第32話 深更に蠢く
この夜も、青白い月が出ていた。
月光の届かない闇に紛れて、音も無くリンデン寺院に近づくものがあった。
素早い動きのそれらは、寺院の壁に縄を掛け、難なく中庭へと降り立つ。
抜き放った剣が、月の光を受けて、怪しくきらめいた。
足音を立てずに回廊に上がり、尼僧長室の扉の前へと進む。
その一人が、懐から小さな棒状の金具を取り出し、鍵穴へ差し込んだ。
手応えを確かめるように、ゆっくり二度ほど回すと、「カチリ」と硬い音が鳴る。
互いに目で示し合わせ、その扉を開いた。
だが、暗い部屋に、居るべきはずの人物の姿は無い。
さらに奥の寝室へ突入するが、夜中だというのに、簡素なベッドは使われた形跡すら無かった。
その時、後方で悲鳴が上がる。
回廊の方だ。
部屋に居たものたちは、取って返す。
そして、血の海に沈む仲間を確認した。
辺りを警戒した直後、また一人、絶命の声を上げて倒れる。
「・・・骨折り損・・・とは行かなかったな」
血に濡れた槍の穂先を振り払って、フェルは短く息を吐いた。
その姿を見るなり、侵入者は指笛を鳴らす。
他の部屋に廻っていた者らが、音も無く集って来る。
総勢四人。
皆、身軽な装備であったが、手にしていた剣の半端な長さから、フェルは侵入者たちの出所を知る。
「室内戦専門の機動部隊・・・サイモン直下の暗殺兵か。さすがのサイモンも、王権の届かない寺院内に、軍隊を送り込む訳には行かなかったと見える」
乾いた唇を湿らせて、フェルは注意深く槍を構えた。
二人倒せたのは、完全に不意を突いたからだ。
四対一では、不利でしかない。
兵士が振り下ろしてくる剣を、フェルの槍が
勢いに押されて、兵士の足が
その隙に、フェルは回廊を走り出す。
回廊は、行き会った者同士が、やっとすれ違えるくらいの幅しかないので、追い抜いて行く手を阻むのは、難しい。
その代わり、建物の内側をぐるりと一周しているから、反対側へ回られると、簡単に背後を取られてしまう。
フェルが走った先には、天井まで積まれた椅子やベッドがあった。
回廊が完全に塞がれていたのである。
敵兵たちはそれを見て、フェルの俊足に遅れを取った事を悔やんだ。
バーチ家でクリントと対峙した時から、遅かれ早かれ、全てが
ローズが、自分と行動を共にしている事も。
存在さえ確認したのなら、ローズがバーチ家に来た経緯など、容易に調べが付く。
そして、このリンデン寺院。
尼僧長がヘレン王妃の元侍女と知り、そこにメアリーローズの疑いがある娘と、自分とヴァイゼが集結しているとなれば、サイモンは決して見過ごしはしない。
ま、全ては偶然なんだけどな・・・。
これこそ「運命」というもの・・・かもしれない。
サイモンは必ず動く。
フェルはそう確信して、準備を整えていた。
まず寺院の尼僧たちと、家畜を全てリンデン村に避難させた。
村が禁止薬であるエロジオンをドラゴンに使い、扱いきれなくなったので、何も知らない尼僧院に始末を押し付けた。
この事実を、尼僧長にも役人にも内密にする代わりに、尼僧たちを引き受けさせたのだ。
その上で、ドラゴンの死体を村へ引き渡した。
死んだ魔獣の身体は、皮も肉も骨も使い道があり、それを買い取る業者も居る。
フェルは、自分が懇意にしている業者に連絡を付けて、買取りに来るよう手配した。
禁止薬が関わっているので、普通よりも安い値段で買い叩かれたが、口の堅さは折り紙付きの相手だ。
その上、安いとはいえ、村がエロジオン薬を買うのに使った金額を差し引いても、現金収入を得る事ができたのだ。
虫の良すぎる話ではある。
だが、痩せた土地を
その甲斐あって、「異性と話すのを禁忌とする尼僧たちを
しかし尼僧長だけは、寺院に留まると言って聞かなかった。
尼僧たちへの説得も、それを引き換えにされたのだから仕方無い。
けれども今夜、見張りに立っていたヴァイゼが、この襲来を察知したと同時に、フェルは尼僧長を安全な場所へ移動させていた。
・・・少々強引な方法ではあったが。
フェルは山と積まれた家具を背に、敵兵へと振り返る。
これで背後を取られる事は無いし、狭い回廊では敵に囲まれる事も無い。
「あんたらが強いのはようく知っている。だから悪いな、怪我で済ませてやる事はできそうにない。こっちも命を賭けてやるから、あんたらもそのつもりで来い!」
油断なく構えたフェルめがけて、敵兵の一人が襲い掛かった。
「正面で一人を相手にして互角・・・か。あるいは・・・」
戦況を見つめるヴァイゼが、低く言った。
家畜の飼料置き場の中から、屋根に顔だけ出している。
あの、ローズが開けた穴だ。
灰色の尼僧服をすっぽりと着て、中でカイムを抱いている。
ローズはひどく震えていた。
「ローズ、寒いか?」
下りて来たヴァイゼが声を掛ける。
「フェ、フェルさんは、フェルさんは大丈夫なの?」
外では何度か剣を打ち合う音の後、悲鳴が上がった。
ビクンとローズの身体が跳ねる。
「フェルでは無い。大丈夫だ、フェルは強い。心配は要らない」
今のところは・・・と、ヴァイゼは心の中で呟いた。
いかにフェルが強かろうと、相手は日々訓練を積んでいる兵士だ。
残りは三人。
フェルの疲労は蓄積され、武器も疲弊して行く。
・・・それはフェル自身も、経験から充分承知しているはずだ。
ヴァイゼは意を決したようにローズのそばに寄り、翼で彼女の身体を包む。
「ローズ、よく聞いて欲しい。お前が無事であれば、フェルも無事でいられる。だから、私を信じて、臆する事無く私の声に従って欲しい」
ローズは目を丸くしてヴァイゼを見た。
その時、飼料置き場の壁のすき間から、鋭く剣が突きたてられる。
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