第30話 尼僧と魔獣狩人



「俺は・・・魔獣狩人のフェルだ。グリフォンのヴァイゼを、相棒として連れている、一介の狩人だ」


「で、ですが・・・」

 尼僧長が何かを言いかけるのを、フェルは手を上げて止める。


「あんたが、ここに至るまでに味わった辛酸とは、比べ物にもならないが、俺もいろいろとあって、今、ここに居る。・・・そういう事だ」


 上げられた手越しに、尼僧長はフェルを見つめていたが、深く息を吐くと、椅子に座りなおした。


「・・・わたくし、あなたに申し上げたい事がございますの」

 コホンと、小さな咳払いが聞こえる。


 フェルは、尼僧長へまっすぐ向き直って、居住まいを正した。

「聞こうか」


「お茶が冷めないうちに、お菓子も召し上がってください。こちらでお出しする食事は質素なものだから、男の方には物足りないのではと、尼僧たちが心配していますから」


「・・・へ?」


 面食らったようなフェルを、尼僧長はにっこりと笑う。


「・・・あ、はい。いただきます」

 フェルは言われた通りに、皿に載った焼き菓子をつまんだ。

 ひとつ食べ終わったところで、疑問を口にする。


「あの・・・尼僧たちは俺の事、嫌がっているって言うか、怖がっているって言うか、そうなんじゃないの?」


 ここの尼僧たちは、戒律で、異性と口を利く事を禁じられている。

 だから、話ができないのは仕方無いが、とにかく彼女たちは、近づきもしなければ、目を合わせようともしない。

 フェルが廊下を歩こうものなら、尼僧たちは近くの部屋へ逃げこんで、通り過ぎるまで出て来ないほどだ。


「あなたは、ドラゴンから寺院を救って下さったのですもの。それが、若くて見目の良い殿方であったのなら尚更、気になりましょう。あの子たちも尼僧ではありますが、年頃の娘なのですから」


「・・・はあ」

 だったら、もう少し態度が柔らかくても良くはないか?

 そんな言葉を飲み込んで、フェルはクシャリと頭をかいた。


 フェルの様子に、尼僧長は含み笑いをしながら、お茶のお代わりを淹れてくれる。

 温かいお茶からは、柔らかい湯気とほのかな香りが立ち上った。


 「あの子たち」と、尼僧長が呼ぶように、この尼僧院には、歳若い尼僧が多かった。

 いつも、目深まぶかに尼僧服のフードを被って、顔を隠しているから、推察でしか無いが、おそらくローズとそれほど歳の変わらない娘たちなのだろう。


「・・・ローズは、王城の塔にグリフォン像がある事を知っていた」

 ポツリと、フェルがこぼす。


「ここに来る途中、王城を見た。ローズは初めて見た王城の、しかもそこからは見えるはずの無い、塔のてっぺんの像を『ある』と言った。・・・俺はその時に、もしかしたら、と思いついた」

 淹れてもらった温かいお茶を、フェルは口に運んだ。


「あんたが、いろいろ昔の話をしてやれば、ローズは他にも思い出すかもしれない。メアリーローズであった頃の自分を・・・」


 フェルの話を聞いていた尼僧長は、自分もお茶をひとくち飲むと、テーブルの上で指を組んだ。

 そして、まっすぐにフェルを見てから、おもむろに口を開く。


「・・・あなたが先ほどおっしゃった通り、フェーザーの院長様は、姫様のご身分をご承知で、いつしかその座に戻られるのを願われて、できうる限りの事をなされたのではないかと思います」

 噛み締めるような尼僧長の言葉に、フェルはただ頷く。


「そのご努力が、こうして、わたくしと姫様を結び付けて下さいました。その方のご遺志に報いるのが、わたくしの務めであると存じます。・・・ですが・・・」

 尼僧長は、ベッドで眠るローズへと目を向ける。


「この尼僧院で姫様をご養育申し上げるというのも、容易ではございません。かと言って、どなたかにお預けしようにも・・・」

 言葉の最後は、重いため息に消された。


 投獄された王妃の娘。

 幼かったとはいえ、国を捨てて敵国へ亡命しようとした王女。

 それを阻止しようと、追っ手を差し向けたのは、現在のファーディナンド王の政府だ。


 もし、現政府がメアリーローズ王女の生存を知ったとして、どのように扱うかは予測できない。

 そんな厄介な娘を、預かってくれる家があるだろうか・・・。


「・・・ダーヴィッド卿は・・・」


 尼僧長の口から漏れた名前に、フェルは息を呑む。


「ダーヴィッド卿はどうなされたのでしょうか・・・あのお方ならば、姫様を・・・」

 そこまで言って、尼僧長は口を閉じた。

 そして、うつむいて何度も首を振る。


「何でも・・・何でもございません。どうぞお忘れ下さい」

「・・・ローズを、ダーヴィッドに託すという事か?」

「いえ・・・その・・・」

 尼僧長が口ごもる。


「ダーヴィッドなら、ローズを大切にするだろう。・・・恋人の忘れ形見なんだから」


 驚いた顔をして、尼僧長がフェルを見た。

「ご存知でしたの?」


「あんたこそ・・・と、言いたいが、ヘレン王妃の侍女だもんな」

 テーブルに頬杖をついたフェルが、ニヤリと笑う。


「一国の王女を養育する環境を整えられる、という点でも、ダーヴィッドなら適任だ。それにエルーガ政府はおろか、ヴルツェル政府もおいそれとは手を出せない、血筋と家格を持っているから安心して・・・」

 そこまで話して、フェルの言葉が途切れる


「どうかなさいましたか?」

 尼僧長の声に、フェルは肩をすくめて、

「・・・と、すまない。ダーヴィッドは行方知れずなんだ」

 と、短く言った。


「そう・・・でしたか・・・」

 尼僧長は、ため息と共に言葉を吐き出す。


「・・・わたくしは、あのお二人に憧れておりました。本心から想い合うとは、こういう事なのだと・・・」

 その瞳には、蜀台の炎を映していたが、尼僧長が見ているものは別にあるのだろう。


『私は、自分の一番大切なものの為に、あなたを利用し、あざむきました』


 最後に聞いたダーヴィッドの言葉が、フェルの胸に苦く蘇る。

 無意識に、額の傷を指で辿っていた。


「尼僧長」

 呼びかけると、ハッと夢から醒めたような顔を向けてくる。

 チクリとフェルの胸が痛む。


「折り入って話がある。この寺院の尼僧長として・・・そして、ヘレン王妃の侍女として聞いてほしい」


 フェルの言葉に、尼僧長は目を見開く。

 返事を待たずに、フェルは話を始めた。

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