第18話 幽霊話
近頃、王城の夜は静かだと、王都の貴族たちは感じていた。
先代のフレデリク四世王の時代は、舞踏会だ、夜会だ、晩餐会だと、華やかな夜の催しが日を置かずに続いていたのだが、このところ、めっきり開かれなくなってしまった。
今のファーディナンド王は若いながら質実な性格で、外国の賓客があった時くらいしか、そういった催しを開かない。
だが、理由は国王の性格や方針だけでは無い事を、王都の貴族たちは知っていた。
王城の幽霊騒ぎである。
先代フレデリク四世の王妃、ヘレンの幽霊が現れるというのだ。
エルーガ王城は古い城であるから、昔からこんな話は山ほどあった。
長い歴史のなかで、不遇の死を遂げた王や王妃などは、何人も居るのだから。
しかしこれほどの騒ぎとなり、各所に影響を及ぼす話は、まず無かっただろう。
西ウェスペルの
ヘレン王妃は、ヴルツェル帝国皇帝の皇女であった。
隣国同士であるヴルツェルとエルーガは、長らく領土を巡っての紛争が絶えなかったが、ようやく両国が歩み寄り、和平条約を結ぶ事になる。
ヘレン皇女はその証として、エルーガ国王フレデリク四世と結婚し、エルーガ王妃となった。
しかし、夫のフレデリク四世王は、すでに愛妾との間に王女を二人儲けていて、歳の離れたヘレン王妃との仲は、はかばかしく無かった。
ゆえに王妃は、日ごと夜ごと、取り巻きたちと遊び過ごすようになる。
王妃が遊興に使う費用はかさみ、王室の財政は傾いて行った。
フレデリク王には、世継ぎとなる王子がいなかった。
ヘレン王妃が産んだ三人目の子も、王女だった事もあり、政府も国民も、「浪費ばかりして勤めを果たしていない」と、王妃に失望し、批判するようになる。
そしてフレデリク王は、世継ぎに恵まれないまま、急死した。
するとヘレン王妃は、自身が生んだ三人目の王女を世継ぎとするよう、エルーガ政府に要求する。
エルーガでは、王位を継げるのは直系男子のみであり、この要求は通らない。
だが、王妃は自分の意見を曲げようとせず、エルーガ政府と対立する。
母であるヘレン王妃が、幼い王女の後見としてエルーガを掌握し、母国であるヴルツェルに
政府と王室の対立は、政治の停滞を招き、物価は高騰し、治安は悪化した。
国民は、「ヘレン王妃こそが諸悪の根源である」として、憎悪を向けるようになる。
そんな折、和平条約を結んでいたはずのヴルツェル軍が、エルーガ領内へ侵攻した。
娘への王位継承が、はかどらない事に業を煮やしたヘレン王妃が、ヴルツェル軍をエルーガ国内に招き入れたとされ、国民は王妃の断罪を求め、決起する。
混沌とした状況のなかで、神託の王ファーディナンドが、国民の絶大な支持を得て誕生した。
ファーディナンド王は、ヴルツェル軍を撤退させ、エルーガの秩序を回復させた。
そしてヘレン王妃と、王妃に仕えていた者たちを、王城から排除。
ヴルツェル軍に有用な情報を流したとして、国家反逆の罪により、ヘレン王妃を投獄した。
その後、牢獄の火災により、ヘレン王妃は裁判を受ける事無く、死亡した。
そんな
王城に恨みつらみ、心残りがあるはずだと、誰もが思ったのだ。
しかも王妃が死して、まだ10年余り。
城内には生前の王妃を知る者も多く存在し、幽霊話は妙な生々しさを伴って語られる。
深夜、ヘレン王妃のガウンを被った幽霊が、王城の中を
使われていないはずの王妃の部屋から、話し声や、ピアノの音が聞こえるとか。
それも、聞こえる声は、エルーガ語ではなくヴルツェル語で、ピアノが奏でるのは、王妃が好んだヴルツェルの曲だったとか・・・。
いずれもヘレン王妃を
最初は王城の女官たちの噂に過ぎなかったが、目撃者は増えるばかり。
噂のうちは良かったが、その事象を恐れて、王城を辞する者たちが後を絶たなくなってしまった。
それは、城の下働きから政府の官僚に至るまで、実に幅広かった。
その中には、王妃に仕えていたものの、新政権に寝返った者たちも少なくない。
自分が恨まれ、呪われていると思い込み、その恐怖に耐えかねて、逃げ出したのだろう。
その影響は、王城の運営に支障をきたすまでとなってしまった。
無論、ファーディナンド王も手をこまねいていた訳ではない。
軍隊を動員して王城内を徹底的に捜索したり、最高司祭による
ならばいっそ、王妃の部屋を解体してしまおうと試みる。
ところが、その工事の関係者たちが、次々と体調を悪くしたり、不慮の事故に遭ったりしたのだ。
いずれも大した被害では無かったのだが、関係者たちは「王妃の呪い」だと震え上がり、工事を辞退してしまった。
噂はたちまち広がって、工事を請け負おうとする者は居なくなってしまった。
ファーディナンド王は、解体計画の中止を命じ、被害にあった工事の者に「見舞い金」を支払った。
そして、警護の衛兵を除く、王城で働く者たちの夜勤を極力減らして、どうにか人材の流出に歯止めをかけたのだ。
最近はこの騒動も収まりつつあるが、相変わらず王城の夜は
今夜も、エルーガ王城は静寂に包まれていた。
王城の門から、ひっそりと一台の馬車が出て行った。
馬車は堀に架かる橋を渡り、夜の王都へと消えて行く。
その様子を城内から眺め見下ろす者が居た。
櫛目を通した白髪混じりの髪に、口元で髭を品よく整えている初老の男。
エルーガ国の
走り去った馬車を見届けて、サイモンはため息をついた。
「クリントめ、ここまで報告に来る間に、するべき事があるだろうに・・・」
不出来な手下の
不機嫌な顔を映す窓から離れ、サイモンは部屋を出た。
静まった城の廊下を、靴音だけが響いている。
サイモンが向かったのは城の最奥、王宮にある国王の
近衛兵が護る、寝所の扉の前に立ち、
「陛下、夜分遅くに申し訳ございません」
そう声をかけると、
「・・・サイモンか、入れ」
中から許しがあり、近衛兵が扉を開いた。
薄暗い部屋の中央に、天蓋の付いた大きなベッドがある。
垂れ下がる薄い幕の向こう側に、ベッドの上で半身を起こしている、エルーガ国王ファーディナンドの姿が透けて見えた。
「どうした?」
「グリフォンが現れました」
短い返事に、王は薄布を捲くって姿を現した。
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