第26話 エロジオン薬
ドラゴンを打ったのは柄尻、石突きの方だったのだ。
確かにドラゴンの胸に傷は無く、打ち込まれた場所が、赤黒くなっている。
ローズは驚いた顔をフェルに向けた。
「ローズ、フェルは魔獣狩人を名乗ってはいるが、ほとんど狩らずに逃がしてしまうという、妙な癖があるのだよ」
狩人なのに狩らない?
もっと驚いた顔を見せたローズを、ヴァイゼが軽く笑う。
「ヴァイゼ!余計な事をしゃべってないで手伝え!」
フェルは、腰に下げた物入れから、細い紐の束を二つ出すと、一つをヴァイゼへと投げた。
「この紐はワイバーンの皮でできているから、細くても丈夫なんだ」
ローズに説明しながら、ドラゴンの両手を合わせて、紐で縛り上げる。
ヴァイゼも
「・・・使われたのは『エロジオン』と言う薬だ。香のように
ローズは聞きながら、背中が寒くなるのを感じた。
グリフォンのカイムと長く暮らしていながら、そんな怖い薬があるとは知らなかった。
知らないというのは恐ろしいのだと、初めて思ったのだ。
「村人はこのドラゴンを、追い払ったのでは無く、捕まえたんだろうな。このくらいの大きさのドラゴンならば、おびき出して檻などに入れるのは、さほど難しくはない」
フェルは、縛られたドラゴンを見下ろして言った。
「・・・生け捕りにした、という事ですか?」
ローズの問いに、フェルはドラゴンに視線を向けたまま頷く。
「魔獣商人に売ろうとしたんだと思う。ドラゴンの成獣なら、高値で売れる。その上人間に馴れているのであれば、倍の値段になるんだ。大人しくさせて、馴らせようとエロジオン薬を使ったんだろうな」
ローズは、魔獣亭で「カイムを売ってくれ」と言われた事を、思い出した。
あの時商人は、自分に馴れているカイムに、金貨を山ほど出そうとした。
つまり、それ以上のお金で売れるという事なのだろう。
「人に馴れたドラゴンが欲しい」という者がいても、おかしくない。
そしてそれに、大枚をはたいても良いという者がいても。
「野生の魔獣、しかも成獣を馴らすというのは、簡単じゃない。薬が切れれば、元の野生のドラゴンに戻る。それでは困るから、薬を使い続ける。結果、中毒にさせてしまったんだろう」
フェルの話に、ヴァイゼが低く唸る。
ローズは
「こんな事になる前に、商人さんに引き取ってもらえば良かったのに」
「商人は来たんだと思うよ、だけど商談にはならなかったんだろう」
服についた砂埃を払いながら、あっさりとフェルが言う。
「どうして?」
「エロジオンが普通に使われていたのは、20年も前の話。今は、売り買いはもちろん、持つ事すら禁じられている。・・・禁制の薬を使われたドラゴンを、買い取る商人なんか居るものか」
フェルの言葉に、ローズは目を見開く。
使ってはいけない薬を、使った?
「ど、どうして・・・?」
再度疑問を投げかけるローズを、フェルは困ったような微笑で見る。
そして、「本当の事は、村人に聞かなければ分からないが」と、前置きしてから、自分の考えを話した。
「そういった禁制の品を、専門に売る商人が居るんだよ。・・・エロジオンを売りに来た奴に、そそのかされたんだろう。『魔獣に使って、大人しくさせて、商人に売り込めば大金になる』とか言われて。こんな痩せた土地の村は、大した産業も無くて貧しい。そこを付け狙われたんだな。20年前までは、ごく普通に使われていた薬だから、受け入れやすかったのかもしれない。・・・と、なると、このドラゴンが村を荒らしていたのかも、疑わしいな」
フェルの話を聞きながら、ローズは転がっているドラゴンへと目を移す。
村を荒らしていたからではなく、ただ山で暮らしていたドラゴンだったとしたら、理不尽なのは人間の方ではないだろうか・・・。
その時、ローズはある事に気づく。
「このドラゴンは、山から下りて来ましたよね。村で捕らえられていたドラゴンが、どうして山に居たの?・・・檻を壊して逃げ出したのかしら・・・」
とにかくも山へ帰ったドラゴンは、薬を求めて山を下りて来た。
薬が無ければ、もうどうにもならないからだ。
薬は、捕らえられていた村にある事を、ドラゴンは学習している。
ローズは、空からの眺めを思い出す。
集落、つまり村が見えたのは、この山のふもとよりも、もっと下った方だった。
山から村へ向かう途中に、このリンデン寺院があるのだ。
村へ下りるよりも近くに、薬がある場所を知ったら、ドラゴンはそこへ行くだろう。
薬は香の中に混ぜられていた。
その香は、村から納められている。
つまり、それは・・・
「・・・ドラゴンの始末を、寺院に押し付けた・・・」
つぶやいて、ローズは自分の口を押さえた。
言ってしまったものの、それはあまりにも身勝手ではないだろうか。
「俺も同じ意見だ、ローズ」
きっぱりとした答えが、頭の上から降ってきた。
「ドラゴンは生命力が強い。檻に閉じ込めていても、武器で殺すのは容易じゃ無い。餓死させようとしても、飲まず食わずで
フェルは、ひとつため息をついてから、話を続ける。
「村が狩人に依頼を出したとして、エロジオンの事を気づかれたら困る。それで必死に知恵を出した。寺院に納めている香に、薬を混ぜようだなんて、なかなかの策士じゃないか。俺だってヴァイゼが居なければ、気づかなかった」
なかば呆れたような口ぶりのフェルだが、ローズはどうにも腹立たしかった。
「・・・ひどい。禁制の薬を使った罰を、尼さんたちが受けても平気なの?それこそ、神様が怒ってしまうわ!」
その剣幕に、フェルは軽い苦笑をもらす。
「寺院っていうのは特別な場所でな、この国の「決まり事」の外にあるんだ。だから、禁制の薬を使っても
「だからって・・・」
ローズは唇をかんだ。
乾いた固い土に、毎日毎日、
報われない労働に疲れてしまった、その気持ちは痛いほどに分かる。
そこから逃げて来た自分が、村人に怒りを向ける事はできないのかもしれない。
でも、だからと言って、何をしても許されるというのは、違うと思う。
あの時・・・チャールズに襲われた時の事を、ローズは思い出す。
泣きながら、謝りながらも、扉を開けてはくれなかった、リリィ。
村人はリリィと一緒だと・・・思う。
ふとポンポンと、宥めるように頭を叩かれる。
フェルの柔らかな微笑みが、そこにあった。
「・・・だからな、なるべく魔獣は殺したく無いんだ」
ローズは、フェルを眩しく見て、大きくうなずいた。
その時、寺院から鐘を打ち鳴らす音が、響きわたった。
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