第47話 決められていた事柄



 フェルの今の姿は、散々なものだ。

 汚れきった身体に、破れた服。

 その上、ヴルツェル語を叫んでいたのでは、怪しまれても仕方無い。


 フェルもそこに気づいたらしく、

「あ、いや、これには事情があるんだ」

 と、両手を広げて無抵抗を示しながら、エルーガ語で言った。


「陛下、お怪我はございませんでしたか」

 別の衛兵に声を掛けられて、フェルはホッとして振り返る。

 ・・・だが、


「大事無い、サイモンを呼んでくれ」

 と、返事をしたのはマリウスだった。


「・・・おい、ちょっと待て。もう作戦は終わったんだろう、マリウス」

 フェルが部屋に戻って、マリウスに近寄ろうとすると、すぐさま衛兵が割って入った。


「無礼者!陛下の御前ぞ!」

 槍の穂先がフェルに向けられている。


「無礼は貴様であろう!」

 フェルが威厳をこめて叱責した。

 その迫力に衛兵は一瞬たじろいだが、それでも穂先を下げなかった。

 マリウスは下を向いたまま、衛兵たちに護られている。


 衛兵たちに向けられた刃。

 陛下と呼ばれているマリウス。


 フェルは目を瞠った。

 理解したくない状況を、理解したようだった。


「身代わりって・・・こういう事だったのかよ、マリウスッ!」

 フェルの、血を吐くような苦しい叫びに、ハッとマリウスが顔を上げた。


「・・・ち、違う!僕は・・・っ」

 マリウスは何度も首を振って、自分を庇う衛兵を押しのけ、前へ出ようとする。

 そこへ・・・


「何の騒ぎですかな、これは」

 その声に、部屋の入り口の衛兵が場所を空け、控える。

 サイモンがゆっくりと、部屋へと入って来た。


 途端にマリウスは口を閉じ、また下を向いてしまう。

 衛兵に囲まれているフェルを一瞥して、サイモンはニヤリと口元を引き上げた。


「あんな小汚い子供など、打ち殺してしまえ」


 短い命令が、冷たく響く。

 たちまち衛兵たちの目が、攻撃の気配を帯びた。


「な・・・サイモンッ!」

 全身を震わせ、睨みつけるフェルに構わず、サイモンはマリウスに近寄る。


「さあファーディナンド陛下、ここは危険でございます。お出ましを」

 フェルから隠すようにマリウスの肩を抱いて、部屋を出て行った。


「待てっ!サイモンッ!マリウスッ!」

 二人を追おうとするフェルを、囲んだ衛兵の槍が狙いを定める。

 次の瞬間、ヴァイゼが咆哮を上げ、部屋へ突入した。


 突如暴れ出したグリフォンに、衛兵たちは驚き、武器を向ける。

 その隙をついて、ヴァイゼは目前の兵をなぎ倒し、フェルの前に滑り込んだ。


「乗れ、フェル!」

 しかしフェルは呆然として動かない。


「早く!ファーディナンドッ!」

 ヴァイゼはその名を強く叫ぶ。


 ビクンと大きく身体を跳ね上げたフェルは、即座にヴァイゼの背に跨った。

 ヴァイゼは取り囲む衛兵を蹴散らして、バルコニーから空へと躍り出る。


 何本かの槍が飛んで来たが、皆、力無く落ちて行く。

 ヴァイゼはまっすぐに、上空を駆け上がった。


「ヴァイゼ・・・俺・・・」

「私はお前と共に在る。例え今夜を境に、世界の全てが変わったのだとしても、それだけは決してたがわない、確かな事だ」

 静かに、しっかりと、ヴァイゼが言う。


「・・・うん」

 風にかき消えるほどの、か弱い返事があった。


 どういう事なのかと考えるのは、後回しだ。

 今はともかく、この少年を護らなければと、ヴァイゼは思った。




「それからどうしたの?」

 ローズは前のめりになって、ヴァイゼに尋ねた。


 すっかり朝になっていた。

 岩だなには明るい陽が降り注ぎ、空は青みを増して澄んでいる。


「パウル卿の館も、ヨークレフト城も、王城の衛兵が取り囲んでいた。これは後から知った事なのだが、激しい戦闘で正気を失ったマリウスが、自分をファーディナンド王だと信じ込み、あちこちで暴挙を犯しているという事になっていたそうだ。・・・完全に入れ替えられたのだな、フェルとマリウスは。今、王城で国王を名乗っているのは、マリウスだ」


