松山とのやり取りを思い出しそうになった。

けれど、それを思い出す前に松山がその空気を消し去ってしまった。


「って口説いてるんですけど~、全くダメみたいでぇ」

「あはは、ショウ君は隅に置けないねぇ」

「この、イケメンは~!」


空気が一変してまるで何事も無かったかのように、松山と常連さんは盛り上がった。

そのギャップに先ほどとは違う、いたたまれない気持ちを抱いた俺は、それに蓋をするかのようにして、再び仕事に戻る事にした。




*****




やがて常連さんが帰って、閉店時刻が迫って来た。


「ラストオーダーの時間ですが、いかがですか?」


良い感じに酔いの回った松山に声をかけると、彼女はニマっとした笑みを浮かべた。


「今日は、胸もお腹もいっぱいです」

「あのなぁ…」

「あはは、そんな嫌そうな顔しなくても」


呆れた俺の本音の言葉も、酔いのまわった松山からすれば笑いの種らしい。


やがて閉店の時刻になると、マスターが店の奥に引っ込んだ。

そして相変わらず、適当な着替えを済ませて店内に戻ってきた。


「いつもごめんね、お疲れ様」

「はい、お疲れ様です」


どうやら、松山が俺の友人だと気が付いたので後は俺に任せるようだ。


「マスター、ごちそうさまです。おやすみなさい!」


まるで後は任せてくださいと言わんばかりの松山は、いつも通りのご機嫌な顔でマスターを見送っていた。

そんな松山に俺は再び呆れながら声をかけた。


「あのなぁ…」

「えっと、帰りは送ってもらいます~」

「そういう強引な所、ほんと、変わらねぇ…」

「だって口説く時は全力だもん」


俺の盛大なため息を気にする風でも無く、松山は良い飲みっぷりでお水を飲んでいだ。


「はぁ、まぁいいや。片付けが終わるまでそこで待っとけ」

「じゃ、手伝おっか?」

「それはダメ」

「あはは、やっぱり細かい所は変わらない」


嬉しそうに微笑む松山は、手をひらひらと振って、俺に店の片付けを促した。


待っとけと言われた通り、松山は大人しく店の中で待っていた。

そう。あの日のアンさんと同じソファーの上に座り、スマートフォンを片手に、時間をつぶしていた。

やがて店の片付けが終わったので、俺は松山に声をかけて二人で店を出る事にした。


自転車を押しながら松山の横に並ぶ。

それは先日アンさんと歩いた道を今夜は松山となぞる様に帰るという事だ。

あの日の事を思い返せば、あの時は色々な感情が渦巻くような気持ちだったのかも知れない。

凪いだ気持ちのはずだったのに、松山と並んで歩く今夜の方が、何故だかとても静かなように思えたのだ。


「家でお茶でも飲んでってよ」


だからだろうか。松山の誘いの言葉に抵抗もせず、素直に頷いて彼女の家に上がる事にしたのは。

そんな俺の行動を松山は意外に思ったらしい。ご機嫌とは違う顔で部屋の中へ招き入れ、座って待つように伝えると、何も言わずにキッチンへ消えて行った。


やがてコーヒーの良い香りを漂わせて、松山が戻ってきた。


「どうぞ~」

「ありがとう」


キッチンから戻ってきた松山の顔はいつも通りに戻っていた。

そんな松山に安堵した俺は、コーヒーを受け取るとゆっくりと口に含んだ。

鼻から抜ける程よい酸味に深夜の眠気が薄れていく。


ふとマグカップに目を向けると、コーヒーの表面に映る自分の影が揺れていた。

そんな揺れる影を見ていたら、何となく言葉にしたくて、俺は松山に自分の気持ちを伝えた。


「何故だか分からないけど、ずっとコーヒーが飲みたかったような気がする…」

「ふ~ん」

「うん。温かくて旨い」

「そっか」

「うん…」


香ばしい香りを楽しんでいると、松山が隣に座って来た。


「隣、座っていい?」

「うん」


もう座ってるじゃん…なんて、いつもならそんな突っ込みを入れると思うけれど、今日はそんなやり取りが面倒で、俺は黙ってコーヒーを飲み進めた。

すぐ傍にある松山の温かさと、ゆっくりと喉を通るコーヒーの温かさが、妙に心地が良く、俺は素直にコーヒーの味を楽しんだ。















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