第25話 聖堂の声
バリバリッ!と大きな音を立てて、ローズの身体が家畜小屋の屋根を突き破る。
衝撃があった後、柔らかいものにボスッ!と深く落ち込んだ。
メーメーと、どこかで聞いた事のある啼き声がする。
ローズは、大量の干し草の中に埋まっていた。
藁葺き屋根には派手に穴が開いて、上空を旋回するヴァイゼが小さく見える。
どうやら家畜小屋の中の、飼料置き場に落ちたらしい。
屋根を壊した衝撃はあったものの、干し草がローズの身体を受け止めてくれたので、怪我らしい怪我はしていないようだ。
ローズはどうにか身体を起こして、干草を支えている横板を伝って下に降りた。
小屋の中には数匹のヤギがいて、突然空から降ってきた人間に驚いたのか、さかんに啼いている。
屋根を突き破るとまでは、考えていなかった。
ヤギたちの方へ落ちていたらと思うと、ローズは今更ながら、自分の無謀にゾッとした。
ヴァイゼはきっと心配しているはずだ。
無事だという事を早く知らせなければ、降りて来てしまうかもしれない。
ローズは干し草が身体中についたまま、中庭の真ん中に駆け出し、空に向かって大きく手を振る。
円を描くように飛んでいたヴァイゼは、ひとつ高く啼くと、そのまま風上の方角へと向かって行った。
ローズはぐるりと周りを見回す。
大きな四角い建物は回廊がめぐらされていて、そこから中庭と建物の行き来ができるようになっているようだ。
走って回廊に上がり、尼僧たちの祈りが聞こえる方へと向かった。
こうして建物の中に入ると、ドラゴンが壁を叩く音がやけに大きく聞こえる。
建物自体が揺れるような感じもする。
頑丈な石造りだから、これで済んでいるのだろう。
木造だったらひとたまりも無い。
けれどもフェルが言うとおり、このままこんな事が続けば、壁のどこかが壊れて、ドラゴンが中に入ってくるかもしれない。
その恐怖は、建物の中と外ではこんなに違うものかと、ローズは実感した。
これは早く解決しなければ。
祈りの声に誘われるように走って行くと、複雑な模様を彫刻された扉に行き当たる。
ローズはその扉を押し開いた。
立ち込めた香の匂いが押し寄せる。
蝋燭が灯された祭壇に向かって、尼僧たちが祈りを唱和していた。
皆、一心不乱で、ローズという部外者が入って来てもなお、その祈りを途切れさせる者はいない。
祭壇の手前に香炉が置かれているのを見つけて、ローズは尼僧たちの間を走りぬけ、それを手に取った。
「あなた!何をするのです!」
最前列の尼僧に
「外のドラゴンを退治するのに、これが必要です。貸して下さい!」
しかし尼僧は、ローズの腕を掴んでそれを拒んだ。
「なりません!神のお道具を魔獣退治に使うなど、もってのほかです!」
ローズは驚いた。
まさか拒否されると思っていなかったからだ。
「必ずお返ししますから、持ち出すのを許して下さい!」
「いいえ!神聖なお道具を寺院の外に持ち出すのには、尼僧長様の許可が必要です!」
尼僧は
「ドラゴンを退治しなければ、尼僧長様だって帰って来られないじゃないですか!」
「ですから私たちはこうして祈りを捧げているのです。この苦境を越えるのに神のご加護が必要なのです。どうぞ邪魔をしないで下さい」
丁寧な言葉使いではあるが、完全な拒否を示される。
気が付けばローズは、聖堂じゅうの尼僧たちから、嫌悪の視線を投げられていた。
どうして分かってくれないのか。
こうしている間にも、ドラゴンが身体を打ちつける音が響き、建物が
「早くしないとこの建物が壊れてしまうのよ!それでも良いと言うの?」
たまらずに声を荒げる。
だが、尼僧たちは悟りきった顔で口々に言った。
「それが神の御意思なら」
ローズは腕に縋りつく尼僧を、力ずくで振り払う。
そして祭壇を背に、尼僧たちの前に立った。
「もしこれが罪だと言うのなら、その罰はわたしが受けると、神様に伝えなさい!」
言い放って、香炉を両手でしっかり抱えると、ローズは聖堂を飛び出した。
そしてお腹の底からの大声を出す。
「フェルさんっ!フェルさーんっ!」
名を呼びながら、玄関へとひた走る。
「ローズ!」
玄関の扉の向こう側から、フェルの声が聞こえた。
それだけではない、ドラゴンの唸りも聞こえる。
そうか、この香炉の匂いにつられているからだ。
こんなものを持ったまま外に出たりしたら、それこそドラゴンの爪で裂かれるかもしれない。
足が震える。
でも・・・!
「合図したら出て来い!いいな!」
「は、はいっ!」
扉の向こうで、フェルがドラゴンと格闘する気配を感じる。
ヴァイゼの翼が羽ばたく音もする。
きっと、風上で黙って待っている気になれないのだろう。
それを咎めるフェルと、半ば口げんかしながらやっている。
ふいにズドン!と何か大きなものが転がる音が立った。
「今だ!」
声はヴァイゼのものだった。
ローズは扉を開けて、外へ飛び出した。
見えたのは地べたに転がるドラゴンと、肩で息をするフェルだ。
・・・倒したの?
「怪我は無かったか?ローズ」
ヴァイゼの声がする。
ちゃんと風上の、あの茨の前に居た。
「よくやったな、それを貸してくれ」
手を差し出すフェルに、ローズは香炉を渡す。
その時、倒れていたドラゴンがモゾモゾと動くのが見えた。
「ローズ!ヴァイゼのところまで下がれ!」
フェルがローズを押しのけるようにして前へ出る。
ドラゴンは再びカッと目を開き、反動を付けて身体を起こした。
ローズはヴァイゼの元へと走る。
「ほら、お前さんが欲しかったものはこれだろう?」
ドラゴンに見せ付けるように、フェルは片手で香炉を高く上げた。
その裂けた口を吊り上げて、ドラゴンが笑ったように見えた。
ひときわ高く吼えたドラゴンは、フェル、いや、香炉に向かって突進してくる。
ドラゴンの伸ばした手が香炉に届くか、と、いうほどの間合いで、フェルは手に持っていた香炉を、勢い付けて空へと放り投げた。
高々と投げられた香炉を追って、ドラゴンは二本足で立ち上がり、それを受け取ろうと両手を挙げた。
瞬間、フェルの槍が、無防備に開かれたドラゴンの右胸を
香炉が地面に落ちたその後に、地響きと
フェルは大きく息を吐くと、ローズとヴァイゼを振り返る。
「もう大丈夫だ」
駆け寄ったローズは、フェルの足元に転がっている香炉に、土をかけて消し止めた。
これでもう、ヴァイゼたちにとっての危険な香りは立たないはずだ。
そして恐る恐る、倒れているドラゴンを見る。
白目を剥いて、固まったように動かない。
「完全に気を失っている。少しの間は動かないだろう」
見ると、フェルの槍は穂先が下を向いていた。
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