第58話 最終話
俺が思いを告げた日、結局いつも通り父さんの食事を作り、店に向かう事にした。
アン…杏子さんへの告白も予定外の事。
ゆっくり話をしたいのはヤマヤマだけど、仕方が無い。
店について挨拶をするなり、マスターは俺の頭に手をポンと乗せ、「良かったね」と言って来た。
「えっ?」
「緩んでるし、浮かれてる」
「は?えっ⁉︎」
マスターは晴臣さんの婚約の解消の話を受けて、俺の思いが成就したのだと察したらしい。
「ショウ君は、意外と分かりやすいな。今ならヨリちゃんのいう事が分かるよ」
そう言ってマスターは、俺の髪の毛をくしゃりと撫でまわした。
ニマニマと嬉しそうな顔で俺の頭を撫でまわしながらも、「クリスマスは仕事です」と、くぎを刺すのもマスターらしい。
「分かってますよ。当日はプレゼントを渡す位です」
「ほ~っ。ショウクンがヨリちゃん以外の女性にプレゼントだなんて、兄さん、嬉しいなぁ」
「っつ、わかりましたから!店の準備、進めますよ」
どうやら、マスターは俺以上に浮かれているらしい。
そんなマスターを宥めながら俺は開店の準備を進めた。
テーブル席を用意していると、ガラス窓に映る自分の顔が目に入る。
なるほど。
いつもより、頬が緩んでいるかも知れない。
サヨさんには速攻バレそうだな。
そんな事を考えながら窓に映る自分の向こう、既に暗くなった外の景色を眺める。
今日も寒いだろうな。
足早に歩く人々を見送りながら、そんな事をぼんやりと考えていた。
*****
そしてやって来たクリスマス。
イブである前日から新規のお客さんの入りも多く、混雑の凄まじさに、さすがはクリスマスだと痛感する二日間だ。
それに今年は日程の良さも相まって、イブの日はいつもより店じまいが遅くなったし、クリスマスの今夜もこのまま閉店まで長くなりそうな勢いだ。
昨日はいつも以上の賑わいと忙しさで、家に戻ると直ぐに寝てしまった。
しかも今日は家を出るギリギリまで眠り込んでいた。
いわゆる二度寝…と言うやつだ。
少し情けない話になるけれど、連日父さんの家に行っている事が、俺の中では体力的に負担になっていたらしい。
目が覚めてすぐに父さんへ寝坊した事を伝えると、事前に用意していたストックがあるので暫く来れなくても大丈夫だと気を使われた。
そして杏子さんへ会えなくなった事の詫びを伝えると、気にしないで良いと言ってくれた上に、父さんの家に寄ってみると気を使われた。
「大丈夫だって言ったのになぁ…」
結局、二人からすれば、俺は俺のままで、面倒を見る側なのかも知れない。
「はぁ…」
情けなさにため息が零れるも、まぁ良いかとも思う。
「だって、アンさんは、あの杏ちゃんだしな」
やがて店が開くと、年配の常連のお客さんがクリスマスだからだろう、色々な差し入れを持って来た。賑やかながらも、温かさを感じるのは、この店の良い所。
テーブル席の奥の窓を見れば、チラチラと白いものが見えた。
「雪になったねぇ」
マスターののんびりとした声に俺は頷いて答える。
昨日から使っている真新しいニット帽が今夜も役に立ちそうだ。
*****
「せっかくのクリスマスなのに、叔父の世話をしに来るなんて、杏子は気の毒な子だなぁ」
「変な事言わないで下さい」
台所で鍋の様子を伺いながら、「ふふふ」と笑う杏子の柔らかい笑みに、叔父である啓司は微笑ましいものを見る目で返す。
「こんな事言うのは変だけど」
「何ですか?」
「将司と杏子が一緒になるなら、長生きしたいなって」
温かい眼差しで杏子を見て笑う啓司。
「是非、そうしてください」
「うん、そうだね」
「そうですよ」
杏子はIHのコンロを弱火にすると、啓司の座るテーブルに付いた。
ストーブの熱で温かな台所。
二人はお茶を飲みながら、その可笑しさに、お互いの顔を見て笑う。
「で、クリスマスのプレゼントは貰ったの?」
「あ、はい、昨日に」
「もしかして、それ?」
