第21話 自由を謳う



「フェル!止めろっ!」

 鋭い声はヴァイゼのものだ。

 ローズはすぐに引き起こされ、顔を覆っていたものを取り除かれる。


「・・・ローズ」

 目の前にフェルの青ざめた顔があった。


「すまなかった、ローズ。・・・怪我はないか?」

 何が起きたのか分からないまま、ローズは呆然としてコクコクと何度も頷いた。

 それを見たフェルは、心底安心したような息を吐いて、ゆっくりとローズから手を離した。


「わ、わたし・・・フェルさんがうなされていると・・・」

 震えるローズの声に、今度はフェルが頷く。


「ああ・・・分かっている。すまなかった、許してくれ・・・その、勘違いした」

 ローズのすぐそばに、フェルが掛けていたマントが落ちていた。

 どうやらこれが、ローズの顔を塞いでいたようだ。


 勘違いした。

 フェルはそう言った。

 悪夢の続きと思ったのだろうか?


「本当に・・・悪かった」

 謝るフェルの方が、真っ青な顔をしている。


「フェルさんこそ、大丈夫ですか?」

 ローズの言葉に、フェルは一瞬、意外そうな顔を見せてから、

「・・・大丈夫だ」

 と、微笑んだ。


 そしてゆっくり立ち上がると、小川の方へと歩いて行く。

 川べりに腰を下ろして、ドボンと水の中へ顔を浸した。


 思い出した。

 ダーヴィッドという名前。


 バーチ家でクリント卿の首を締め上げながら、フェルが言っていた名前だ。

 確か行方を聞いていたようだった。


 川から顔を上げたフェルが、頭を振るっている。

 そうして水気を飛ばそうとしているのか、それとも別の何かを振り払おうとしているのか。

 ローズは荷物の中から乾いた布を取り出すと、フェルの元へ行き、差し出した。


「ありがとう」

 受け取って、フェルは顔を拭く。

 ローズは思い切って聞いてみる。


「ダーヴィッドって・・・誰ですか?」

 拭いていた手を止めて、フェルは濡れた髪のすき間からローズを見た。

 榛色はしばみいろの瞳が、なぜだかすごく冷たい色に見える。


 やはり聞いてはいけなかったのだろうか、と思った時、

「・・・ダーヴィッドは、俺の死んだ母親の弟だ」

 と、教えてくれた。


「俺を育ててくれたのは、母方の祖父じいさんで、ダーヴィッドは兄代わりみたいなもんだった。・・・10年前に行方知れずになって、それきりだ」

 ローズは目を丸くする。


 10年前。

 フェルが魔獣狩人を始めたのも、10年前だ。

 もしかして、ダーヴィッドが居なくなったから、魔獣狩人を始めた?


 だとしたら・・・さっき耳にした、11年前のツケって何なのだろう?

 その頃フェルは、兄代わりのダーヴィッドと一緒に居たはずなのだ。

 そこに・・・幼い自分がどうして関わっているのだろうか?


「・・・ローズ、どうした?」

 フェルに呼ばれて、ローズは我に返る。


 何でもない・・・と、言おうとして口をつぐんだ。

 11年前に何があったか、フェルに聞きたかったが、ヴァイゼとの話を盗み聞きしていたとは、言えるはずが無い。

 だから・・・


「10年前って、フェルさんが魔獣狩人を始めた頃ですよね?それまではダーヴィッドさんと一緒だったのですね。狩人になる前って、何をしていたのですか?」

 と、聞いてみた。


「俺は・・・王様だった」

 フェルが答える。


 思ってもみない返事に、ローズは目をぱちくりさせてフェルを見た。

 星を見ているのか、それともその先の何かを見ているのか、フェルはじっと顔を天へと向けている。

 そして、黙ってしまった。


 冗談・・・なのかな?

 冗談・・・よね?

 笑えばいいの・・・かな?


