第49話 悲壮な決意



 そろそろ昼くらいか。

 そう思って、フェルは自嘲の笑いを漏らした。

 地下牢に閉じ込められている身が、昼になったからどうするというのか。


「ヴァイゼとローズは、もう祖父じい様の所へ向かっただろうか・・・」

 小さく呟く。


 地下牢では地上の動きを知る事はできない。

 ヴァイゼに対して意識を開けば、王城に来ているかぐらいは分かるが、リンデンで捕えられて以降、閉じたままにしている。


「あいつの方が感知力は強いから、王城の近くに来れば、俺の存在くらいは感じられるだろうな。でも・・・」

 フェルはふうっと、息をついた。


 祖父であるパウル卿には、手紙でローズの出生も明かしてある。

 そうすれば恐らく、ローズを連れてヴルツェルへ向かうだろう。


 ローズは・・・メアリーローズはエルーガ王女であるが、ヴルツェル皇帝の孫でもあるのだ。

 上手くすれば、皇帝に引き会わせて、ヴルツェル皇室で暮らせるかもしれない。

 そこまでは望めなくても、サイモンの目が光るエルーガ国内よりは、ヴルツェルの方がローズにとって安全なはずだ。


 そこへ、ヴァイゼも一緒に行けばいい。

 ローズならヴァイゼと話しができるし、カイムも居る。


「みんなそこで暮らせば良いんだ」

 言葉にして、納得させる。

 空笑いが漏れる。

 フェルはまた、深いため息をついた。


 そこに、自分は居ない。

 それが・・・たまらなく・・・寂しい。


 抱えた膝に、顔を埋める。

 こうしていると、あの、ダーヴィッドと別れた山を思い出す。

 岩場でひとりで膝を抱えて、救助を待っていた時の事を。


 ・・・分かっている。

 今だって、心のどこかで・・・ヴァイゼが来るのを待っている。

 来ては駄目だと分かっていながら、今にもヴァイゼがここに来るんじゃないかと・・・思っている。


「ああ、駄目だ。全く俺は・・・」

 フェルは考えを散らすように、頭を振った。


 ヴァイゼを近寄せないために、意識を閉じているのに、いろいろ考えると、うっかり意識が開いてしまいそうになる。

 きっとヴァイゼは呼んでいるはずだ、あの山の時のように。


 今、ヴァイゼの声を聞いてしまったら、気持ちが折れてしまう。

 きっと返事をしてしまって、ここから脱出するという、虚しい希望を抱いてしまう。

 ヴァイゼとなら・・・何とかなると・・・。


「・・・参った。ヴァイゼに関しては、ガキの頃から成長していないとは」

 髪をクシャリと掻きあげて、フェルは人事ひとごとのように呆れた。


 サイモンはヴァイゼを・・・「神託のグリフォン」を何よりも欲しがっている。

 ヴァイゼがサイモンの手に落ちたら、マリウスを本物の神託の王とする為に、王宮内に閉じ込められ、二度と城外へ出しはしない。


 ヴァイゼが王城に存在すれば、マリウスは本物の「神託の王」となれるからだ。

 そして「神託の王」を支える宰相としての名声と権力を、欲しいままにしたい・・・という所だ。


 ローズも一緒に捕らえたならば・・・。

 エルーガ王女であり、ヴルツェル皇帝の孫であるメアリーローズは、対ヴルツェルの政治的道具とされるだろう。


「俺を人質に、二人を脅して支配しようという魂胆だ。だからサイモンは、俺を殺さずに置いているんだ・・・」


 フェルはもう一度、息を吐く。

 今度は深く、身体の中の空気をすべて吐き出すように。


 分かっている。

 全てを終わらせる道はひとつ。


「人質が居なくなればいいんだ」

 フェルの呟きが、暗い石の壁に溶ける。


 やるのならば、早くしないと。

 ヴァイゼが捕らえられてしまったら、元も子も無い。

 刃物も無ければ毒も無いが、それでも方法はいくつかある。


「・・・なぁ、ダーヴィッド。お前、天国とやらに行っているんだったら、迎えに来てくれないか?」


 薄く笑ったフェルは、ゆっくりと目を閉じた。




 ローズは小走りで、廊下の突き当たりを目指していた。

 廊下は思ったよりも、鉤の手状にカクカクと曲がっていて、一気に走り抜けるのは難しい。

 ヴァイゼの言った通り、途中の壁にはいくつか扉があったが、それらには目もくれず、突き当たりに向かった。


 ローズの少し前を飛んでいるカイムが、「キュー」と啼いて、背後を気にする。

「振り向いては駄目よ、カイム」

 言われて、小さなグリフォンはあわてて前を向いた。


 背後が気になるのは、ローズも同じだ。

 さっきまで、かすかに聞こえていた、人の声やヴァイゼの啼き声が、止んでいる。

 ずいぶん建物の奥へと入ったように感じるので、庭から遠くなったのかもしれない。


 奇妙な静けさが、ローズを不安にさせる。

 けれど、振り返らないと約束した。

 前だけに進む、と。


 ローズは胸に手を当てる。

 服の中に、ヴァイゼの羽根を入れてあった。

 ヴァイゼが近くに居るのを、確かに感じられる。


 言われた通りだった。

 繋がっている。

 それが分かる。

 だから大丈夫。


 突然、人の靴音が聞こえてくる。

 前の方から、こちらへ向かって来るみたいだ。


 ローズは飛んでいたカイムを抱きとめて、鉤状の角に身を潜める。

 どうやら衛兵のようだ。

 何か話しながら、こちらへ向かってくる。


 どうしよう・・・。

 一本道なのだ。

 こうして角に隠れても、見つけられてしまう。

 足音が、次第に近づいて来る。


 ローズは壁に背中を付けるようにして、ズルズルと後退りする。

 どうしよう・・・。

 カイムを抱きながら、ローズは隠れる場所を目で探した。

 戻って、どこかの扉の中に入ろうか・・・。


 その時、不意に背中から抱きとめられる。

 驚いて出そうになる声を、背中の手が、ローズの口ごと塞いだ。


「・・・お静かに。何もしません、大丈夫です」


 耳元で男の人の声がする。

 ローズはバーチ家で受けた暴挙を思い出して、その腕を振り払おうともがいた。

 チャールズと変わらないような細い腕なのに、ビクともしない。

 そのまま吸い込まれるように、扉の中へと連れて行かれる。


 閉じられた扉の向こう側を、衛兵が歩いて行くのが分かった。

 衛兵たちは「扉はどうせ鍵が掛かっているんだ」だの「この辺りは幽霊が出るから早く戻ろう」だのと言いながら、どうやら来た道を引き返すようだった。


 足音が充分に遠ざかってから、抱きとめていた手が離され、ローズは解放された。

「もう大丈夫ですよ。手荒な真似を致しまして申し訳ございません」


 丁寧で優しげな声をかけられても、ローズの身体は震えがとまらずにいる。

 カイムをきつく抱きしめながら、その声の主を振り返る事もできない。

 それでも何とか息を整えて、ゆっくりと顔を上げる。


 そして・・・ローズは声を失った。


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