啓司が指さしたのは、杏子の胸元の上で輝くダイヤのネックレスだ。
「そう…ですね」
「あいつ、意味わかってんのか?」
「ふふ、どうですかね」
「分かってないだろうなぁ」
呆れながらも啓司は嬉しそうに笑う。
けれど、そんな微笑ましさを閉じると、続けたのは謝罪の言葉だった。
「色々、すまなかったな」
「急になんですか?」
「前島君との結婚の話しだよ。結局、杏子の気持ちも確かめずに進めてしまったなぁって」
最近まで杏子の結婚について誰も触れなかった。
けれど前島との話が急に立ちあがり、そのままとんとん拍子に事が運んだので、杏子自身もどこか妙だと感じていた。
だけど前島が嫌そうな素振りも見せず、杏子に対し、誠実に向いていたのも事実である。
「兄さんを責めないでやってくれ」
「どういう事です?」
「会社の後継の事で、大川の本家から横やりがあったのも事実だしな」
「あ…っ」
それは杏子にも思い当たる節があった。
「まだお前が中学の時、本家の洋一がやたら近づいて来ただろう?」
「…はい」
「素性が分かっているとは言え、一回り以上も年下の、ましてや学生の杏子にちょっかいをかけるだなんて、気持ち悪いだろ?」
その言葉に杏子は、自分が感じていた気持ちの悪さが本当の出来事だったと知った。
「やたら泊まっていけだとか、一緒にでかけようだとか、流石に見過ごせなくてな。
それで出来るだけ本家から杏子を遠ざけたくて。
前島君…晴臣は性根もいいやつなんだ。苦労もしてるし、努力家だし、人望もある。ま、顔も良いしな」
だから杏子との見合いを進めて、このまま上手く行けば、将来は会社を継いでもらう話もあったんだと、啓司は笑い話のように告げた。
「もしかして、寮のある学校へ転校させたのも、留学を進めたのも、就職後に家を出るように言ったのも…そのせいですか?」
「うん、まぁ…。それは自分で聞いて欲しいかな。でもね、そうだね。
兄さんは、杏子の事を『我がままで親のいう事をきかない娘』だって、本家の集まりで話していたのは事実だね」
「知りませんでした」
「…杏子も嘘は苦手みたいだしな」
「そう言う所は親子そっくりだ」だと続けて、啓司は微笑んだ。
杏子は自分が女で娘だから、興味が薄いのだと思っていた。
それは大川の本家の人間が、父親に誰が家を継ぐのか、大川の家に男子が居ないのは困ると、何度も言われているのを見て来たからだ。
自分は女だから、両親の期待に沿えないから、少し距離があるのは仕方が無い。
そんな風に割り切っていた。
だけど、それも自分の勝手な推測に過ぎなかった。
杏子は両親の隠れた愛情を思うと、胸が熱くなった。
そして感謝の気持ちが湧くと、父の将司への態度にも、何かの意味が有るのでは無いかと気になった。
「もしかして、父が将司君に強く当たっていたのにも理由が?」
「…それはもっと複雑かなぁ」
「複雑?」
「うん、兄さんだって、本当は息子に後を継がせたかったと思うし」
「そうですね」
「う~ん…。いたんだよ、杏子が生まれる前。死産だったけど」
「えっ?」
突然知らされた自分の兄の存在に杏子は驚いて息を飲んだ。
「だから杏子が身ごもった時、兄さんは義姉さんを直ぐに実家に帰したし、暫く実家で休ませたんだ。杏子も向こうの家で暮らした記憶があるんじゃないか?」
啓司の言葉で杏子は幼い日の記憶を思い出す。
「…そう言えば」
幼い時に父親との縁が薄くなったのも、大きくなってからは、母親との距離があったのも、全部杏子の為だった。
「兄さんの立場で考えると、自分の息子を亡くした。その後に自分達に似た雰囲気を持つ将司が現れた。兄さんの本当の気持ちは分からないけれど、疎ましいとも愛らしいとも、両方の気持ちが少しも無かったは言えないと思う」
「どう接していいか、分からなかった…とか?」
「うん、多分ね。兄さんは俺に要領が良いって、いつも言ってただろ?不器用なんだよ、あの人」
将司を大川の子供として、会社の後継者として育てるのが良いのか?
