第27話 リンデンの尼僧長



 寺院の方を見れば、細く開けた玄関の扉のから、こちらをうかがっている尼僧たちがいる。

 事態が終了したという合図のようだ。


「リンデン村の尼僧長に知らせているんだろう。まだ、事は終わっちゃいないんだがな」

 フェルは渋い顔をして、ため息をつく。


 音に驚いてか、茨の下にうずくまっていたカイムが、のそのそと出てきた。

「カイム、大丈夫?」

 抱き上げるローズに甘えて、カイムは頬ずりしながら喉を鳴らす。


「ドラゴンはいつ目を覚ますの?」

 ローズの問いに、フェルはドラゴンの胸の赤黒い部分を指差した。


「ここにあるのが、『芯核しんかく』という臓器で、魔獣の急所だ」

「芯核」

 言葉を繰り返すローズに、フェルが頷く。


「芯核は、魔獣の身体の動きを司る臓器だ。ここに衝撃を加えると、体中の全ての機能が一旦停止して、気絶する。このまま放っておけば、2、3時間くらいで、元の通り動けるようになる」


 確かにドラゴンはピクリとも動かない。

 よく見れば、ほんの微かに呼吸はあるようだ。

 フェルは説明を続けた。


「力の加減を誤ると、芯核が壊れてしまったり、力が足りなくて気絶に至らなかったりする。芯核は壊れても再生するが、その後の身体の動きに支障が出る事が多い。完全に元通りにはならないという事だ。壊れ方によっては再生できなくて、身体が全く動かなくなる。そうなれば餌を食べられなくなって、餓死してしまう」


「それはどの魔獣でも同じ事ですか?」

「そうだ」


「位置も?」

「そうだ。芯核は右側にある。位置もこの辺りだ」

 ローズは抱いていたカイムの胸、前足の付け根辺りを触ってみた。

 カイムがくすぐったそうに、身をよじらせる。


「ずいぶん熱心だな、ローズ」

 その様子に、フェルが感心して目を丸くした。


「・・・わたし、この仕事で身を立てられるようになりたい。この先カイムと暮らして行くためにも、この仕事しかないと思います」

 ローズはカイムの身体を一心に触りながら、言った。


 聞いたフェルは、口端で少し笑っただけで、

「右側の前脚の付け根、羽毛の中の肌を、そっと撫でるようにしてみろ。骨と骨の間で小さく脈打ってるのが分かるはずだ」

 と、ローズに教える。


 その通りに、カイムの羽毛の中に指を入れて撫でてみると、確かに、トクトクと脈動が感じられた。

 場所を覚えようと、何度も触るので、カイムが「キュキュッ」と笑うように啼く。


「講義の邪魔をする訳では無いのだがフェル、このドラゴンをどうするのだ?このままでは、目覚めてまた暴れるだけだ」

 手足を縛られたドラゴンを見下ろして、ヴァイゼが口を挟んだ。


「・・・だよな。まずは体内に残っている薬を吐かせるために、たっぷり水を飲ませてみよう。ここまで中毒が酷いと効果があるかどうか分からないが、できる事をするしか無い」


「お水ですね!分かりました!」

 ローズは自分の役目を心得て、寺院の玄関へ走った。


 尼僧にそうたちに協力を求めると、こころよくとは行かないまでも、中庭の井戸から水を汲んで、手渡しで玄関まで運んでくれる。

 それをローズが、ドラゴンまで持って行った。


 フェルはドラゴンの口に木の枝でつっかえ棒をして、開けたままにさせ、水を流し込む。

「この水が『気付け』になってしまうかもしれないから、ローズはあまり近づくな」


 水を飲ませる作業をしながらも、フェルは背中に槍を背負ったままだ。

 ヴァイゼもすぐに対処できる位置に陣取って、ドラゴンの様子を厳しく見ている。


 何杯目かの桶を空にした時、ガバッという音を立てて、ドラゴンはこれまで飲み込んでいた大量の水を吐き出した。

「よし、もう少しだ」


 フェルの明るい声に、ローズも元気をふり絞る。

 水が入った桶をフェルに渡し、代わりに空の桶を受け取って寺院へと走った。


 ふいに、玄関に居た尼僧たちが、リンデン村へと続く道の方に向かって手を振りはじめた。

「尼僧長様!」


 見れば三人ばかりの尼僧が、道を上がって来る。

 真ん中の、他の二人よりも少しだけ立派ななりをした尼僧が手を振り返していた。

 どうやら彼女が、尼僧長らしい。


 尼僧長というくらいだから、ローズは老婆を想像していたのだが、その人は背筋もしゃんと伸びていて、きびきびと歩いて来る。

 老婆はおろか、中年と呼ぶにも早いくらいの年格好に思えた。


 水が入った桶を手に、ローズはフェルの元へ向かう。

 尼僧長が帰って来たらしいと、伝えようとした時、


「もしや・・・カイム!カイムではありませんか!」


 えっ?


 聞こえた声に、思わずローズは振り返る。


 その尼僧長らしき人が、カイムの名を呼んだのだ。

 そして更に驚く事に、茨の枝に止まっていたカイムが、尼僧長の元へと飛んで行った。


「ああ・・・やっぱり。カイムなのですね!」

 尼僧長は両手を広げて、カイムを迎える。

 カイムも嬉しげな啼き声を上げて、尼僧長の胸へと飛び込んだ。


 信じられない光景だった。


 自分以外の人に、あんな風になつくカイムをローズは初めて見た。

 しかも、どうして尼僧長はカイムの名を知っているのか?


 尼僧長はひとしきりカイムを撫でたり抱きしめたりした後、やっとローズの存在に気付いた。

 その姿を見た途端、尼僧長はひどく驚いたように、両手で顔を覆った。


「・・・姫様っ!」


 悲鳴にも似たような声が、辺りに響いた。

 尼僧長がローズに向かって走って来る。


 えっ・・・と、思う間もなく、尼僧長に抱きしめられる。


「ああ姫様、よくぞご無事で、ここまでご成長なさって・・・」

 感極まったように涙を流す尼僧長に、ローズはただ戸惑う。


「セーラでございます。王妃様の侍女を務めておりました、セーラでございますよ。お忘れでいらっしゃいますか?」


「あ、あの・・・人違いです」

 やっとそう言えたローズに、尼僧長は首を振った。


「・・・無理もございませんね。お別れした時は、姫様がまだ4歳になられたばかりでいらしたのですから」

 涙に濡れた頬を拭うと、尼僧長はローズから少し離れて、うやうやしく膝を折り頭を下げる。


「あなた様は先代のエルーガ国王、フレデリク四世陛下のご嫡子、メアリーローズ王女殿下であらせられるのですよ」


 そんな事を言われても、ローズはよく理解できない。

 やっぱり人違いをしているのだ、この人は。


「ローズ!」

 フェルの声が、自分の名前を確かに呼ぶ。


 とにかくフェルのそばへ行きたかった。

 人違いだと、きっぱりと言ってもらいたかった。

 ローズは、一目散いちもくさんに走り出す。


 その時、ドラゴンが低いうなりと共に、再びあの鈍い赤い色をした目を開いた。


「近づくな、ローズ!こいつまだ薬が切れてない!」


 フェルの声が少し遠い。

 「何?」と、聞き返そうとした。


 その次の瞬間、ドラゴンの尾が自分に向かってくるのが見えた。


 とてつもなく太い綱で打ち据えられたような衝撃の後、身体が宙に浮いて、固い地面に叩きつけられる。


 ローズはその後の事を覚えていなかった。



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