第29話 落ちぶれても



「ローズの事なら、なおさら礼を言われる筋合いじゃない。ここへ連れて来たのはただの偶然だ」

「それでも、お連れ下さったのは事実でございますから」

 尼僧長は、おだやかに微笑んだ。


 ・・・同じようなやりとりを、最近どこかでしてきた、と、フェルは思い出す。

 ああ、ローズに、「魔獣狩人の手伝いをさせてくれ」と、懇願された時だ。


 思い出し笑いをこらえて、お茶を飲み込む。

 こんなにきちんと淹れられたお茶を口にするのは、いつ以来だろうか・・・。


「フェルさん、と、おっしゃいましたね。あなたのグリフォンは、とても立派ですのね。本物の大きなグリフォンを、わたくし初めて見ましたわ。国王陛下のグリフォンもご立派だと耳にしておりますが、拝見した事がございませんのよ」

 フェルに焼き菓子を勧めながら、尼僧長が言った。


 もう一口飲もうとしたのを止めて、フェルはカップを受け皿に戻す。

 カチリと、陶器が触れる固い音が立った。


「・・・あんた、今の国王に・・・ファーディナンド王に恨みは無いのか?」

 フェルの問いに、尼僧長は目を丸くした。


 11年前のヘレン王妃投獄の際、最後まで王妃に付いていた者たちは、地位役職を失い、事実上、エルーガの貴族社会から追い出された。


 王妃の侍女であった彼女が、このうらぶれた尼僧院の院長となるまでに、どれだけの辛酸しんさんを味わったのかは、察するに余りある。


 尼僧長の顔つきが、みるみる固いものとなった。


 余計な事を聞いた。


 そう思ったフェルが、言葉を取り消そうとした時、尼僧長は静かに口を開いた。


「・・・王城を追われた時は、ファーディナンド陛下をお恨み致しました。わたくしたちが、こんな仕打ちを受けるいわれは無い、と」


 そして、フッと力を抜いたように笑う。


「けれど・・・ようやくたどり着いた実家の門は閉ざされ、『お前が戻るのは迷惑なのだ』と言われて追い出されました。わたくしは、ねぎらいの言葉ひとつかけてもらえず、見捨てられたのでございます。・・・王妃様の侍女に推挙された時は、それこそ『一家の誉れ』だと両親が自慢しておりましのに・・・」


 フェルは尼僧長の顔を見た。

 彼女は、ただ笑っていた。


「人の世は分かりませんわね。豪奢なころもを引き剥がされ、丸裸になって初めて、自分の存在がいかに瑣末さまつなものだったのかを、思い知りました」


 ふぅっ、と、尼僧長は息をつく。


「本当に・・・その通りだ」

 額の傷に手を当てるようにして、フェルは前髪をかき上げた。



「・・・さて、約束だったな。ローズの話をしようか」

「ええ」

 フェルの言葉に、尼僧長が頷く。


 当然ながら尼僧長は、ローズがメアリーローズ王女と分かってすぐ、ローズとフェルとの関係や、ここに来るまでの事情などを聞きたがっていた。


 だが、ローズの病やフェルの用事などがあり、「お互い落ち着いてからきちんと話す」と、フェルは尼僧長に約束していたのだ。


「俺とローズは、知り合ってまだ日が浅い。だから俺がローズについて話せる事は、それほど多くは無いが・・・」

 そう前置きして、フェルは話を始めた。



 ひととおりの経緯いきさつを聞き終えた尼僧長は、

「・・・おいたわしい。王女としてお生まれになられながら、商家の下働きなど・・・」

 そう呟いて、目に浮かんだ涙を拭った。


 その様子に、フェルはそっと目をそむける。


「姫様がおられた孤児院の事を、もっと詳しく知っておられる方は、いらっしゃらないのでしょうか・・・」


 尼僧長の小さな声に、フェルは顔を向けないままで、

「フェーザーは、戦争で消滅した町だ。院長は戦死してしまったと言うし、町の者も他の土地に避難して、バラバラになっているだろう。探し出すのは難しいだろうな・・・」

 と、答えた。


「ローズ・・・メアリーローズ王女は、フェーザーの町から国境を越えて、母親の故郷であるヴルツェル帝国に入る手はずだった。だが、フェーザーへ向かう途中で、政府の追っ手に追いつかれてしまう。従者たちは馬車を捨て、追っ手の目を避けながら、徒歩でフェーザーの町を目指す。・・・しかし結局、国境にはたどり着け無かった」


 尼僧長がこちらを見る気配がした。

 フェルはかまわずに続ける。


「王女に付いていた従者は全員が死亡している。最後に残った従者は、フェーザーの孤児院に、王女を孤児として託した。・・・孤児院の院長には、すでに話が通っていて、万事承知の上で、王女を引き受けたのだろう。全ての退路が断たれた時の、最後の砦として用意されていたのが、フェーザーの孤児院だ」


「それはっ・・・!」

 ガタンと音を立てて、尼僧長が椅子から立ち上がった。

 フェルがゆっくりと振り向くと、青い顔をした尼僧長が、手で口元を押さえていた。


「俺がそう思う理由は、ローズにある。片田舎の孤児院で育てられたのに、あの子は癖の無いエルーガ語を話すんだ。食事の所作も綺麗だったし。・・・それに何よりも・・・」


 もらった菓子を食べ終えて、主のベッドで丸くなっている小さなグリフォンを、フェルは指差した。


「カイムをずっとローズと離さなかった事だ。バーチ家に行く時は、カイムの事を内緒にしているようにも取れる。ローズからカイムを取り上げられては困るからだ。カイムは、ローズがメアリーローズである唯一の証だからな」

 自分の事を言われていると分かったのか、カイムが「キュ?」と啼いて首を傾げる。


「ローズがメアリーローズだと承知の上で、いつ王女として遇されても良いように育てていたのだと・・・そう考えるのが妥当だろう?」


 尼僧長へ水を向けるが、答えは無い。


 青い顔のまま、大きく見開いた目でフェルを見つめている。

 手で押さえた口から、小さく「そんなはずは・・・」と言う声が漏れた。


 だが、尼僧長は意を決したように、手を下ろすと、


「あなたは・・・あなたはいったい・・・どなたなのですか・・・?」


 震える声で、訊ねた。


 フェルは、笑うような息をひとつ吐いてから、前髪をかきあげる。

 手のひらが、自分の額の傷に触れるのを、感じていた。


「俺は・・・」


 フェルの声が、静まった部屋にやけに響いて聞こえた。



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