第44話 涙



 翌日、国王軍が王城に帰還した。

 マリウスはフェルに会うべく、王の部屋へ向かった。


 すると中庭の方から、ヴルツェル語の会話が聞こえて来る。

 フェルとダーヴィッドだ。

 無事に帰ったのは知っていたけれど、二人の声を耳にして、マリウスは安心する。


 でも・・・どうも様子がおかしい。

 どうやら言い争いをしているようだ。


 マリウスは廊下の曲がり角から、顔だけを出す。

 中庭を臨む回廊に、フェルとダーヴィッドの姿があった。


「だからさっ!それのどこが不満なんだよっ!」

「余すところ無く、全てが不満です」


 食って掛かるフェルに、ダーヴィッドがきっぱりと返す。

 ここからは、ダーヴィッドの後ろ姿しか見えないが、聞こえる声は、いつになく怒りを含んでいるようだ。


「私を宰相にしようだなんて、何を考えているのですか、あなたは。サイモン卿が内務大臣として居られるのです。若輩の私が、その上に就くなんて、できるはずがありません」


「サイモンが悪いんだ!皆の前で、ダーヴィッドが俺を操っているような事を言いやがった。ダーヴィッドをサイモンより高い地位にすれば、そんな文句言えやしない。ダーヴィッドはまだ、はっきりとした役職に就いていないから・・・」


「フェルディナンドッ!」


 フェルの話を遮ったのは、ダーヴィッドの鋭い一喝だった。

 マリウスは、自分が言われたかのように、身体をビクリとさせる。


 驚いた。

 あのダーヴィッドが、怒鳴るだなんて。

 遠目ながら、こちらを向いているフェルの顔も、強張っているように感じる。


「サイモン卿は、ファーディナンド王誕生における、最大の功労者ですよ。それは、臣下全員が心得ています。そのサイモン卿を、臣としての最高位に置いているからこそ、他の臣たちも、あなたに尽くしてくれるのです。・・・分かりますよね?」


 聞かれても、フェルは口をきつく閉じたまま、答えない。

 少しの間のあと、ダーヴィッドのため息がもれた。


「・・・フェル、あなたがそういうつもりならば、私はこれ以上、あなたの側に居る訳にはいきません」


 えっ!

 マリウスは驚いて、目を見開く。

 もちろん、フェルも同じだった。


「そ、そんな事、絶対させないからな」

 声を震わせながらも、フェルが強気な事を言う。


「王の権力を使うつもりですか。ならば今すぐ、それの届かない場所へ行きます。ヴルツェルでもアランドラでも、私が身を寄せる所は、いくらでもありますから」


 ダーヴィッドは冷静そのもので、それが余計に恐ろしい。

 喧嘩の勢いでは無く、「本気だ」と言っている。

 フェルがダーヴィッドから逃げるように、顔を背けた。


 そして、やっと搾り出したようなか細い声で、

「俺を支えるって言ったじゃないか。ダーヴィッドがいなくなったら、俺一人でどうするんだよ・・・」

 そう言った。


 聞いていたマリウスの胸に、痛みが走る。


 俺、一人。


 ・・・じゃあ、僕は?