 大きな瞳を、さらにまん丸にしたローズは、「ふうーっ」と長い息を吐いた。

 膝に乗っているカイムが、長い話に退屈したのか、クワーッとあくびをする。

 ヴァイゼはそれを軽く笑うと、話を続けた。


「帰る場所を失ったフェルと私は、その後、様々な経緯を経て、この魔獣狩人という生業なりわいを身につけ、10年が過ぎた。・・・今から半年ほど前だろうか、風の噂にパウル卿が病を得ていると聞いて、フェルと卿の元へ戻ったのだ」


 パウル卿は、突然戻って来たフェルとヴァイゼを見て、とても驚いた。

 だが、フェルから10年前の事情を聞くと、涙を流して喜んだ。


 10年前のターロン戦以来、王宮と国王は、パウル卿を一切寄せ付けなかった。

 再三、謁見の要請を出しても、何かと理由を付けて断られた。


 ダーヴィッドの行方も分からないままだったので、パウル卿は、フェルもダーヴィッドも、戦闘で死んでしまったのだと思っていた。

 「神託の王」がこんなに早く死んでしまっては、国民が落胆し、せっかく立て直した国がまた乱れてしまうので、マリウスをフェルの身代わりにしたのだろう。

 そう見当を付けてからは、パウル卿は全てを諦め、孤独に暮らしていた。


 だが、成長したフェルを見たパウル卿は、ダーヴィッドもどこかで生きているのでは、と考えるようになった。


「フェルと私は半信半疑だった。しかし、年老いたパウル卿の、息子への愛慕も哀れであり、私とフェルは改めて、ダーヴィッドの消息を追ってみる事にしたのだ」

 そしてバーチ家で、クリントに・・・あの戦闘を知る生き証人にめぐり合った。


「話せる事はこれで全てだ。・・・さあローズ、パウル卿の元へ行こう」

 ヴァイゼは、自分の背に乗るよう、ローズに促した。


 けれどローズは、ヴァイゼの傍らに置かれたフェルの槍を見つめて、

「わたしをパウル卿の所に送って行って、その後、ヴァイゼはどうするの?」

 と聞く。


 ヴァイゼはその顔を空へと向けて、

「何がどう変わろうとも、フェルと共に居ると約束した。それは決して違わないのだと」

 そう答えた。


「ヴァイゼ、わたしパウル卿の所へは行きません」

 ヴァイゼは視線だけをローズに向ける。


「フェルさんを助けに王城へ行くのでしょう?わたしも行きます」

「・・・ローズ」

 顔をローズの方へ戻して、ヴァイゼは大きく首を振った。


「こんな事は言いたくないが、フェルはお前を護るために戦ったのだ。そして捕らえられた。それをお前は無駄にするのか?」

 穏やかだが厳しいヴァイゼの言葉に、ローズがビクリと身体を震わせる。


「で、でも・・・だからこそ、わたしが行かなければ。わ、わたしはフェルさんに自由をもらったの。だから、だから今度は・・・。わたしが行けば、フェルさんを帰してもらえるかもしれないでしょう」

 身体を震わせたまま、それでもヴァイゼから眼をそらさずに、ローズが言った。

 だがヴァイゼは、もう一度首を振る。


「フェルと身柄を交換すると言うのか。そんなに甘いものでは無い。二人とも捕らえられて終わるだけだ。それこそ何のために・・・」

「だったら、わたしがマリウスさんに頼みに行くわ!」

 ハッとヴァイゼは息を呑んだ。


「・・・ヴァイゼの話を聞いて、わたし、マリウスさんの気持ちが少し分かる気がした。帰る家も頼れる家族も無かったのは、わたしも同じ。だからもしかしたら、分かってもらえるかもしれない。王城に行って、マリウスさんに直接お願いしてみるわ」

 ローズの言葉を耳にしながら、ヴァイゼはただ唖然とする。


 その発想は無かった。

 マリウスは、サイモンの支配から動かないと決め付けていた。


 ヨークレフトに居た頃は、気性の優しい少年だった。

 フェルと仲が良かったのは、偽りでは無い。

 もし・・・もし、あの頃の性分が、少しでも残っているのなら・・・


「それにね・・・」

 遠慮がちに、ローズが話の続きを始める。


「わたし、フェルさんに会わなければ、って思ったの。ファーディナンド王と知ったフェルさんと、きちんと向き合わないといけない・・・って」

 少しだけ目を潤ませて、少しだけ頬を赤くして、ローズは自分に言い聞かせるようだった。


 これは、そう決められていた事柄なのだ。

 ヴァイゼは、自身が発した言葉を噛み締めていた。


 本当にそうなのかもしれない。

 今まで目を背けていた全てに、向き合うべき時が来たのかもしれない。


 ヴァイゼは顔を上げて、王城の方角を見た。

 良い風が吹き始めた。

 飛ぶのであれば、今が絶好の機会だろう。


 ・・・そして決断した。

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