第5章 時を取り戻す

第48話 忘れられた庭


 ヴァイゼは、王城の上空へと来ていた。


 巨大で堅ろうなエルーガ王城には、天を刺すようにそびえ立つ、二本の高い塔がある。

 その天辺には、グリフォン像が鎮座していた。


「ほら見て。やっぱり、グリフォンがあったわ」

 ヴァイゼの背に乗ったローズは、嬉しくなって声を上げる。


 王城の衛兵に発見されないように、ヴァイゼはかなり高い空に停まっていた。

 塔のグリフォンは、小さくてもその形ははっきりと見える。


「向かって右のグリフォンは『治世の守護』として地を見下ろしている。左のグリフォンは『天啓の授受』として空を見上げているのだ」

 軽く笑ったヴァイゼが、説明をしてくれた。


「あの時、お前はこの像を見ていたのではない。お前の記憶の中の像を見ていたのだよ。お前は4歳まで、この城で暮らしていたのだから」


 えっ・・・。

 ヴァイゼに言われて、ローズは改めて城を見る。


 ここで暮らしていた。

 そう言われても、懐かしいという気持ちは沸いてこない。

 なのに、頭のどこかに記憶が残っているのだろうか?


 そのローズの心境を汲み取ったのか、ヴァイゼはまた笑って、

「幼い時の記憶など、誰しもそういったものだ。あまり気にするな」

 と、宥めるように言った。


 でも、そうやって王女の頃の記憶を思い出しても・・・幸せな思い出なんてありそうも無いと、ローズは思う。

 断片的に記憶がある光景は、王女の頃のものなのだと、今では分かるけれど、それらは決して、明るいものでは無い。


 母親だというヘレン王妃も、父親だというフレデリク王も、この国の全ての人たちも、男の子の誕生を望んでいた。

 女の子である自分の誕生など、誰も喜んでなかったのだろう。

 誰も・・・

 自分を産んだ母さえも、きっと・・・。


「ローズ準備しろ、下りるぞ」

「はい」

 ヴァイゼに返事をして、ローズは背負っているフェルの槍を、もう一度きつく縛りつける。

 鞍に付いている取っ手を、しっかりと握って、姿勢を低くした。


「行くぞ!」

 ヴァイゼは、まるで頭から地面へ飛び込むように、翼を畳んで急降下する。

 ローズは目を閉じて、凄まじい風の勢いに耐えた。


 もう、落ちる!