 息苦しさに襟元を掴んだ手が、震えた。


「・・・少し、言葉が過ぎました。大丈夫、どこへも行きませんよ、フェル」

 ダーヴィッドの声音が、柔らかいものに変わる。


「あなたを近くで支えるために、私は公職に就いていないのです。あなたの戴冠が終わった後にでも、適切な役職を頂戴しますから」


 フェルがコクリと頷く。

 労わるように、ダーヴィッドがフェルの肩をぽんぽんと叩いた。


 そして、くるりときびすを返す。

 ダーヴィッドと、壁から顔を出していたマリウスの、目が合った。


「おや、マリウス?」

 その名前に、フェルもこちらを向く。

 マリウスを見た途端、フェルは顔を赤くして目を逸らした。

 だから・・・


「・・・うん。何か難しい話してたようだから、声かけようか迷ってた。・・・終わったの?大丈夫?」

 と、壁から顔だけ出したままで、言った。


「大丈夫ですよ、気を遣わせましたね」

 ダーヴィットは、いつもの綺麗な微笑みを浮かべながら、マリウスのわきを通って行ってしまった。


 回廊にひとり残されたフェルは、さり気なく手の甲で目の辺りを拭う。

 泣いたのだろう。

 ダーヴィッドが離れてしまうと思って。


 けれどマリウスが近づくと、まるで何事も無かったような調子で、

「よう」

 と、片手を上げた。


「お帰りなさい、帰りがけに反対派の襲撃を受けたって?」

 だからマリウスも、そ知らぬ風で、別の話題を振る。


「そうなんだ、参ったよ。まさか国内で襲撃されるなんてな・・・」

 フェルもそれを受けて、襲撃の様子を語り出す。


 国民の絶大な支持を受けて国王となったフェルだが、その強引ともいえる即位には、反対を唱える勢力も、一定数あった。

 その、いわゆる「反ファーディナンド派」が今回、戦場から帰還するフェルを狙って、襲撃したというのだ。

 幸いフェルは無傷で、国王軍も大した損傷は無かったようだ。


 だが、フェルから実際の様子を聞くと、そうそう甘いものでは無かったと分かる。

 襲撃は奇襲で、エルーガ国内であった油断もあり、フェルが自ら迎撃したのだと言う。

 王であるフェルには、幾重にも護衛が付いているはずなのに・・・。


「やっぱり、僕も一緒に行かないと。前から頼んでいる事だ、僕も軍に加えてよ」

 黙っていられなくなったマリウスは、強く訴えた。


 なのにフェルは首を振って、

「マリウスは来なくていい」

 と、言った。


 ピシリと厚い氷が割れるような音が、マリウスの頭の中に響く。


「・・・来なくていいって、どういう事?じゃあ、僕はどうすればいいの?」

 寒くも無いのに、身体が小刻みに震えた。


「自由にしていいよ、もう俺に付いて回らなくていいんだ」

 そんな事を・・・フェルは・・・笑顔で言う。


「な・・・んで?もう、僕は君の身代わりにならなくっていいって事?」

「身代わり?」

 フェルは「何の事か分からない」という表情をしたが、すぐに思い出したようで、「ああ」と言ってから、声を出して笑った。


「そう言やあ、よく領主の仕事を代わってもらったな。・・・うん、そうだよ。俺の代わりなんてしなくていいんだ。マリウスはマリウスの好きなように・・・」


「ダーヴィッドには、『好きにしろ』って言えなかったくせに!」

 言ってしまって、マリウスは口を押さえた。


 フェルの顔がサッと赤くなる。

 それを見るまいと後ろを振り向いて、マリウスはそのまま駆け出していた。


 駆けて、駆けて。

 とにかくその場から、遠ざかりたかった。


 走っているうちに、涙が出てきた。

 泣きながら、どこへ向かうともなく、ただ駆けていた。



「マリウス様、どうなさいましたか?」

 その声に、マリウスの足が止まる。

 サイモンが驚いた表情で、立っていた。


 「何でもありません」と、言おうとして、言葉にならない。

 声を出すと嗚咽になってしまって、押さえようとしても止まらない。


 サイモンはマリウスの背中に手をそえて、ゆっくりと撫でさする。

「どうぞお泣きなさい、もう我慢なさらなくて良いのですよ」


 我慢しなくて良い。

 言われて初めて、自分が我慢していたと気づく。


 気づいたらもう、堪え切れなくて・・・。


 マリウスは、自分の気持ちを全て吐き出してしまう。


 それを聞きながら、ずっと背中を撫でてくれたサイモンの手は、大きくて、温かくて、優しかった。


 そう思った。


 そう・・・思ってしまった。



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