そもそも、それを望んでいるのか、望んでいないのか。
「今になって思えば、兄さんは色々と分からなくて、複雑な思いのまま将司にぶつけたのかも知れない。当時の俺もそんな兄さんの気持ちが分からず、ただ静観するのが良いと思ってたしな。だけど…」
「だけど?」
「もう先が長くないと知ってから、将司と再会しただろ?それで、当時の兄さんの気持ちが少しだけ分かったような気がする」
「?」
「何となく…だよ」
「複雑…の意味ですか?」
「そうだね」
「今でも複雑だと思うよ」と呟きながら、啓司は台所の壁掛け時計に目を向ける。
時計は今も昔も変わらないまま、鈍くて重い秒針の音を刻んでいる。
「でもさ、将司の言う通りだ。家族なんだから、もっと冷静に話しあえば良かったんだ」
「…そう…ですね」
「うん…」
クリスマスの賑やかさの向こう。
二人は今までの事を振り返り、これからの事を考えていた。
*****
年が明けて直ぐに、晴臣さんが店に来てくれた。
俺の方から「杏子さん」との仲を報告すると、嬉しそうな顔で「良かったな」と言ってくれた。
それから暫くして「杏ちゃん」と呼ぶのが自然になる頃、彼女は俺のプロポーズを受けてくれた。
そして挙げた小さな式。
モーニングコート姿のあの人が少し泣いているように見えたのは内緒の話だ。
そしてその年の夏の終わり。
父さんは俺達の式を見届けたとばかりに、母さんの所へあっさりと旅立った。
仲良くやってるのかな。
そんな事を思いながら、二人が一緒に入っているお墓を掃除するのも、恒例の行事となっている。
そして桜田さん。
最期まで元気だった桜田さんは、これぞ大往生という感じで旅立った。
葬儀の席で、桜田さんの奥さんが「お疲れ様でした」と言ったのが印象的だった。
それと親友の藤田とあいつの結婚式は笑えたな。
結婚式は新婦や新婦の親、友人らが泣くのが普通かと思っていたから、一番泣いたのが新郎の藤田というのが面白かった。
まぁ、俺も吊られて泣いてしまったけれど、それも今では良い思い出だ。
それから結局、俺達は子供に恵まれなかった。
血が近い…と言うのもあるのかも知れない。
落ち込んだ杏ちゃんを励ましたのはお義母さんだ。
そう言えば、子供と別れた経験があるんだっけ。
そして俺の慰めになったのは、意外にもお義父さんの言った、独り事のような「これで良いんだ」という言葉だった。
その言葉を聞いた時、俺は一瞬驚いたけれど、何故だか言葉の冷たさの向こうに、お義父さんの優しさを感じる事が出来た。
「そうかも知れません」
少し息を吐くように答えた俺の言葉を聞いたお義父さんが、俺の肩をポンポンと優しく撫でてくれた。
俺はその温かさを忘れない。
*****
今日も俺達は、特に何もない、ただ一緒の時を共に過ごす。
些細な喧嘩のような事をする日もあるけれど、今夜も先に眠る彼女のベットに潜りこみ、同じまどろみに入る。
「おやすみ」
彼女の髪に指を通し、ポンポンと背中を優しく押せば、小さな寝息の返事が返って来る。
また明日…。
目を閉じて暗闇に告げれば、また共に過ごす明日が来る。
これで良い。
これが良い。
今日も短い夜が明けるまで、同じベットで眠りにつく。
「アンさんの好きな人」おわり
【完結】アンさんの好きな人 さんがつ @sangathucubicle
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