第19話 エルーガの君主



 今年25歳となる若い王は、ベッドの端に腰掛けて、くすんだ金色の髪をかき上げる。


「と、いう事は、もちろんフェルも一緒なんだよね。・・・元気だった?」

「クリントの首を締めて、気絶させるほどには」

「あははは、それは災難だったね」

 王は素直な笑い声を上げた。


 この王はいつもこうだ。

 臣下に対しても国民に対しても、気さくな態度で接している。


 貴族たちからは「君主らしからぬ」という声が囁かれているが、そこが国民の絶大な人気の要因でもあった。


「どうやら、ダーヴィッドを探しているようだと、クリントが申しております」

 サイモンの言葉に、王は驚いたように目を見開いた。


「・・・これは、ずいぶんと懐かしい名前を聞いたものだな」

「すでに死んだ男でございます」

「そう言うけどサイモン、結局死体は見つからなかったじゃないか」


 それを言われると痛い。

「面目次第もございません」

 言い訳を腹の底に沈めて、サイモンは王へ頭を下げる。


「フェル、ずっと探し続けていたのかな?ダーヴィッドの事」

 部屋の天井を見上げるようにして、王がポツリと呟いた。


「・・・分かりません。ですが、具体的な動きが見えたのは、初めてでございます。何か、ダーヴィッドについての手がかりを、入手したのかもしれません」


「そうだね。・・・で、サイモン。わざわざそれだけ聞くために、僕は寝入りを邪魔されたって事じゃないよね?」


 王は笑いながら、冗談めかして、言った。

 だが、その目の奥までは笑っていないのを、サイモンは見逃さない。


「もちろん策は講じてございます」

 切り返すように言って、サイモンはもう一歩、王へと近づいた。


「・・・少々手荒な事になるやもしれませんが、お許しいただけましょうか?」

「いいよ、任せる」

 王は躊躇ちゅうちょ無く即答した。


 サイモンはニヤリとした笑みを浮かべ、臣下の礼をもって謝意を表す。

 そしてそのまま寝所から下がる・・・はずだった。

 何かの気配がサイモンを引き止める。


「・・・どうした、サイモン?」

「あ、ああ、いえ。・・・不躾ぶしつけを承知でお尋ねしますが・・・ご寝所には陛下お一人でいらっしゃいますよね?」

 王は天蓋てんがいの薄布を大きく捲り上げて、空のベッドを見せた。


「期待を裏切って申し訳ないが、誰もいないよ」

「は・・・失礼を申し上げました」


 深く頭を下げるサイモンに、王は笑みを浮かべながら、

「どうした?サイモンまであの噂に毒されている訳ではあるまい?」

 と、言った。

 サイモンの眉間にぐっと皺が寄る。


「笑いごとではございませんぞ、陛下!そのおかげで陛下のご婚礼が遅れているのです。このままではお世継ぎを授かる事ができません!それがどれほど重大であるかはご存知のはず」

 サイモンの厳しい口調に、王はたちまち神妙な顔になる。


「・・・そうだったな、気をつけよう。・・・用が済んだのなら下がるがよい」

 そう言われては、臣下としては引き下がるしか無い。

 サイモンは退出の挨拶をして、部屋を出た。



 そう・・・時折だが、王の部屋に人の気配を感じる事がある。

 だが、気配だけで、王以外の人が居たためしは無い。


 王が気に入った女官などを、こっそり連れ込んでいるのかとも思ったが、どうやらそれも違うようだ。


 ファーディナンド王には、いまだ妃がいない。


 隣国の王女を王妃に迎える、というのが通例ではあるが、ヴルツェル、コライユとは国境線を争う戦いが長引いて、婚礼どころでは無い。

 もうひとつの隣国アランドラや、少々遠くであっても、国交のある国の王族などにも打診してはいるが、色よい返事はもらえない。


 それならばと、エルーガ国内に目を向けて、先代国王の王女や、王族の姫などに打診しているのだが、こちらも歯切れが悪い。


 ファーディナンド王は、誠実な人柄であるし、気性も穏やかで優しく、容姿も凛々しい。

 王を知る娘であれば、妃になりたいと思う者も多いはずだろう。

 ・・・で、あるのに、婚礼話は進まない。


 その理由が、「王城の幽霊騒ぎ」にあるというのだから、サイモンには頭が痛い問題だった。

 そんな城へ、新しい王妃として輿入こしいれして、呪い殺されたくはない、というのだろう。

 もちろん、誰もはっきりとは口に出さないが・・・。


 幽霊騒ぎがあって、真っ先に王城を出て行ったのは、亡きフレデリク四世王の愛妾と王女たち、そして母親の王太后だった。

 彼女らに従っていた、大勢の家臣や侍従も居なくなったので、王城内は一気に人が減って、沢山の空き部屋ができたのだ。


 それだけでも、夜に灯りの無い場所が増え、行きかう人も少なくなる。

 ただの「幽霊話」だったものが、これほど大きな「幽霊騒ぎ」となった原因の一端はそこにあると、サイモンは思っている。


 ましてや、ヘレン王妃にとっては、嫁ぎ先の義理の家族たちで、それが一番に逃げ出したのでは、「幽霊は本物だ」と公言したようなものだろう。


 王太后に至っては、ヘレン皇女を息子の正妃にと熱望し、反対勢力を抑えて実現させた経緯があるのだから、その責務からも王城に残って欲しかったと思う。

 そうであったのなら、婚礼に乗り気を示さないファーディナンド王に、王太后の立場から諭してもらう事もできただろうに・・・。


 サイモンは恨めしげに国王の居室を振り返った。

 その奥に、今は閉鎖されている王妃の居室がある。


 ヘレン王妃が健在であった頃は、たくさんの侍女や女官たちが出入りして、賑やかであったが、幽霊騒ぎ以降、近寄る者はほとんどいない。

 ひっそりと静まった廊下は、ともされる灯りも無く、深い闇に閉ざされていた。


「全く、死んでまでもなお、憎らしいお方だ・・・あなたは」

 サイモンが低く呟く。


 その暗い廊下の先から、鈴を振ったような笑い声が聞こえた・・・気がした。


 わずか25歳で、この世を去った若い王妃。

 思えば、今のファーディナンド王と同じ歳であったか・・・。

 11年という歳月を、今更ながら感じる。


 そう思った時、サイモンはふと、先ほどのクリントの報告を思い出した。


 とにかくクリントは、フェルとグリフォンの事を報告するのに必死だったが、その家で見かけた若い女中の話もしていた。


 些末さまつな話だと聞き流していたが、考え直せば、その重要な報告の中になぜ、商家の女中の事など話さなければならないのか。


 サイモンは注意深くクリントの話を反芻はんすうする。

 そして、

「・・・あの大バカ者めが!詰めが甘いのは何年経っても変わらない!」


 吐き捨てるように言うと、サイモンは再び自分の執務室へ戻るべくきびすを返す。


 ひと仕事どころか、大仕事になりそうだ。

 走らんばかりの勢いで、サイモンは王宮を後にした。



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