 そう思った時、ヴァイゼの上半身が立ち上がり、ローズの身体はガクンと背後に引っ張られた。

 前足の鉤爪が地面を掻き、獣の後足と翼がその勢いを制御する。


 ガガガッ!と、石を削る音、衝撃、埃っぽい匂い。

 ローズは振り落とされないように、必死に身体全体で、ヴァイゼにしがみついた。


 やがてピタリとそれらが収まって、ヴァイゼが息をつく。

「ローズ、大丈夫か?」

「・・・は、はい」

 何とか返事をして、ローズはふらつく足をこらえながら、ヴァイゼから降りた。


 服の中に入れていたカイムが、外に出たくてバタバタと動く。

 それを出してやりながら、ローズは辺りを見渡した。

 下りたのは、王城の最奥、王宮の中庭だ。

 でも・・・


「これが・・・?」


 思わずローズが口に出すほど、その庭は荒れていた。

 下草はぼうぼうと生え、剪定されていない庭木は、原型が分からないほど自由に茂っている。

 蔓バラが巻きつく先を求めて、たくさんの蔓を空へと伸ばしていた。

 建物にはびっしりと蔦が絡まって、窓も壁も覆い隠してしまっている。

 リンデン寺院の中庭の方が、よほど手入れされていた・・・と、思った。


「・・・ここは、王宮の中で、もう何年も使われていない庭だ。だから着地の場所に選んだ」

 ヴァイゼの言葉に、ローズも納得する。

 確かに、人の気配がしない。


 けれでも・・・荒れた庭だが枯れている訳ではなく、草も木もこの季節らしく、緑を濃くして、花も付けている。

 まるで小さな森に迷い込んだような、そんな不思議な感じになる。



「ローズ、入り口を見つけたぞ」

 嘴で、壁の蔦を払っていたヴァイゼが、声をかけてくる。

 行ってみると、板で打ち付けられた扉があった。


 ヴァイゼが鉤爪で板を剥がした拍子に、ギイィィと音を立てて扉が開く。

 中には、薄暗い廊下が続いていた。


「教えた通りだ、ローズ。この廊下を道なりに行き、突き当たった扉が王の部屋だ」

 ローズはこっくりと頷く。


「途中にいくつか扉があるが、惑わされるな。突き当たりの小さな扉だ。そして部屋の中で隠れて待て。マリウスはフェルによく似ているから、すぐに分かる」

 ヴァイゼの念押しに、ローズは何度もこくこくと頷く。


「私は王城の近くで待機している。フェルかお前が呼べば、すぐに行く」

 ローズは涙が落ちそうになるのを堪えて、もう一度こくりと頷いた。


「フェルさんがどこに居るのかは、分からないの?」

「王城内に居るのは感じられる。だが、その先は分からない」

 ヴァイゼはなぜか、苦笑いを返してくる。


「でも、このお城の中に居るのね。だったら、みんな一緒なんだわ。だから大丈夫ね」

 空元気だけれど、ローズは懸命に笑顔を作った。


 それを見て、眼を細めたヴァイゼは、自分の翼から一本、羽根を引き抜いた。

「持って行くが良い、お護りだ」

 ローズは差し出された、黒褐色の大きな羽根を受け取る。

 羽根は艶やかで美しく、温かく感じた。


「その羽根で、私と繋がっている事を実感できるはずだ。・・・だからローズ、何があっても振り返らずに、前だけを向いて進むと、約束してほしい」

 青紫色の美しい瞳で、ヴァイゼはまっすぐにローズを見つめる。

 ローズは返事が声にでならずに、ただ頷くしかできなかった。


 その時、城の屋根伝いに、大勢の人が近づく気配がした。

 ヴァイゼはその方向を、きつく睨み付ける。


「行け、ローズ・・・カイム、ローズを頼んだぞ」

 ローズの近くを飛んでいたカイムは、「キューッ!」と勇ましく声を上げた。


 ヴァイゼは屋根の方を見据えたまま、身体を低くして翼を広げる。

 その首に飛びついたローズは、嘴に唇を押し当てた。


「大好きよ、ヴァイゼ。気をつけて」

 ヴァイゼの首を抱きしめて、ローズは意を決し、扉の中へと飛び込んだ。


 走って行く背中を見送ったヴァイゼは、尻尾で扉を閉め、護るように立つ。

「これは・・・フェルに怨まれるのだろうか」

 ひと言ボソリと呟いた。


 即座、屋根の上の弓兵が、一斉に弓を引き絞る。

 ヴァイゼは翼を強く扇いで、向かってくる矢を落とした。


「まぁそうくな。いずれお前たちの縄に打たれてやるのだから。だが、あの子が安全な場所にたどり着くまでの時間は、稼がせてもらうぞ」

 屋根を乗り越えて、続々と衛兵たちが中庭へと降りて来る。

 兵士の行動が早い。

 やはり、待ち構えていたか・・・。


 弓兵が二射目を放つ。

 最初に飛んで来た矢を、嘴で受け止め、翼で残りを振り払う。

 咥えた矢を、地上の兵に投げ射る。

 矢は一人の兵士の首を貫き、兵士は声も無く崩れ落ちた。


 兵士たちに、どよめきが上がる。

 ヴァイゼは不敵に笑った。


「我に神聖などという冠を被せた事を、悔いるが良い。我は俗欲にまみれた、ただの獣なり!」


 兵士たちにその言葉は、グリフォンの咆哮にしか聞こえなかった。

 それでもなぜか身震いを覚え、後ずさる者も居る。


 ヴァイゼは翼を広げ、威嚇の声を上げながら、兵士たちの中へ突進して行った。

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