第14話 松山の追撃(2)

「あぁそっか、こっちは背もたれが無かった…」


俺がコーヒーを飲んでいると、隣に座る松山は、そう言いながら俺にもたれかかって来た。相変わらず、松山は厚かましい。


「お前がもたれたいヤツは向こうのベッドだ」


そう言いながら、顎先で松山を向うへ行くように促した。


「ん~じゃあ、一緒に向うに行く?」

「行かない」

「う~ん、即答か!」


笑えない冗談に呆れた俺は、コーヒーを飲みながら松屋の目も見ずに答えた。

けれど松山は素っ気ない俺の返事にも堪えず、相変わらず笑っていた。

そんな松山だからだろうか?

俺は自分の気持ちを松山に吐露し始めた。


「あのさ…俺、店のお客さんで、ちょっと気になっている人がいたんだ」

「え?あ~、そうなんだ」


少しだけトーンを落とした松山の声。

だけど俺はそれを気にしないで話を続けた。


「別に恋とか、そう言う所までの感じじゃなくて、少し気になってたって人で」

「うん」

「それで、ある日、その人が店で酔いつぶれちゃって」

「…」

「なんか男に振られたっぽい」

「ふ~ん…」

「で、俺がそいつに似てるらしく、抱いてもいいか?って言い出して」


松山は肩を揺らすと、ピリッとした空気を出した。

そして俺から離れると、俺の顔を見て、怒りを込めながら同情してくれた。


「は?何それ」

「だよな」


俺は松山の優しさが嬉しくて、苦笑いになったけれど、松山の同情に笑って応える事が出来た。


「それでさ。多分だけどキレたんだ。だからそのまま店のソファに座って好きにしろって言った。そしたら、その人…アンさんって言うんだけど、俺の顔に抱き着いてさ、謝りながら泣きだしたんだ。で、その時、泣きたいのはこっちだよって。そう思ったかな…」


俺はあの日の出来事を簡潔に話し終えると、マグカップに手を伸ばし、コーヒーを一口飲んだ。

そして再び口を開いた。


「それで、結局その日はそれで気が済んだらしくそれで終わり。ただ成り行きだったんだけど、その人の家まで送る事になって。そしたらさ、その人、俺が松山と一緒にいた所を見たとか言い出して、お前の事を彼女ですかって聞いてきたんだ」


松山は俺の顔を見ながら、静かに話しを聞いてくれた。

俺が再びコーヒーに口を付けると、同じタイミングで松山もマグカップを取り寄せた。


「どういう意味で聞いてきたんだろ、その人…」


呟いた言葉をかき消すように、松山はコーヒーを一口飲んだ。

松山の喉を通るコーヒーが、コクリと音を立てた。

俺はマグカップをゆらゆらと揺らしながら、言葉を選んでいた。

うん。なんて言って良いかよくわからないな。


「だからって訳じゃないんだけど、まだ彼女じゃないですねって言った」

「……まだ」

「うん。まだ。だけど、いずれとも言ったかな」


俺の言葉に松山は息を飲んだ。

だけど俺は薄情で、もしかしたらアンさんより酷い奴かも知れない。


「だけど…多分、まだなんだ…」


それは、今でも、いずれでも無い。

まだ友人ですって、そんな宣言のようなものだった。

松山の好意は分かっているのに、俺はまだやっぱり、松山との事はよく分からなかった。

そんな俺の言葉に松山は急に立ち上がった。


「立って?」

「?」

「良いから」


俺の手からマグカップを取り上げ、俺の手を引いて立ちあがらせた。

何故だか松山の表情は真剣で、俺の酷い言葉を聞いたのにも関わらず、妙に落ち着いていた。


「椅子が無いから、ここでゴメン」


そう言って松山は俺をベッドの端に座らせた。

俺は松山の言う通りに従った。

何をどうするつもりだろう。俺は横に立ったままの松山の顔を見上げた。


すると松山はアンさんがしたのと同じように、片膝をベッドに乗せると、俺の顔に抱き着いてゆっくりと髪を撫でだした。

それはまるであの日をなぞる様な行動だった。

俺の柔らかい髪を手ですくようにして頭を撫でられた。


あぁ、これ、慰めてるんだ…。

あの日はアンさんの要望で、今は俺への慰め。


そしてあの日と違うのは、俺の頬に松山の胸のふくらみが当たっていて、そこは柔らかく、温かな心音が心地よく響いていた。


何だか子供みたいだな。


けれど俺は居心地のよさに、そのまま甘える事にした。

普通はこんな状況になったら、もっと邪な劣情のようなものが湧くのかも知れない。けれど俺の心は少しばかり空っぽで、ただ凪のように静か穏やかだった。

松山って温かいな。

そんな事を考えていたら、松山の小さな声が聞こえて来た。


「忘れられそう?」

「うん…ありがとう」


俺は素直にお礼を伝えた。


忘れる…か。


松山の言葉が頭を過れば、松山の温かさがもう少しだけ欲しくなった。

だから俺は松山の腕から抜け出して、そっと腕を引き寄せて、近づいた彼女の唇に自分の唇をそっと寄せた。

突然のキスに松山は驚いていたようだけど、少しだけ目を丸くする松山の顔に自分の凪いだ心が動いた気がしたから、俺はそのまま松山を抱き込んでベッドに倒れた。

けれど俺は、やっぱり酷い男だった。


「まだだから、無理なんだけど、このまま眠っていい?」


多分じゃなくて、俺は慰めてくれた松山を傷つけたと思う。

ただ自分がそうしたくて、松山の温もりが欲しかった。

それは男女の二人でのじゃなくて、俺が、一人で温まるような、そんな勝手なやつ。


「…って、このまま何もせず」

「うん、このまま…少し…寝かせて…」


松山の温かさを感じていたら、急に眠気に襲われた。

俺はこのまま松山の胸の中に自分の顔をうずめると、心地のよい心音でゆっくりと闇の中へ落ちて行った。


「…ほんとに寝た」


そんな松山の声をどこか遠くに聞きながら、俺は眠りについた。


その日俺が見た夢は、子供の頃の小さな俺が、茶色のフワフワとした毛の大きな犬に抱き着いて、誰かと一緒に笑っている…そんな幼い子供の、まるで夢のような話の夢だった。

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