第45話 行軍の策



 国王軍が再び出陣したのは、夏の初めだった。


 いつもは、神託のグリフォンたるヴァイゼに乗っている国王だったが、今回は兵士たちが担ぐ輿こしに乗っている。

 輿は背後と両脇を板で囲ったもので、前回の襲撃を踏まえ、防御に徹していた。


 輿の横に付いて歩いているヴァイゼは、遠くなる王城を振り返る。

「フェルは大丈夫だろうか・・・」

 つぶやいたが、その言葉を聞き取れる者は、この行列の中には誰もいなかった。


 これより数日前の話である。



 国王軍の次回の出陣は、エルーガ東南の街、ターロンだと決まっていた。

 ターロンはコライユとの国境を接する街で、王都へ繋がる街道と水路を護るための、城塞じょうさいがある。

 そこへ国王と軍が入り、コライユ軍を牽制するのが狙いだった。


 その行軍について内密の話があると、フェルに申し出たのは、内務大臣のサイモンである。

 フェルがヴァイゼとダーヴィッドを伴って、王の執務室に入ると、中では、サイモンとマリウス、そして兵士一人が控えていた。


 フェルはマリウスを見て驚いたようだが、言葉に出さないまま玉座に着いた。

 その傍らに伏せたヴァイゼは、部屋の一番隅で平伏する兵士に目を向ける。


 兵士にしては身体が小さいその男には、覚えがあった。

 平素、厩舎で自分の世話をしている下級兵だ。

 本来ならば、国王に直接目通りできる身分では無い。


 ヴァイゼはその事をフェルに伝える。

 兵士を一瞥したフェルは、軽く頷いた。


「お出ましを賜りまして、恐悦でございます。ファーディナンド陛下」

 恭しく挨拶を述べたサイモンは、早速とばかりに本題に入る。


「先日のご帰還の際、陛下のお命を狙った一派の残党が、今回の行軍中に、再び襲撃を計画しているという情報を入手致しました。陛下は国王軍とは別に、ターロンへ向かわれるのが得策と存じます」

 そこまで聞いて、フェルはサイモンの後ろで控えているマリウスを見る。

 フェルの代わりにマリウスを国王軍に同道させる、そういう話だと悟ったようだ。


「・・・行軍の話に、軍務大臣も将軍もここに居ないのは、どういう事だ?」

 もっともなフェルの指摘に、サイモンはさらに一歩玉座に近寄る。


「内密と申し上げましたのは、そこにございます。残党どもはエルーガ軍の正規兵だと言う事ですが、誰であるかは特定できておりません。そのため、軍の関係者に話を通す訳には参りませんでした」


 声を低くして言うサイモンに、フェルはわざと声を大きくして、

「向かって来る奴は、誰であろうと俺が切り捨てる。身代わりを立てる必要など無い」

 と、言った。


 下を向いて控えていたマリウスが、ゆっくりと顔を上げる。

 それは、いつもの穏和な少年の顔では無く、強い意志を感じさせる、厳しい顔つきだった。


「フェルは『僕の自由にしていい』って言ったよね。だから僕は僕の自由にするよ。反対派たちも、国王軍の兵士たちも、僕という存在をまだ知らない。だからこその、この作戦だ。もし僕が襲われて、後から無傷の君が出て来たら、反対派も、そうでない兵たちも、全員が驚くだろうね。『やはり神託の王なのだ』と、恐れて、君を殺す事なんて止めるだろう。そうすれば、ファーディナンド王の玉座は安泰だ」


