第22話 リンデン寺院



 翌朝早く、ローズ、フェル、ヴァイゼはリンデンに向けて飛び立った。


 周囲がすっかり明るくなる頃、眼下にリンデン寺院の建物が見えてくる。

 集落から離れた山のふもとに、それはあった。


 辺りは、乾いた地面にへばりつくような、小さい藪や草地が点在しているだけの、これといって何も無い、荒涼とした寂しい場所であった。


 寺院の周囲には塀や柵などは無かったが、石造りの頑丈な建物が、広い中庭を四角く取り囲んでいる。

 中庭はその外の土地とは違って緑が多く、尼僧たちが自給自足するための畑や、家畜小屋のようなものも見えた。

 まさにそこだけで完結できる、小さな世界であった。


 地面に降り立って、ローズは改めて辺りを見渡した。

 土ぼこりの舞う大地は、空から見るよりもひたすら茶色く感じる。

 その中にぽつりと建つ、石の塊のような建物には、ただひとつだけ木の扉が付けられていた。


「・・・あれが玄関ですね」

 ローズが扉を指差す。

「そのようだな。じゃあ、俺たちはここにいるから」

 軽く手をあげるフェルに頷いてから、ローズは寺院へと走って行った。


 分厚い木の板を鉄板で補強した、重そうな扉には、小さな鐘が備えられている。

 そこから下がる綱を引くと、カランカランと乾いた音を立てた。


 やや間があって、人が近づく気配があった。

 カタンと扉上部の小窓が開き、そこから鋭い目だけが出る。


「あ、あの、ドラゴン退治の事で来ました」

 ローズの声を聞いて、見えていた目はフッと柔らかくなり、

「お待ちしていました」

 と、扉を開けてくれた。


 中から出てきたのは、濃い灰色の僧衣を纏った尼僧にそうだった。

 腰のあたりに紺色の帯を巻いているほかには、何の飾りも付けていない。

 目深まぶかに被った頭巾からやっと見える表情は、まだ歳若い娘のように思える。


 尼僧はローズの背中越しに、フェルとヴァイゼを見つけると、「ヒッ」と短い悲鳴を上げて、扉の内側へと戻ってしまった。

 ローズはあわてて、再び扉を閉められないように手で押さえる。


「あ、あの、尼僧長はいらっしゃらないのですか?尼僧長ならば、男の人と会話ができると聞いていますけど」

 これは事前にフェルから聞いていた話だ。

 戒律の厳しい尼僧院の中で唯一、世俗の男子との会話が許されるのは、寺院の責任者である尼僧長だけなのだ。


「尼僧長様はお留守です。王都の大聖堂にお出ましになっている最中の、このドラゴン騒動で、今はリンデン村に留っておられます」

 尼僧は何とか扉を閉めようと、内側に引っ張りながら、早口で答える。


 ローズはフェルを振り返った。

 フェルは尼僧の声が聞こえたようで、ひとつ頷く。

 それを見て、ローズはできるだけ穏やかに尼僧に話しかけた。


「大丈夫です、お話はわたしが聞きますから。彼はその話がただ聞こえているだけで、声は絶対かけませんから。それならばあなたの罪にはならないはずです」

 と、フェルと打ち合わせていた通りの説明をする。


 尼僧は少し考えた後、意を決したように外に出てくれた。


「ありがとうございます」

 ローズはホッとして頭を下げる。


 尼僧は、フェルたちに背をむけるように立った。

 それでも、こちら側の事情は理解してくれたようで、大きな声で話を始める。


 ひと月前ほどから、この先のリンデン村にドラゴンが出没し、畑を荒らしたり、家畜を襲ったりするようになった。


 村人たちの努力で、村からは追い払う事に成功したが、そのドラゴンが山に帰らず、この辺りに留まって寺院を襲うようになってしまった。


 寺院に、香や蝋燭ろうそくなどを届けている村人が事態に気付き、王都から帰って来た尼僧長を村に引きとめて、魔獣狩人へ退治を依頼するよう勧めたのだという。


 寺院では、今のところ大きな被害は無いが、いつドラゴンが襲来するか予想がつかないので、尼僧長も寺院に帰れる目処めどが付かない。


 尼総長不在のなか、尼僧たちは不安と恐怖にさいなまれている、と、言うのが大まかな内容であった。


 更にローズは、ドラゴンの特徴、被害の様子などを細かに聞きだす。


 これも、フェルが聞きたい事柄を、ヴァイゼを介してローズに伝え、ローズが尼僧に質問しているのだ。

 ヴァイゼの声ならば、尼僧には聞こえないので、都合が良い。


 話を終え、ローズはフェルとヴァイゼの元へと戻った。

 ヴァイゼの頭の上に乗っていたカイムが「キュー」と啼いて、ローズの肩へと飛んで行く。


「・・・話が分からない」

 開口一番、フェルに言われて、

「わ、わたしの聞き方が悪かったですか?」

 恐る恐るローズが問う。


「あ、違うんだ。話の筋が通ってないって事だ」

 と、フェルは軽く笑った。


「尼さんの話から察するに、現れるのは無翼竜むよくりゅう、つまり飛べないドラゴンだ。まあ、だからこそまだ被害が無いんだろうが、それならなぜドラゴンはここに留まっている?山へ帰れば餌があるのに」

 ローズは「あっ」と短い声を上げた。


 辺りを見回しても、ドラゴンの餌となりそうな動物の姿も無いし、実が付くような木も無い。

 寺院の中庭には家畜がいるようだが、頑丈な石造りの建物ががっちりと囲んでいるので、建物を跳び越えるか破壊しなければ、中庭に入る事はできない。


「ヴァイゼ、見張りを頼む」

 言ってフェルは、寺院の建物へと歩いて行った。

 ローズも後に付いて行く。


「窓が高くて小さいのが幸いしたな。ドラゴンが届く位置にあったら、そこを手がかりにして乗り越えられてしまったかもしれない」

 高い外壁を見上げて、フェルが言った。


 外壁にある窓は、明り取り用の小さなものばかりで、屋根に近い場所に付いている。

 ドラゴンが手を伸ばしたのだろう、爪で引っかいたような跡が付いていた。


「あの窓に届かないのなら、それほど大きなドラゴンじゃ無い。まぁ、だからこそ村人だけで撃退できたんだろうが・・・」

 その言葉に、ローズは感心してフェルを見た。


 視線に気づいたフェルが、壁についた傷を指差す。

「ドラゴンの手足はそれほど長くないから、手を上げた高さが、ほぼ体長と考えていい。そうだな・・・俺の背より頭ふたつ分高いくらいか」

「・・・それでも大きくないんですか?」

 目を真ん丸くするローズを、フェルはニヤリと笑った。


「横たわった体長が、この壁よりも長いドラゴンを、俺は見た事がある」

「ええっ!」

 ローズは驚いて、左右に伸びる壁を見る。


 こんな長さのドラゴンが立ち上がったら、どんな高さになるのだろうか。

 材木にするために、高く真っ直ぐ生やしている、バーチ家の森の木よりも、きっと高いだろうと思う。


「そんなドラゴンにお目にかかる機会は、滅多に無いよ。魔獣亭に貼り出される依頼では、まず無い」

 笑いながらフェルが言うので、ローズはホッと安心の息をついた。


「こうして現場を見て回ると、依頼書に書かれていない事や、依頼人からでは分からない事柄も見えてくる。できるだけ情報を集めておけば、仕事がやりやすい」

 フェルの言葉に、ローズはこくこくと頷いて、注意深く壁を見直した。


 すると、壁のあちらこちらに、ドラゴンの痕跡を発見できたのだ。



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