第57話 贖罪と代償



 ローズは息をつめて、フェルを見る。

 クルクルとカイムが喉を鳴らす音だけが、部屋に響いた。


「・・・ならないのですが・・・僕は・・・」

 マリウスの声が澱む。

 場の全員が、言葉の続きを待った。

 息を大きく吸い込んで、マリウスは一気に言った。


「僕は、このまま国王で居たい」


 フェルはカイムから、手を離す。

 そしてマリウスの方へ、顔を向けた。


「君はやっぱり『神託の王』なんだって事が、この前はっきり分かった。僕がこの10年、国の全てを欺いて来た事を明らかにして、サイモンと共に断罪されるのが、正しい道なんだと思った。・・・でも、この10年で、僕にも信頼できる臣下ができて、こんな僕にも、国を作る夢みたいなものができて・・・」


 そこまで言って、マリウスは口を閉じる。

 そしてうつむいて、力無く首を振った。


「・・・それが、お前の本当の気持ちなのか?マリウス」

 フェルが問う。

 マリウスは下を向いたまま、頷いた。


「じゃあ、そうしろよ」

 あっさりとフェルが承諾する。

 マリウスが顔を上げて、目を瞠った。


「俺、言ったよな、『マリウスは自由にしていい』って。だからそれでいい」


 迷い無いきっぱりとしたフェルの言葉に、マリウスは呆然としたまま、うわ言のように呟く。

「・・・そう言われた時は・・・見捨てられたと思ったよ。僕は君だけが、君の存在だけが、僕の存在を肯定するものだと・・・信じていたから・・・」


 フェルと同じはしばみ色の瞳が、涙の筋を引く。


「ごめん、フェル。・・・ありがとう・・・」

 手のひらで顔を押さえても、涙は止まらない。

 マリウスは「ごめん」と「ありがとう」を繰り返しながら、泣き続けた。


 やはりローズには、そこに15歳の少年が居るように見える。

 帰る家も、頼る家族も無く、ただ置かれた場所で生きるしかなかった少年。

 それは・・・バーチ家に居た頃のローズと同じだから・・・。


 マリウスは、ファーディナンド王として生きて行く。

 ずっと嘘をついて行く、という事だ。

 ずっと人を騙して行く、という事だ。

 それはマリウスの良心にとって、辛い事ではないだろうか・・・。


 膝の上で眠ってしまったカイムを撫でながら、ローズは考えた。

 けれど、確たる答えは浮かばなかった。




 その日の夜、ヴァイゼは久しぶりに、長めの距離を飛んでいた。

 翼の傷は、もう痛みも無く、飛行は爽快だった。


 昼間は暑いと感じるほどだが、夜はまだ肌寒い。

 この季節の、昼と夜とで、空気がすっかり入れ替わるような感じが、ヴァイゼは好きだった。


 館の庭園へ、ヴァイゼはゆったりと降り立つ。

 ふと、気配に気付いて顔を上げると、館の上階、庭園を見下ろす外廊下に、フェルの姿があった。


 夜更けの暗闇であったが、フェルもこちらを分かっているようで、目を向けている。

 声をかけようとした時、ヴァイゼは人が近づく気配を感じた。


「・・・おや、フェル。こんな夜更けにどうしたのです?」

 手摺りにもたれていたフェルは、その身体を起こして、

「ダーヴィッド、お前こそ」

 と、言った。

 ダーヴィッドは微笑みながら、フェルの隣で、手摺りに寄りかかる。


「ずっと父上のお相手を。私が居なくなってしまうのでは、と、なかなかおやすみになって下さいませんでした。・・・お歳を召されましたね・・・」

 寂しげに言うダーヴィッドの横顔を、フェルが見た。


 夕方、王城に戻ったのは、マリウスだけだった。

 ダーヴィッドはマリウスの強い奨めで、館に留まったのだ。


「・・・マリウス、一人で帰して大丈夫だったのか?」

 フェルに言われて、ダーヴィッドは軽い笑いを洩らす。


「大丈夫ですよ。・・・フェル、マリウスが言ったように、彼にも、信を置ける臣下や従者ができましたから。そうでなければ10年もの間、私が王宮に潜伏するなど、無理な事でした」

