第24話 手段と決断



 尼僧たちが祈りを唱和しているのだ。

 このドラゴンの咆哮が、寺院の中にも届いたのだろう。

 その恐怖に、彼女たちは神への祈りでしか対抗できないのだ。


 するとドラゴンはそれに導かれるように、目前のフェルとヴァイゼを放って、寺院へと歩き出した。

 そして壁に身体を密着させると、こすり付けはじめた。


 ローズはその様子を、猫が身体を摺り寄せているようだと思った。

 しかしそれはそんな可愛らしいものではなく、動作は次第に激しくなり、ドラゴンの外皮から血が滲み、皮が剥がれた。


 それでも止めようとはしない。

 そのうち身体を打ちつけるようになり、壁を相手に体当たりしたり、頭を打ちつけたりと暴れだした。


「・・・そうか!エロジオン薬か!」

 何かに気づいたフェルは、大急ぎでローズへと走り寄った。

 ヴァイゼもそこへ降りて行く。


「ローズ、あんたにやってほしい事がある。あんたにしかできない事だ」

 思いがけない言葉に、ローズは不安で震える胸を押さえた。


「寺院の中に入って、尼さんたちが焚いているこうを持ってきてほしい」

「お香、ですか?」

 言われてみれば、寺院の方からそれらしき香りが漂ってきている。

 これがヴァイゼが言っていた「嫌な匂い」なのだろうか。


「恐らく、香の中に魔獣用の薬を混ぜている。魔獣を酔わせて大人しくさせる薬だが、使いすぎると魔獣は錯乱さくらんして、薬を欲しがり暴れるようになる」

 フェルが説明をしている最中も、ドラゴンは激しく壁に体当たりをしている。

 石を積んで作った壁から、パラパラと欠片かけらが落ちるのが見えた。


「尼さんたちは、祈りのたびに香を焚いているんだろう。皮肉な事に、ドラゴンから護ってくれと神に祈るたびに、自分たちでドラゴンを招き寄せてしまっていた。ああして体当たりをしているのは、匂いの元に近づこうとしているんだ。ドラゴンが疲れて動かなくなれば、尼さんたちも祈りを止めて香を消す。匂いが立たなくなってしまえば、ドラゴンも山へ戻る。・・・今のうちは」


「きっと、お寺の建物に匂いが染み付いてしまっているのね。今はまだ山へ帰るけれど、こんな毎日を繰り返したら、染み付く匂いが濃くなって、ここに居座ってしまうかもしれないのですね」

 ローズの答えに、フェルは満足そうに頷いた。


「そうだ。匂いに慣れていないヴァイゼとカイムが、それに気づいた。・・・なるほど最初は『嫌な匂い』だと感じるのか。魔獣にとっては危険な薬だから、ある種の防御機能が働くんだろうな。それが一線を越えると、欲しくてたまらなくなる。頭の中を薬に乗っ取られるようなものだな・・・」

 フェルが感心して呟くと、ヴァイゼは「とんでもない」とでも言うように、顔をしかめながら頭を振った。


「建物が壊されてからじゃ遅い。すぐにケリを付けなければ」

「でも、玄関を開けてくれるかしら?」

「まず無理だろうな」


「・・・じゃあ、どうやって?」

 ローズが不安そうに尋ねると、

「空から行く」

 そう言ってフェルは、天空を指差した。

 ヴァイゼに乗って中庭へ降りようというのだ。


「けれど、ヴァイゼをあまり寺院に近づける事はできない。ヴァイゼも魔獣であるのは変わりないから、この薬を吸ってしまうのは良くない」

 フェルの言葉に、ヴァイゼが低く唸った。


 ローズは足元のカイムを心配した。

 ドラゴンよりもヴァイゼよりも、カイムはうんと小さいのだ。


 そのローズの気持ちを察したのか、フェルが茨の方を見て言った。

「ここは寺院に対して風上だし、地面近くなら大丈夫だろう。・・・だが、できる限り早く決着を付けたい。ヴァイゼとカイムへの影響を、最小限に抑えなければ」


 ドラゴンは寺院の壁に体当たりを続けている。

 肉が裂け、血が流れても、止めようとする気配は無い。


 カイムやヴァイゼが、ああなってしまうかもしれないのだ。

 ここは何とか頑張らなくてはならない。

 ローズは心を奮い立たせる。


「わたしはどうすれば良いのですか、フェルさん」

 フェルはローズの肩に手を置いて、しっかりと目を合わせた。


「ヴァイゼが近づけるギリギリの高さから飛び降りるんだ。そして聖堂へ向かい、香炉ごと持ち出して、俺を呼んでくれ。俺がドラゴンの気を引いている隙に、玄関から出て来い。・・・いいな、分かるな」

 フェルの目を見ながら、ローズは何度も頷いた。


 飛び降りるなんて、考えただけでも足がすくんでくるが、それでもやらなければならない。


「行きます」

 そう答えたローズを、フェルは素早く抱きかかえて、ヴァイゼへと乗せた。


 あっという間の動作で、ローズは声を上げる事も、恥ずかしがる間も与えられずにヴァイゼの背に横座りの格好で座らされてしまう。


「鞍をしっかり掴んでいろ。ああ、またがなくていい。跨いでしまうと飛び降りるのが難しくなってしまう」

 なるほど、この姿勢ならば、腰をずらせば滑り落ちるように降りられる。


「よし、ヴァイゼ行け!」

 フェルの声を合図に、ヴァイゼは地面を蹴って飛び上がった。

 寺院が俯瞰ふかんできる高さまで、一気に上る。


 下を見ていると、そのままずり落ちてしまいそうになる。

 いくら何でもそれは気が早い。


「降りるぞ」

 ヴァイゼはゆっくりと降下し始めた。

 それは自分の限界を探るようで、できるだけ地面に近づこうという配慮を、ローズは感じ取った。


 だから、

「もうここで大丈夫!」

「なっ!無理だ、もう少し・・・」

 ヴァイゼの制止も聞かずに、ローズは空中に身体を投げ出した。


 それでも一応は算段があった。

 目指した落下地点は、家畜小屋の屋根だ。


 上から見た時、小屋の屋根は藁葺わらぶきだった。

 それなら落ちても痛くないかもしれないと考えたのだ。


 けれど当然ながら、屋根より高い所から飛び降りるなんて経験は初めてで、鞍から手を離した後は、どうする事もできないまま、ただ落ちて行くだけだった。


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