第31話 虚ろな目覚め



 翌朝になるとローズの熱も下がり、ベッドで身体を起こせるまでになっていた。


 尼僧長はフェル同席のもと、ローズにこれまでの事を話して聞かせた。

 生まれた時の事、父親であるフレデリク四世王の事、母親であるヘレン王妃の事、なぜ王女たるローズが、城を出なければならなかったのかという事・・・。


 事実は事実として、虚構無く伝えられる。

 それでも、ローズの精神になるべく負担を与えないよう、最大限の配慮をしつつ、尼僧長は終始穏やかに語っていた。

 ローズは口を差し挟む事も無く、黙って耳を傾けていたが、その表情は固い。


「・・・姫様、どうぞこれからの事は、何もご心配なさいませんよう。まずはこの寺院で、神様のご加護を頂きながら、しっかりお身体をお治し致しましょうね」

 話の最後に、尼僧長はそう言ってローズに笑顔を向ける。


 ローズはそれに頷かないで、ひと言、

「フェルさんと二人で、お話しさせて下さい」

 と、口にした。


 尼僧長は、自分の後ろに立つフェルをチラリと見た後、部屋を出て行った。


 フェルは、ベッドの近くに椅子を寄せて腰掛け、ローズの言葉を待つ。

 ローズはフェルの顔を見ると、少しだけ表情を和らげた。


「カイムとヴァイゼはどこですか?」

「中庭に居るよ。ローズが寝ている間じゅう、カイムはずっとここでローズを見ていたから、たまには外に出した方がいいって、ヴァイゼが」


「あの後、ドラゴンはどうなりましたか?」

「結局、薬が消えなかったので、残念だったが始末した」

「そうですか・・・」

 ひと通り話しをして、ローズはふうっとため息をついた。


「・・・尼僧長さんのお話、まるで面白いお伽話を聞いているようでした。どうしても、自分の事だとは思えません。王女様よりも、どこかのお金持ちのお嬢様だった、と言われた方が、素直にだまされたのに・・・」

「なるほどな」

 フェルが軽く笑ったので、ローズもつられて笑う。


「フェルさんは、わたしが王女様だと思いますか?」

「えっ・・・」

 まっすぐに見てくるローズの顔は、もう笑っていなかった。


「尼僧長さんが、勘違いしているだけですよ。15歳の孤児の女の子なんて、きっとたくさん居るはずです。栗色の髪で水色の瞳をしている子も、フェーザーの町には何人も居ました。・・・そうですよね、フェルさん」

 すがるように、フェルを見てくる。

 その目は、フェルの心を大きく揺さぶった。

 けれど・・・


「・・・カイムという名のグリフォンも、たくさん居るだろうか?」

 フェルの言葉に、ローズはビクリと身体を震わせる。

 大きく見開いた水色の瞳から、涙が一筋流れた。


「わたし・・・神託のグリフォンとファーディナンド国王様に、会ってみたいと思っていました。遠くからでも、ひと目見てみたいって・・・。でも、国王様はわたしを嫌っていたのですね」

 涙を拭いながら、ローズが小声で口にする。


「国王様だけではありません、わたしのお母さんは、国の人みんなから嫌われていた。バーチ家の旦那様もベンさんも、悪い人だと言っていました。そうですよね、だから牢屋に入ったのですよね・・・」

 拭っても拭っても、涙がこぼれ落ちた。

 とうとうローズは、両手で顔を覆ってむせび泣く。


 「そんな事は無い」・・・その言葉を、フェルは飲み込む。

 その言葉は、ファーディナンド王が言ってやらなければ、意味が無い。

 フェルは両手の拳を握り締めて、湧き上るものをこらえた。


「わたし・・・これからどうなるのですか?」

 泣きながら聞いてくる、ローズの丸まった背に、フェルはそっと手を添えた。


「・・・ローズは、どうしたい?」

 問い返されたローズは、寝間着の袖で、ごしごしと涙を拭く。

 そして顔を上げた。


「わ、わたしはこのまま、フェルさんの手伝いをしながら、魔獣狩人の仕事を覚えます。そしていつかフェルさんのような、狩人になります」

 目も頬も拭いた跡が赤く、湿り気の残る声だったが、きっぱりと言い切った言葉に、フェルは胸を突かれる。


「・・・そうか」

 手を添えていた背中は、もう丸まってはいなかった。


「ローズの気持ちはよく分かった。・・・今は、養生するのが先だ。まずは元気にならないと、次の仕事を請ける事もできないだろ?」


 ローズはこっくりと頷いて、大人しく横になった。

 するとじきに、寝息を立て始める。

 フェルは音を立てないようにして、部屋を出た。



 昼下がりの太陽が、明るく中庭を照らしていた。

 小鳥が鳴きながら、中庭の木や寺院のひさしの間を、飛び交っている。

 カイムが小鳥を追いかけて、遊んでいるのだ。


 家畜小屋の屋根の上で、ヴァイゼがその様子を見守っていた。

 フェルに気付いて、屋根から下りて来る。


「ローズの様子は?」

「・・・そう簡単には、飲み下せないさ」

 呟いてフェルは、壁に立てかけてあった槍を取った。

 その姿を見て、ヴァイゼがため息まじりに言う。


「私としては、無駄骨に終わる事を期待したいが・・・」

「俺だって」

 フェルは大げさに肩をすくめた。

 そうしながら、大きく槍を振って、手ごたえを確かめる。


「ヴァイゼ、段取りは分かっているな。・・・頼むぞ」

 大きな青紫の瞳で、ヴァイゼはフェルを見返した。

「・・・自棄になるなよ、フェル」

 ハッと、フェルは目をみはる。

 だが、すぐに力を抜くように微笑んだ。


「うん、分かってる」

 そう言って、槍を構える。

 身体の中にあるものを入れ替えるような、深い呼吸をひとつすると、鋭い突きを繰り出す。

 突いたその姿勢から、右へ薙ぎ払い、また突いて、上へ斬り上げる。

 息を吐いて、フェルはヴァイゼに振り返った。


「ローズは、俺のような狩人になりたい、と言ってくれた。俺は、その夢を護ってやりたい」

 フェルの言葉に、ヴァイゼが目を細める。


「殊勝な弟子ではないか、師匠」

「師匠って、俺か?」

「他に誰が居るのだ?」

 そう言われて、フェルは決まりが悪そうに頭をかいた。

 それでも、しみじみと笑みを浮かべる。


「可愛い弟子のために頑張らないとだ、な」

「そうだ・・・イタッ!」

 相づちを打とうとしたヴァイゼの後ろ頭に、小鳥を追いかけるのに夢中になっていたカイムが激突した。

 跳ね返ったカイムは、ポンとヴァイゼの背に当たってから、地面に落ちる。


「あーあー、ほら大丈夫か、カイム」

 フェルはカイムを拾い上げて、身体に付いた土を払ってやる。


「こらっ!カイム!鳥ごときに遅れを取るとは何事だ!」

 ヴァイゼに叱られたカイムは「キュー」とか細く啼いて、フェルの腕の中で身体を丸めていた。



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