「協力者が居た・・・と言う事か」

 「やはり」という調子でフェルが言うと、ダーヴィッドはそれも承知していたように、頷いた。


 フェルは大きく息を吐いて、夜空を見上げる。

「・・・俺はさ、マリウスがうらやましかった。将来が真っ白で、何でもできるマリウスが。だから、本当に好きにして欲しかったんだ。俺の代わりに命を落とすなんて事、させたくなかった・・・それが分かってもらえなくて、ダーヴィッドに依存しているのを笑われたと思って、悔しくて・・・」


 ああ、そうだった・・・と、ヴァイゼは思う。

 フェルは「自由」に憧れ、マリウスは「自由」を恐れた。


 双子のように似ていた二人が出会うまでに、置かれていた環境は違いすぎる。

 それを理解しろと言うのは、15歳の少年たちには難しかったのだ・・・。


「父上がとても後悔なさっていました。マリウスをヨークレフト城に引き取って、あなたと同じ扱いを受けさせたのは、父上の意向ですから」

 ダーヴィッドも、背中を反るようにして、空を見上げる。

 ゆるく束ねた黒髪が、宙に揺れた。


「あのまま、あなたを邪魔にする勢力が衰えなければ、家督をマリウスに継がせて、あなたと共にヴルツェルへ戻ろうと、考えていたそうです。『身代わり』と言えばそうですね。父上はマリウスを、あなたの盾とするつもりは全く無かったのですが、そう捉えていた家臣は居たのかもしれないし、マリウス本人がそう感じていたのかもしれません」


 聞いて、フェルは、

「そうか・・・」

 と、短く答えただけだった。



「・・・それにしてもダーヴィッド。10年もの間ずっと城に篭っていたなんて、よくできたよなぁ。外に出たいと思わなかったのか?」

 沈んだ空気を嫌ったのか、フェルが明るい調子で話題を変える。

 それには、ダーヴィッドが目を丸くした。


「エルーガ王城は古い城です。王位継承争いや、他国からの侵略で、命の危機にあった国王は多かった。彼らが城から脱出する為に作られた、極秘の通路はいくつもありますから・・・フェル、知らなかったのですか?」

 「国王だったのに?」と、言う表情を向けられて、今度はフェルの目が丸くなった。


「・・・し、知らなかった!知らなかったぞ、ヴァイゼッ!!」

 「国王だったのに!」と、庭園に佇むヴァイゼの方へ叫ぶ。


 数々の国王と共に生きていたヴァイゼは、王城の歴史を知る者だ。

 当然、そんな通路がある事は承知していたが・・・。


「私自身、使った事は無いのでな。知ってはいたが、把握はしていなかった」

 そうとだけ、返事する。

 フェルはいかにも不満という風に、口を曲げた。

 ダーヴィッドがヴァイゼに、同情の苦笑を向ける。


「・・・ヘレン王妃の部屋に繋がる隠し通路は、使い慣れていたって訳だな」

 少々の嫌味を込めてフェルが言えば、

「ええ、その通りです」

 と、ダーヴィッドは艶やかな笑顔を返してくる。

 それを見て、フェルがハッと何かに気付いた。


「もしかして・・・王城に出ると噂の、王妃の幽霊って・・・」

「あんなに大騒ぎになるとは、想定外でした。おかげで誰一人、部屋に近づかなくなりましたし、マリウスの結婚話は頓挫するし、効果抜群でしたね」

 楽しげに話すダーヴィッドを、フェルは唖然として見る。


「ああ、でも姫君には内緒にしておいて下さいね。ヘレン様はこういった事を楽しまれるお方ですが、姫君は悲しまれるかもしれませんから」

 ダーヴィッドはそう言って、口の前に指を立てた。

 「はぁーっ」と、フェルはわざと大きなため息をついて見せる。

 そして、


「・・・ヘレン王妃の居場所も、ローズに内緒なのか?」

 と、言った。


 ダーヴィッドの錫色の瞳が、見開かれた。


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