第23話 混濁のドラゴン
体当たりをしたような跡、爪で掻いたような傷、いずれもドラゴンのものと思われる血や外皮が付着していて、ローズは恐ろしいというよりも、痛々しいという思いに駆られる。
だがフェルは顔色ひとつ変えず、それらを丹念に観察しながら、
「・・・外皮を傷つけるほど、壁に身体をぶつけている?いや、こすり付けているのか?なぜそんな事をする?」
ぶつぶつとつぶやいた。
石造りの壁は、ところどころ欠けたり、ひび割れたりしていた。
今は建物自体に不具合があるようには見えないが、こんな事が続けば、いつか壊されてしまうだろう。
「リンデン村はこの事態を知っている。一度撃退できたドラゴンなのに、なぜ村人たちは手を貸さず、狩人を雇うのを勧めたんだ?・・・ドラゴンの行動といい、謎だらけだな」
フェルが腕を組んで考え込んだ時、ふとローズは近くにカイムがいない事に気づいた。
「カイム!どこにいるの?」
呼ぶと、かすかに「キュー」という弱々しい声が返ってきた。
声を頼りに探してみれば、少し離れた低い
「どうしたのカイム、おいで、怖くないわよ」
膝をついて声をかけても、カイムは身を縮めて、出て来ようとしない。
「無理もないな。カイムは小さいのだから耐えられないのだろう」
ヴァイゼの言葉に、フェルもローズも驚いて振り返る。
「この辺り一帯、とても嫌な匂いがする」
言ってヴァイゼは、顔をしかめた。
嫌な匂い?
ローズとフェルは顔を見合わせる。
そんな匂いは全く感じないからだ。
「嫌な匂いか・・・。俺たちには分からない種類のものなのかな?ヴァイゼ、具体的にどういった感じなんだ?今まで嗅いだことがあるか?」
「表現し
よほど嫌な香りなのだろう。
ヴァイゼはそう言いながら、
「ヴァイゼはそもそも香水が苦手だからな。しかし、瓶の中に浸かっているとはおだやかじゃない。・・・そうなると、お前の嗅覚を頼りにドラゴンを捜すというのは難しいな」
フェルが言うと、ヴァイゼは申し訳無さそうに、低く唸った。
「仕方無いさ、ドラゴンが来るのを待ちながら、対策を考えよう」
フェルは「気にするな」と、ヴァイゼに向けて手を振った。
しかしヴァイゼは、それに応えず、じっと山の方を見ている。
「・・・その必要は無さそうだ」
ヴァイゼの声に、フェルはハッとして同じ方向を向いた。
「来た」
首を高く上げて、遠くを見ていたヴァイゼの眼が、標的に固定される。
ローズもその方向に目を凝らした。
山の方から何かが駆け下りて来る。
「おいおい、何をそんなに急いでるんだ。待っててやるからゆっくり来いよ」
軽口を言いながら、フェルは背中にあった長い棒を引き抜き、ベルトの内側の鞘から短剣をも抜いた。
いや、ローズはずっと短剣だと思っていたのだが、それを棒の先に装着するのを見て、槍の穂先なのだと分かった。
地面を揺らすような
すでに目の前と呼べる位置にそれは居た。
「これが・・・ドラゴン」
乾いた呟きがローズの口から漏れる。
初めて間近で見るドラゴンに、ローズの足が震えた。
ひと言で表すのならば、巨大なトカゲとでも言おうか。
独特の外皮に覆われた短い手足、長い尻尾。
目元まで裂けた口からは、鋭い牙と赤い舌がのぞいている。
「・・・何だコイツ、眼の色がおかしいぞ」
目前に迫ったドラゴンを見上げて、フェルは
同じ魔獣であるヴァイゼが、宝石のような美しい瞳をしているのに、このドラゴンは
それはとても不気味で、魔獣というよりは怪物のようだと、ローズは思った。
四つ足で駆けて来たドラゴンは、行く手に立ちはだかるものに対し、
さっきフェルが推察した通り、フェルよりも頭二つ分くらい大きい。
けれど、立ち上がってこちらを見下ろすその姿は、実際の体長よりもはるかに大きく感じられた。
「ローズ!」
呼ばれて、ビクリと身体を跳ね上げる。
「今のうちだ。怖くて嫌だというのなら、カイムをつれて逃げてくれ」
フェルは槍をドラゴンに構えたままで、振り向こうとしない。
ヴァイゼも姿勢を低くして翼を上げ、ドラゴンを見据えている。
ローズはグッと両手の拳を握り締めた。
「こ、怖いけど、怖いけど・・・わたし逃げません!」
震える声で、それでも精一杯叫ぶ。
「・・・いい覚悟だ」
肩越しにフェルが笑いかける。
「カイムが隠れている茨の所まで、前を向いたまま下がれ。奴に背中を向けるなよ」
「は、はいっ!」
言われた通り、ローズは少しずつ後ずさった。
茨の下をそっと覗くと、カイムの尻尾が見えた。
どうやら茨の中に頭から潜っているらしい。
けれどここならば、茨の
ドラゴンは咆哮を上げ、鋭い爪でフェルを引き裂こうとする。
それを彼の槍が受け止めた。
ドラゴンの背後に廻ったヴァイゼが、飛び上がって
ドラゴンは鋭い叫びを発して、ヴァイゼを叩き落そうと尻尾を振り上げるが、間一髪で飛び上がったヴァイゼには届かない。
「フェル、このドラゴンからもあの匂いがする」
「何だって?」
フェルが空中のヴァイゼを見上げた時、寺院から大勢の女性の
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