第37話 ドミノ(1)

次の停車駅を告げる車掌の声と、ガタゴトと揺れて進む電車。

そして満員の車内。

そんないつもの帰り道で、許しがたい光景の一コマを目にした松山は、心の中で舌打ちをした。


(あいつ…)


それはイヤホンから流れるお気に入りの曲が、何となく今の気分に合わなかった…そんな些細な事で、曲を止めイヤホンを耳から外したのが事の始まりだった。


「…やめて下さい…」


松山の耳に届いたのは少女の小さな声だった。

聞こえた言葉の異様さに、ハッと息を飲んだ松山は、視線を声の元へと静かに向けた。

するとそこには、閉じられたドアに押し付けられた制服姿の少女が見えた。

その少女の背中には、背の高い男がまるで少女を隠すように立っていた。


松山は少女の様子を見ようと、少し顔を傾けた。男の手元を視線で追うと、スカートの裾から手を入れているのが見えた。

だから松山は心の中で舌打ちをしたのだ。


揺れる車内にもかかわらず、松山は慣れた手つきでスマートフォンのメモアプリを起動し、文字を打ちこんだ。

多少揺れようが、人に押されて狭かろうが、松山にすれば慣れたものだ。


(さて…)


文字を打ち込んで、改めて確認する。

男の手は相変わらず制服のスカートの中のようだ。

それを確認すると、自分の隣でつり革を握り、これまた器用に本を読む少し年配が要る事に気が付いた。

自分よりかなり年上のボウタイブラウス姿の女性。姿勢の良い姿は妙に存在感がある。

松山は意を決して、その女性にスマートフォンの画面を見せた。


『進行方向 左側扉前

女子高生 痴漢

助けます 協力できますか?』


突然現れたそのスマートフォンに、ボウタイブラウス姿の女性は眉間にしわを寄せた。

けれど松山の視線を見て、少し顎をあげて、嫌そうにしながらも画面の文字を読んだ。読み終えた彼女は、持っていた本を閉じ、顔を動かしながら痴漢の現場を確認する。


ボウタイブラウス姿の女性も痴漢の現場を認めたのだろう。

小声で「今?」と尋ねた。

松山は頷きながら「はい、次の駅で降ります」と、まるで知り合いに告げるように答えた。


そんな松山の声に近くに人が察したのだろう。

何となくの力の抜けた隙間が出来たように感じた。

人の動きは無いけれど、これなら少しは移動が出来そうだ。


「次は~〇〇、〇〇です…」


ちょうどタイミングよく電車が速度を落とし始めた。

間もなく駅に着く…そんなタイミングで松山は人をかき分け、スーツ姿の男の腕をつかんだ。


「あんた、痴漢でしょ!見てたから!」


松山は強い声で周囲に告げた。


「は?」

「見てた。降りて」

「は?違うし、えん罪だ!」


狭い車内で腕を振りほどこうと藻掻くスーツ姿の男に、松山の後ろからボウタイブラウス姿の女性が覗き込むようにして声をかけた。


「私も見てましたの」

「はぁ?」

「とりあえず、降りてくださならない?」

「っ!」


妙に迫力のある物言いに、スーツ姿の男性が一瞬たじろぐ。

するとちょうど停車駅についた電車のドアが開いたので、松山は強引に男の腕を引っ張り電車を降りた。

そして松山の後に続くように、ボウタイブラウス姿の女性は被害者の制服姿の少女を連れて降りた。


物々しい光景に野次馬達が視線を松山達に向ける。


「そこの貴方、お手すきなら、手伝って下さらない?」


ボウタイブラウス姿の女性は、視線を向ける一人の男性に声をかけた。

そんな有無も言わさない頼み方に巻き込まれた若い男は、するとボウタイブラウス姿の女性の言うがままに従い、痴漢男を連れて一緒に駅員室へついてきてくれた。



*****




「…色々とすみません。ありがとうございました…」


弱弱しい声でお礼を伝える被害者の少女。


「気にしなくて良いのよ、私達、大人だからね」


ボウタイブラウス姿の女性は真っ先に少女に声をかけた。


「それに、最初に気付いたのは、こちらのお嬢さんよ」


そう言って松山へ顔を向けて、松山の背を押す。

被害者の少女は松山へ顔を向け、お礼を述べた。


「あ、ありがとうございました」

「あ~うん…。大変だったね…」


「はい」と答えた少女はそのまま俯いてしまったので、松山は自分の後方に居る、手伝ってくれた男性にお礼を伝えた。


「ご協力ありがとうございました」

「あ、いえ…」


何とも言えない妙な空気感。

それを変えたのはボウタイブラウス姿の女性だった。


「ふふ、若い方にもしっかりされた方が居て安心だわ」


楽しそうに声を挟むその様子に場が和むと、お互いに声を出しやすくなり、自然と解散する流れになった。

やがてこのまま帰宅すると言う少女と男性は、再び電車の乗るために二人で一緒にホーム階へと向かって行った。


松山はそんな二人の無事を見届けると自分も帰るべく、ボウタイブラウス姿の女性に最後のお礼と、別れの挨拶をしようと振り向いた。


「今からある女性を慰める為に食事に行くのだけれと、貴女もご一緒にいかが?」

