第46話 風雲急



 国王軍は、予定通りターロンの砦に到着した。

 途中、反対派の襲撃も無く、行軍は至って平穏であった。


 厩舎に入れられたヴァイゼは、フェルに呼びかけてみた。

 一定の距離内であれば、離れていてもお互いの存在を認識できる。

 順調にターロンへ向かっているのなら、そろそろ応答があっても良いはずだ。

 そう思っていた。


 しかし、到着予定日になっても、フェルは現れず、呼びかけに返事も無い。

 一日過ぎても二日過ぎても、何も変わらなかった。


 とうとう三日が過ぎた時、ヴァイゼは居ても立ってもいられなくなる。

 フェルがこちらへ向かっていないのか、応答できない状態なのか。

 いずれにしても、フェルにとって、危機的な状況である事には間違いない。


 朝の給餌の時間になった。

 世話役の兵士が、厩舎の扉を開ける。

 その隙をついて、ヴァイゼは扉の外へと飛び出した。

 だが・・・


「グリフォンが!グリフォンが逃げるぞ!」

 兵士たちが、捨て身で取りすがったのだ。

 兵士も必死だった。

 王の象徴である、神託のグリフォンを逃がしたとあっては、自分たちの首が飛んでしまう。


 だが、必死という点においては、ヴァイゼも同じである。

 これほど嫌な予感がした事は無い。


 ヴァイゼは、取りすがる兵士を嘴で引きちぎり、立ちはだかる兵士を鉤爪で倒した。

 人の血の匂いにむせながら、ヴァイゼは強引に空へと飛び上がった。


 空から、フェルたちが移動して来るはずの経路を辿る。

 フェルの応答は、まだ無い。

 経路から外れて、山の上へと向かった。


 山は木に覆われていたが、ヴァイゼはできるだけ低く飛んで、フェルの気配を探ると同時に、匂いに集中した。

 すると、風に微かな血の匂いが混じる。

 自分の身体に付いている新しい血ではなく、乾いた血の匂い。

 ヴァイゼは、木々の隙間から地上に降り、その匂いを辿った。


 はるか下に川の急流を臨む、切り立った断崖へと出る。

 そこの地面から、滲み込んだ血の匂いがした。


 周りの木の幹には刃物の跡、下草は焼け焦げている。

 どうやらここで、戦闘があったようだ。


 地面には、断崖に向かって何かを引きずったような跡が、たくさん付いていた。

 死体を谷底に捨てたのだろう。

 ・・・死体では無かったかもしれないが。


 断崖から翼を広げ、急流に沿って飛ぶ。

 案の定、谷川の岩や澱みに、それらを見つける事ができた。

 付けていた装備から、フェルの護衛の兵士だと察しを付ける。


 嫌な予感は、確信に変わりつつあった。

 ぞくりと、寒気を感じる中で、ヴァイゼは祈るような気持ちでフェルを呼び続ける。


 神託のグリフォン、神聖の魔獣。

 神々しいのは名ばかりで、所詮はただの獣なのだと、ヴァイゼは自分を笑った。


 何もできやしない。

 子供一人、見つけ出す事もできない。

 こんな時は、神とやらに縋るしか無い。



「ヴァイゼ!」


 その声に、ヴァイゼはハッと目を見開いた。


「ヴァイゼ!」


 確かに聞こえる。

 地上を見下ろすと、川岸の岩場に小さな人影があった。

 それに向かって、ヴァイゼは急降下する。


 求め続けた少年の姿が、はっきりと見えてくる。

 付けていたはずの装備は無く、着ている服も汚れて破けていたが、少年は立ち上がって駆け出している。

 ああ・・・!


「フェル!」

 抱きついてくる身体を、両の翼で受け止める。


 生きていた。

 生きていてくれた。

 しがみ付く両腕の力強さに、ヴァイゼは心底から安堵した。


「フェル、良かった。遅くなってすまなかった」

 フェルはヴァイゼの翼の中で、声を上げて泣いた。



 ひとしきり泣いて、落ち着きを取り戻してくると、フェルは身に起きた出来事をヴァイゼに語り出した。


「・・・野営中にエルーガ兵の襲撃を受けて・・・クリントの道案内で山へ入った。そしたら・・・山の中で本隊が待ち伏せていて・・・護衛兵たちが応戦したけど・・・数が多くて・・・」


 ヴァイゼの翼に包まれながら、その獣の身体に寄りかかるようにして、フェルは言葉に詰まりながらも、話を続ける。


「・・・ダーヴィッドが・・・ダーヴィッドは俺を・・・谷へ突き落として、敵が迫る断崖に残った。腕に怪我をしていて・・・味方の兵も、もうほんの一人か・・・二人しか・・・」


 フェルの額に巻かれた布から、血と薬草の匂いがする。

 身に付けているもので、自分で手当てしたのだろう。

 たった一人、この山奥で・・・。

 そう思うと、たまらなく不憫になって、ヴァイゼはフェルの顔に、頭を摺り寄せた。


「クリントだ。あ、あいつが反対派と繋がって・・・絶対に、絶対に許さねぇ・・・」

 血が滲むほどに唇をかみ締めるフェルを、ヴァイゼは翼で抱きしめる。


「・・・ダーヴィッド、死んでないよな」

 フェルが小さく枯れた声で、呟く。

 ヴァイゼは大きく頷いた。


「ここに来るまでの間、兵士たちの死体は見たが、ダーヴィッドは居なかった。希望はある」

 慰めにもならないだろう。

 言ったヴァイゼが、そう思った。

 だが今は、この傷つき疲れた少年を、立ち上がらせなければならない。


 フェルの体力の消耗は激しく、背に乗せて飛ぶのは危険だった。

 ヴァイゼは、しばらくこの辺りで留まる判断をする。

 山中でフェルが口にできそうな果実を集め、ずっと傍らに寄り添い、身体を温めた。


 数日後、どうにか回復したフェルを乗せて、ヴァイゼは王城へ向かった。



 王城には、その日の夜に到着した。

 上空から王宮を見下ろすと、主が居ないはずのフェルの部屋に、明かりが灯っている。


 不審に思いながら、ヴァイゼは部屋のバルコニーに降り立った。

 部屋の中には、なぜかマリウスの姿があった。


「マリウス!」

 フェルが部屋へと駆け込む。


 マリウスはフェルに気づいて、とても驚いた表情をした後、

「・・・フェル」

 と、低く言った。


「マリウス、お前、何で俺の部屋に居るんだ?」

 フェルの問いに、マリウスは答えずに視線を逸らせる。


 だが、フェルは気にも留めない様子で、

「ダーヴィッドは戻っているか?戻っているよな」

 部屋を走り抜け、廊下に通じる扉を開けた。


「ダーヴィッド!俺だ!帰って来たぞっ!ダーヴィッドッ!」

 大声で呼ばわりながら、廊下へ飛び出す。


「何者だっ!」

 王宮の近衛兵が、武器を手に駆けつけて来た。


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