 こういった会話に慣れていないローズは、どうしていいのか分からない。

 チラリとヴァイゼを振り向くが、ヴァイゼもフェルを見たままで、何も言ってくれない。


 だから、

「お、王様・・・って、どこの?」

 思わず、聞き返してしまった。


「・・・青い国」

「青・・・?」

 聞いておきながら、答えが戻ってくる事に、驚く。


「青い、どこまでも青い波がひらめいていた。青く、青く、ただひたすらに青で埋め尽くされた国・・・」

「ええっ!本当に!」

 びっくりして、ローズは大きな声を上げる。

 まさか、本当に王様・・・だった!?


「・・・ぶふっ」

 空を見上げていたフェルが、吹き出した。

「あっははははははは・・・・」

 身体を折り曲げて、大笑いする。


「・・・な訳無いだろ、ローズ。冗談だよ、冗談」

「は・・・」


 涙が出るほど笑っているフェルに、ローズは呆然とするが、次第にからかわれたのだと分かってきて

「ひどいです!フェルさん!」

 と、口を尖らせる。


「悪い悪い、調子に乗りすぎた」

 謝りながらも、フェルはまだ可笑おかしそうにしていた。


「・・・じゃあ、『青い国』も冗談なんですね。『どこまでも青い波がひらめく』なんて景色、見てみたいと思ったのに・・・」

 ローズの残念そうな問いに、フェルは笑いを止める。


 そして、

「・・・あったよ、その国は。・・・すごく昔の事だけどね」

 と、言った。


「青い国の王は、普通の少年だった。民たちから強く頼まれて、王になった。少年には神様のしるしが付いていたからだ。けれど民たちが欲しかったのは、少年では無くて、その神様の印だった。・・・民たちは王になった少年から、神様の印を奪い取って、少年を殺してしまった。その後、青い国は無くなってしまった。・・・昔の話だ。もう誰も知らないくらいの・・・」


 とつとつと語るフェルの声からは、冗談とは思えない響きがあって、

「それは、お伽話とぎばなしですか?」

 そうローズが聞くと、

「・・・ああ」

 と、フェルが微笑んだ。


 お伽話と聞いて、ローズはパッと明るい気持ちになる。

 孤児院に居た頃に、お伽話の本を読んでもらうのが大好きだった。

 バーチ家に来てからは、そんな機会も時間も無かったが・・・。


「そのお話、もっと話してくれませんか。きちんと聞きたいです」

 ローズはわくわくして、フェルの方へと近づいた。


 けれど、フェルは苦笑して、

「あー・・・ごめん。俺もよくは知らないんだ」

 申し訳無さそうに頭を掻く。


「ヴァイゼも知らないの?」

 博識なグリフォンにたずねるが、

「・・・すまないな」

 と、こちらも残念な返事だった。


 ローズはため息をついて、所在無く地面の草を撫でる。

 そして、思いついた。


「・・・もしかしたら、どこかにそのお話が載った本があるかもしれないですね」

 フェルが、あっけにとられたような顔になった。

 ローズはおかまいなしに、自分の発見を大喜びする。


「そうだわ、本を探せばいいのよ。きっとあるわ。孤児院にも本があったもの。・・・わたし、早く字を覚えて、本を読めるようになります」

 言って、ローズは自分の胸に手をあてると、大きく息をついた。


「・・・わたし、ここへ来れて良かった。あきらめないで良かった。頑張って良かった」

 そして空を見上げる。

「今のわたしには、字を覚える自由がある。本を読む自由がある。・・・嬉しいです、すごく」


 きっと、この景色を忘れない。

 この遠く深く、どこまでも広く輝く満天の星空と、凛とした夜の冷気と、草の匂い。

 これらの中に包まれる自分を、誇らしく思った事を。


 この景色は、わたしが自ら選び取ったものなのだ。

 ローズは、自分で自分を抱きしめた。



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