 マリウスが迷い無く話す様子を、フェルは唖然として見るばかりだ。

 あのマリウスが、フェルに面と向かって歯向かうなど、考えもしなかった。

 ヴァイゼも驚きを持って、この状況を見守る。


「・・・本気でっ・・・言ってんのかよっ!マリウスッ!」

 激しい剣幕で玉座から立ち上がったフェルは、マリウスに向かって行く。

 ダーヴィッドが素早く前に出て、それを押し止めた。


「引きなさいフェル、喧嘩になりませんよ。王であるあなたを、マリウスは殴り返せない」

 耳元に囁かれたダーヴィッドの言葉に、フェルは舌打ちをして、踵を返す。


 乱暴に玉座に座り直すと、腕組みをしてマリウスを見据えた。

 マリウスもマリウスで、それを受けて決して引かない。


 先の行軍から帰還した日、フェルとマリウスの間に何かあったのは、ヴァイゼも察していた。

 フェルも、もう幼いの頃のように、何もかもをヴァイゼに話す訳では無くなっていたが・・・。


「・・・クソ頑固野郎め」

 低くフェルが呟いた。


「君だって・・・」

 マリウスも口端を引き上げて、薄く笑う。


 根負けしたように、フェルが大きく息を吐いた。

 そしてダーヴィッドに視線を向ける。

 ダーヴィッドが小さく頷いた。

 腕組みをほどいて、フェルはきちんと玉座に座りなおした。


「・・・サイモン、詳細を話せ」

 フェルの命を受けたサイモンが、深く一礼をした後、説明を始めた。


 国王に化けたマリウスは、国王軍と共に街道をターロンへ向かう。

 本物フェルは、ダーヴィッド他数名の護衛兵と共に、山側に大きく迂回して、ターロンを目指す。

 ターロンの砦で合流し、フェルとマリウスを入れ替える。


「重ねて申し上げますが、これは内密の策でございます。ここに居る我々と、関わるごく少数の兵士のみにしか、計画を明かす事はなりません」

 そう言って、サイモンは締めくくった。


 終始黙って聞いていたダーヴィッドが、おもむろに口を開く。

「山側の経路を取る、という策は妥当だと思います。しかしながら、あの辺りには魔獣も出没するという話も耳にします。頼みのヴァイゼは、マリウスと共に行かせてしまいますし・・・」


「そこはすでに、手を打ってございます」

 サイモンがしたり顔で、ダーヴィッドの話を遮った。


 そして、部屋の隅に平伏していた兵士を振り返る。

「あの者を同道致させましょう。魔獣の事柄にも詳しく、経路にございます東側の山地にて生まれ育ち、地理に明るいと申しております」


 なるほど、だから厩舎係の下級兵がこの場に居たのか。

 ヴァイゼは首を上げて、その兵士を見た。


「ここへ来て顔を見せよ、名と身分を自ら申せ」

 王の直々の命令に、兵士はおどおどと立ち上がり、フェルの前で膝をついた。


「わ、わ、私めは、へ、陛下の御厩舎にて、ご、ご奉仕させて頂いております、クリントでございます。こ、この度は、た、た大変な栄誉を賜りまして・・・」

 青ざめた顔を上げて、たどたどしく名乗る。


 確かに厩舎で見ている顔だ、とヴァイゼは納得した。

 日々の仕事の様子から、魔獣に詳しいというのは、虚偽では無い。


 それをフェルに伝えると、フェルはひとつ頷いて、

「クリント、ターロンまではお前が頼りだ」

 と、声をかけた。


「はっ、はひっ!」

 緊張で舌を噛みながら、クリントは床にぶつけそうな勢いで、頭を下げる。

 それに苦笑してから、フェルは前に向き直った。


「サイモン、委細承知した。但し、余の護衛にあたる兵を選出するのは、ダーヴィッドに一任する。また国王軍においては、マリウスの護衛をこれまでの倍にして、防御に徹せよ。・・・以上、遵守せざる時は作戦も破棄とし、その全ての責はサイモンにあるものとする。異存は一切認めぬゆえ、さよう肝に銘じるが良い!」


 凛としたフェルの声が響き渡る。

 サイモンは苦虫を噛み潰したような顔を見せたが、不承不承という風に頭を下げた。



 作戦は決行され、国王軍は王城を出発した。

 今、輿に乗っているのは、王の装束を付けたマリウスである。

 フェルは、ダーヴィッド他ごく数名の兵士と共に、別の道を行くのだ。


 ヴァイゼはもう一度、王城を振り返った。

 もうそこに、フェルの気配を感じる事はできなかった。


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