第41話 以心伝心



 夜になっても、城を取り囲んだ集団は解散する気配は無かった。

 人々は、昼間のように要求を叫ぶ事も無く、大人しくその場で腰を下ろしたり、焚き火で暖を取ったりしている。


 ヴァイゼは、城の屋上から、その様子を見下ろしていた。


「・・・なかなか壮観だな、これは・・・」

 そう呟いた時、人の気配に気づいて振り返る。


「ヴァイゼ、居ますか?」

 城内から通じる階段を、ダーヴィッドが上がってきた。

 ヴァイゼは小さくひと啼きして、そこへ向かう。

 細い三日月が浮かぶだけの暗い夜、ダーヴィッドの手には灯りが無い。


「・・・ああ、そこに居るのですね」

 ダーヴィッドはヴァイゼの声がする方に顔を向けて、目を細めた。


「きっとここに来ていると思いましたよ。フェルはぐっすり眠っているはずですからね」

 眠っているはず?

 その言葉に、ヴァイゼは怪訝けげんな表情を返す。


 グリフォンは夜目が利くが、灯りも持たない人の目では、恐らくこちらの姿が、おぼろげに見える程度だろう。

 けれどダーヴィッドは、ヴァイゼの顔色を読み取ったかのように、ニコッと笑った。


「夕食後のフェルのお茶に、一服盛りました。おそらく朝まで起きないでしょう」

 ・・・なるほど。

 ヴァイゼは得心する。

 あれほど外を気にしていたのに、やけに寝つきが早いとは思っていた。

 薬の力でも借りなければ、今夜、あの子はまともに眠れまい。


「今さっき、王都から早馬が到着しました。同じような事が、王城でも起きているそうです」

 ダーヴィッドは、城壁の外を見下ろしながら言う。

 彼が灯りを持たない理由は、おそらく外の群集に気付かせないためだろう。


 城壁に人が集まりはじめてから、フェルとヴァイゼは城の奥の部屋に入れられていた。

 もし、外の人々が、「神託のグリフォン」と「神託の御子」の姿を見つけたなら、大群衆が、城内へなだれ込む危険があったからだ。

 だからこそヴァイゼも、暗い夜に乗じて屋上へ出たのだから。


「しかも王城を取り囲んだ者たちは、フェルが王位に就く事を要求するだけで無く、王妃断罪をも要求しているという話です」

 ダーヴィッドの口調は、いつもと変わらない穏やかなものであったが、彼の手が固く握られるのを、ヴァイゼは見逃さなかった。


「それほどの群集の流入を防げなかったとは・・・王都の機能はすでに崩壊している。いや、あるいは・・・」

 彼の端正な顔が、ほんの少しだけ歪む。


 こんな時ヴァイゼは、自分の言葉が届かないのを、もどかしく思う。

 だから仕方なく、同意の気持ちを込めて、頷きながら啼いた。


「本当に・・・あの方も憎まれたものですね」

 ヴァイゼの気持ちが通じたのか、ダーヴィッドは苦笑を見せる。


 この青年と、ヘレン王妃が恋人の関係だというのは、いわゆる「公然の秘密」だ。

 とはいえ、ダーヴィッドもヘレン王妃も、他にも数多くの艶聞えんぶんの相手が居るようだから、互いにどこまで気持ちがあるのかは、定かでは無い・・・と、思っていたが・・・。


「ヴァイゼ・・・私は運命を利用しようと思います」


「それは何を・・・」

 思わず言葉をかけたヴァイゼは、その先を呑み込んだ。

 聞こえないのだ、彼には。


 けれどダーヴィッドは、

「何か・・・言ってくれたのですか?」

 と、驚いたような表情をした後、ダーヴィッドはやわらかく微笑んだ。


 ヴァイゼはふと思い出す。

 自分とフェルとが、意思を通じさせている事に、最初に気付いたのはダーヴィッドだったと。


 大人たちが、「幼子の他愛無い空想」と取り合わなかったのを、少年だったダーヴィッドは、疑わずに受け入れ、信じたのだ。


「今夜ほど、あなたと会話ができないのを、残念に思った事はありません。あなたの英知に触れるのが叶ったのであれば、もっとよりい・・・」


 言葉を切る。

 そして、笑うようなため息をついて、首を振った。


「・・・いえ、これで良いのだと・・・今、分かりました。あなたがフェルと・・・神託された子とのみ意思を通じさせるのは、私のような愚か者から、その英知を護るためなのですね」


 ヴァイゼは眼を見開いた。

 永く生きて来たが、そんな事を言われたのは、恐らく初めてだ。


「ありがとうヴァイゼ。・・・あなたに言う言葉ではありませんが、フェルをお願いします」

 ダーヴィッドは深く頭を下げると、きびすを返して城内へと戻って行く。


「運命を利用する・・・か。だがそれも運命の内だよ、ダーヴィッド」


 後姿に向かって、ヴァイゼは声をかけるが、当然聞こえるはずもない。

 ダーヴィッドは足も止めず、振り向きもしなかった。



 翌朝からダーヴィッドは、王都の情報収集のために、頻繁ひんぱんに出かけるようになる。

 ヨークレフト城を囲んだ群衆は、数を減らしたり増やしたりしながら留まり続けたが、それ以上の行動に出る事は無かった。


 だが、ヨークレフト城と同じように、王城を包囲している民衆は、「ファーディナンドを国王にして、ヘレン王妃を断罪せよ!」と要求を叫びながら、城門をおびやかしていた。


 723年もあと一日となった時、とうとうその一部が、王城の第一城門を強制突破し、衛兵と衝突、双方に負傷者が出る事態となった。


 王城の城門は幾重にもあり、第一城門は一番外側の門である。

 衛兵は、次の第二城門の護りを固め、民衆の流入を阻止した。


 負傷者が出た事で、民衆と衛兵の間には敵愾心てきがいしんが生まれつつあり、王城は一触即発の状況で、724年の年明けを迎えたのだ。



 王太后おうたいごうの使者がヨークレフト城を訪れたのは、新年間もない、初雪の舞う日の事だった。

 王太后は、亡きフレデリク四世王の母親である。


 使者が携えて来た親書には、

「ヨークレフト公ファーディナンドを次期エルーガ国王に推挙し、王位継承の権利を委譲する」

 と、書かれていた。


 そこには、王太后本人の署名だけで無く、フェルよりも高い順位で王位継承権を持つ王族たち全員の署名が、ずらりと並んでいたのだ。


「折りしもヴルツェル軍が侵攻している最中であり、一刻も早く国を立て直す必要がある。その為にはもはや、ファーディナンドの王位継承以外に、残された道は無い。これは神のご意思であり、エルーガ国民の総意と考える。ご英断をこいねがう」


 親書は、そう結ばれていた。


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