第18話 姉さんの記憶(2)
明人さん手が姉さんの肩に回ると、姉さんは安心しきったみたい。
徐々に俺の生い立ちの話…つまり俺達姉弟の過去の出来事を話し出した。
「マサシと私の父親が違う…と言うのは、前に話した事があると思うんだけど」
「確か、君のお父さんは、6つの時に病で亡くなったという話だよね」
「うん。それで母と二人になって、生きて行くために母が選んだのが、住み込みの家政婦の仕事だったの。まぁ今ではかなり珍しい仕事よね」
家政婦の仕事が未経験の母さんが、雇われた経緯は、姉さんが居たかららしい。
母娘の二人家族…それが雇い主の家に都合が良かったそうだ。
「つまり未婚女性が家に居て、男女の間違いがあってはいけない…って感じだったと思うの」
続けて姉さんが説明してくれた話によると、雇い主の家には介助の必要な女性が居たそうだ。
母さんが言うには、介助の話を大事にしたくなくて、若くて体力があり、出来れば24時間対応できる女性を探していたとかで、母さんを雇ったとか。
「多分だけど、素性の良く分からない母なら、お金さえ出せば都合よく使えるとか、そう言うのも有ったと思う。そう言った意味では、幼い私が居たのも都合が良かったんじゃないかな」
「なるほど…ね」
明人さんは苦いものを嚙み潰したような顔をして聞いていた。
「介助の必要な女性と言うのは、その家の奥さんで、まだ若いのに軽い認知症を患っていたの」
聞けば認知症というよりは、精神退行のような感じだったらしい。
50代の女性なのに、まるで10代の少女のような雰囲気だったと姉さんは言った。
「少し年上のお姉さん…みたいな雰囲気だったわね。見た目は母さんよりも年上に見えるんだけどね」
姉さんの記憶によれば、彼女は自分が雇い主の家に嫁いで来た事や、自分の夫の事、既に結婚適齢期の息子がいる事も忘れているようだったとか。
「その家には、旦那様と呼ばれている人と、その世話役の男性と、旦那様の息子さんが住んでいたわね」
姉さんは当時の事を思い出しながら、ゆっくりと話を進める。
「母さん無くなる前に、その頃の話をした事があったのだけど…」
その介助の必要な女性は、自分の夫…つまり旦那様や、自分が産んだ息子たちを怖がる素振りを見せていたらしい。
「たから、あの人は、あの家に嫁ぎたく無かったのかもねって。まぁ、これが本当かどうかは、ご本人が亡くなった以上、話をしても仕方のない事だけどね」
やがてその女性が雇い主の家から出る事になったそうだ。
「母さんは、そこで3年ほど勤めていたかな…?だけどその人が旦那様の家から出る事になったから、私達もその家から出る事になったの」
母さんと姉さんにすれば、突然仕事を家を失うようなものだ。
けれど、その時の引っ越しの費用や準備は、その家の息子さんが請け負ってくれたらしい。
「ところがね。引っ越してから1年も経たないうちにマサシが生まれてね…」
そう。母さんは俺を一人で産んだのだ。
「母は何も教えてくれなかったけど、世話をしたその息子さんがマサシの父親なの。だから私達親子の引っ越しを手伝ってくれたんだ思う。彼が義理を立てたのか、情だったのかはわからないけど…」
姉さんは俺の顔をみて、何とも言えない顔をしていた。
そんな姉さんの視線をかわすように、俺はテーブルの上のグラスを手に取るとお茶をクイっと一気に飲んだ。
「マサシが覚えているかどうかは分からないけど、マサシが小さい時は、その人がうちを尋ねて、時々だけど、将司を遊びに連れて行った事もあるわ」
母さんがそれを許していたのかどうかは分からない。
それも母さんも義理を立てたのか、情だったのか。
姉さんは二人の事は分からないと言った。
話を聞いて自分の記憶をたどっても、そんな小さな頃の記憶は出てこなかった。
ただ俺が覚えているのは、姉さんと俺が引きはがされた、その日の出来事と、再び連れ戻された日の事だけ。
「そんな感じで親子3人で暮らす家に、マサシの父親が時々尋ねて来る…みたいな生活が続いたわ」
けれど、それも突然に終わりを告げる。
「ところがマサシが小学校に入ってすぐに、母が突然、交通事故で亡くなってしまったの。私はまだ17とかそんな子供みたいな年齢だったから、母の葬儀の段取りは、マサシの父親の家の人が力を貸してくれて」
だけど、それだけじゃなかった。
「それでね、葬儀の後に、その家の人がマサシを連れ帰ってしまったの」
「……」
姉さんの言葉に明人さんの肩が揺れる。
そして明人さんは、姉さんの肩をぐいっと自分の方へ引き寄せてた。
「ここからの話は、マサシも知らないよね」
姉さんは話を続けた。
「葬儀の時もそうだったんだけど、マサシの父親の家の人ってのは、桜田という男性の方でね、その人が一人になった私の元へ来てくれて、当面の生活費やら、後片付けを手伝ってくれたの」
「そうだったんだ」
「うん。だからマサシの事…これ以上、私がマサシに関わらないようにって、そういう事だと思って、素直に受け取ったの。それに私がマサシを育てるより、向こうで育ててもらった方が良いんだって、何度も自分に言い聞かせて…」
「うん…わかるよ。俺も逆だったらそう考えると思う…」
明人さんは、涙ぐむ姉さんの肩を何度もさすって慰めていた。
明人さんの横顔は、同情からだろう。とても悲しそうだった。
「その後、私とマサシが会えたのは1年を過ぎた頃だったわ。突然私の前にマサシの父親と思われる人とそっくりな男性が現れて、マサシを返すと言って…」
こここまで言うと姉さんはボロボロと涙をこぼし始めた。
「酷い顔をしてた。マサシの顔が…もう、1年前の、可愛い頃のマサシじゃ無くなってしまって…なんで、あんな事に…」
「…姉さん…」
「ヨリちゃん…」
明人さんは、泣き出した姉さんを抱いて、頭を撫でて慰めた。
「ごめんなさい。…やっぱり私がマサシを育たてれば良かった…って」
明人さんの胸の中で嗚咽をこらえて泣いている姉さん。
俺は姉さんの胸の痛みがいたたまれなくて、姉さん傍に寄って声をかけた。
「姉さん…信じてもらえないかもだけど、本当に何も覚えてないんだ。その頃の事は記憶にない。だから姉さんが気にする事は何もないよ」
俺は姉さんの背中に手をあてて、宥めるように何度もさすった。
「マサシ…ごめんねぇ」
「うん、姉さんは悪くない。それに、姉さんはその時からずっと俺の為に頑張ってきたでしょ?」
「…うぅ…マサシ…」
「そうやって姉さんが頑張ってきたから、俺は俺で居れたし、明人さんと出会えて、新しい家族が出来たんだよ」
「…ショウ君」
明人さんの胸の中から姉さんが顔を上げて俺の方を見つめる。
俺は微笑んだ。
「姉さん、今まで本当にありがとう」
「…うぅ…マサシ…、アキトさん…」
姉さんは、俺と明人さんの二人を抱き込んで再び泣き出した。
そんな姉さんの様子に明人さんも盛大に泣き出したから、俺はちょっぴり苦笑いを浮かべる事になったのだけれど。
けれど二人の抱く、俺への愛情のようなものが感じられて、それがとても柔らかくて幸せな気分だった。
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