「え?」


礼を告げて別れるつもりだったのに、何故だか食事に誘われる松山。


「良ければご馳走するわ」

「え?いや、そんな??あれ?」

「あら?ご都合が?」

「え?いや、別に何もないですけど…」

「だったら、私にも協力して下さらない?」


にっこりと微笑む、そんなボウタイブラウス姿の女性の有無も言わさない物言いに、松山は素直に従う事にした。


「はい。でも、ご馳走だなんて悪いです。割り勘で…」

「う~ん?気分よく甘えるのも、女性の嗜みなのよねぇ」

「…。ではお言葉に甘えて…」

「素直な女性は微笑ましいわ」


何故こんなことになった?

松山は混乱しながらも、自分の背をゆっくりと押したボウタイブラウス姿の女性に誘われるまま、一緒にホーム階へと戻って行った。




*****




電車を乗り換えて、案内された店に着くと、あらかじめ席を取っておいたのだろう。

ボウタイブラウス姿の女性が店員に声をかけると、スムーズに4人がけのテーブル席へ案内された。


「加賀様、3名様で伺っておりますが、ご到着をお待ちになられますか?」

「先に二人で楽しんでおくわ」

「かしこまりました」


店員がテーブルから去ると松山は女性に声をかけた。


「加賀さん…とお呼びしても?」

「えぇ、そっか、まだ名乗って無かったわね」

「松山です」

「ふふ、加賀です」


お互いに名前を認めると、松山は少しだけ抱いていた緊張感が抜けた。

軽く乾杯をすませると、松山は注文したアルコールを手にしつつ、豆の乗ったブルスケッタを楽しんだ。

加賀の方ものんびりと松山との会話を楽しみながら、連れの到着を待っていた。


「前菜も美味しいですし、落ち着いた感じもあって、いいお店ですね」

「そうね。この年になると居心地の良さも気になるわ」

「そう言えば、私の知ってるお店も、こんな…いえ、もっと気軽ですけど、居心地のいい店なんですよ」

「あら?そうなの?」

「えぇ。でも、その店の店員さんに振られちゃって。だから今はそのお店は行けてないですけど」

「あらまぁ、それは穏やかじゃないわね」

「でも良いんです。最初から見込みが無かったみたいで。振られたと言うか、振ったというか…。諦めたと言った方が良いかも知れません」

「…そうなのね」


松山は加賀の妙に心地の良いテンポに気が緩んでしまった。

そして思わず、自分の失恋話をしてしまった事を詫びた。


「あはは、初対面なのに変な事言ってすみません」

「ふふふ、私は構わないわ。だったら、慰める人が一人増えるのね」

「そう言えば今日は、『ある女性を慰める会』でしたっけ?」

「そうね。ま、その子から聞いてちょうだいな」


松山がアルコールを手に取り、「そうですね」と答えると背後に人の気配がした。

振り向くと自分より少し年上の品の良さそうな女性が、店員に連れられて席にやって聞きた。


「加賀さん、遅くなり申し訳ございません」

「良いのよ、こちらのお嬢さんと居たから」

「えぇ、そうみたいですね」


加賀に声をかけ、そのまま松山に顔を向けた彼女は、何故だかハッと息を飲んだ。

けれど何事も無かったかのような表情に戻り、まるでごまかすように微笑んだ。


一方の松山もごまかし微笑む女性の、妙に見覚えのある顔に戸惑いながらも、自分の名を告げた。


「…松山です、突然お邪魔してすみません」

「大川杏子です。こちらこそお待たせしてすみません…」


遅れて来た大川杏子と言う女性は、そのまま少しだけ気まずそうに松山の隣に座る。

二人の妙な気配を察した加賀は声をかける。


「あら?お知り合いなのかしら?」


そんな無邪気な言葉に二人は揃って少し肩を揺らした。

隠せていない動揺を見た加賀はまた無邪気に笑った。


「…まぁいいわ。ゆっくり聞かせて頂こうかしら?」


けれど、有無も言わさない加賀の雰囲気に、松山と大川は何となくいたたまれない気持ちが沸き起こり、気まずさからお互いに顔を見合わせてしまった。


自分より年上の女性が困った顔で自分を見ている…。

松山はそんな微妙な雰囲気と顔を見合わせたタイミングの良さから、一気に抱いていた緊張感が抜けた。


「あはは、じゃ~今日は大川さんにも慰めてもらおっと!」

「え?」


一気にご機嫌モードに入る松山。

そんな松山のテンションに加賀も乗っかる。


「今日は、貴女たち二人を慰める会なのよ」


加賀はにっこりと微笑んで二人に声をかけた。


「と言う事で、よろしくね、大川さん」

「あ、はい、こちらこそ?」

「うふふ、楽しくなりそうね!」


こうして偶然が偶然を呼んで出会ってしまった松山と大川。


まさか同じ男性に振られたなど知る由もしない加賀は、これから始まる若い女性の失恋話にどう関わろうかと、今から頼むアルコールと慰めの言葉のチョイスに考えを巡らせていた。


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