第42話 王城の春
大陸暦724年、フェルことヨークレフト公ファーディナンドは、エルーガ国王となった。
寒さ残る浅春の候、14歳の少年王は、神託のグリフォン、ヴァイゼと共に、王城へ入城した。
ファーディナンド王の誕生により、フレデリク王の時代は終わりを告げる。
ヘレン王妃は拘束され、王妃に従っていた廷臣や侍従、侍女たちは、役職を解かれて、王城を出て行った。
王妃の娘、メアリーローズ王女は、すでに王城から姿を消していて、母親の祖国ヴルツェルへ、亡命を謀った後だった。
すぐにヴルツェルとの国境に非常線が張られたが、王女は見つからないまま、捜索は早々に打ち切られた。
その後、ヘレン王妃は、ヴルツェル軍の侵攻を手助けした疑いにより、「国家反逆罪」に問われ、王都の北にあるアロゲント牢獄に収監される。
裁判が行われる手はずになっていたが、その年の秋口に起きた、牢獄の火災によって、ヘレン王妃は死亡してしまった。
そして、大陸暦725年。
マリウスが部屋に戻ると、ほのかに花の香りがした。
花瓶に生けられた春バラに気づいて、「ああ、もうそんな季節なんだ」と、思った。
ヨークレフト城に居た頃は、窓から見える麦畑の青さに、自然と季節を感じたけれど、
マリウスは、持ってきた本をテーブルの上に置いて、窓を開け、外を眺めた。
見えるのは、三重の城壁と、その先に広がる王都の街並み。
その彼方にかすんでいるのが、海だ。
これはこれで、悪く無い眺めだけれど・・・。
はぁ・・・と、マリウスは大きくため息をつく。
国王となったフェルに付いて、マリウスが王城で暮らすようになってから、一年が過ぎていた。
エルーガに侵攻していたヴルツェル軍は、王位に就いたフェルが、自ら戦場へ赴き、エルーガ軍を指揮した成果があって、一旦は撤退させる事ができた。
しかし、ヘレン王妃が獄中死した事により、再びエルーガへの攻撃を画策しているという、情報が伝わっている。
エルーガは今、ヴルツェルが軍を退いたのを受けて、台頭してきたコライユ軍との戦いに、戦力を集中させていた。
ここでまた、ヴルツェルが侵攻する事態となれば、エルーガは苦戦を強いられるのは必至で、早くコライユ軍と決着を付けて、対ヴルツェルに備えたい考えだ。
神託の王と神託のグリフォンが、戦場に在るだけで、エルーガ兵の士気が上がるからと、軍幹部の強い要請により、今日もフェルは、ヴァイゼとダーヴィッドを伴って、戦場へ出ていた。
「サイモン卿がお見えでございます」
侍従の声に、マリウスは振り返り、
「お通しして下さい」
と、伝えて、窓を閉めた。
程なく現れたサイモンは、にこやかにお辞儀をする。
「マリウス様、本日はめずらしい菓子など手に入りましたもので、お持ち致しました」
「いつもありがとうございます、サイモン卿」
マリウスがお礼を言うと、サイモンは満足そうに頷いた。
ヨークレフト領の顧問官だったサイモンは、ファーディナンド新王朝で、内務大臣となっていた。
国民の絶大な支持を受けて、王位に就いたフェルだったが、多くの継承者を飛び越しての即位は、エルーガ史上、類を見ない事だった。
その前代未聞の継承を成し遂げるに当たって、道筋を切り開いたのが、サイモンであった。
過去、政府の役職に就いていた時に培った、豊富な人脈と経験を最大限に活用し、司法と行政を動かしたのだ。
短期間でファーディナンド王が誕生したのは、サイモンの手腕によるものだと言っても、過言では無い。
その功績から、サイモンは、エルーガ内政の要である内務大臣に就任し、実力を遺憾なく発揮している。
テーブルの上の皿には、小さい四角形で、薄茶色の粉を固めたような菓子が並んでいた。
サイモンがマリウスのために、持参したものである。
口に入れると、ほんのりと甘く麦の香りがして、マリウスにはどこか懐かしい、素朴な味わいだった。
「東方の国の菓子でございます。貿易船の貨物の中には、時折こうしたものが、荷物の隙間に入っておりまして・・・」
サイモンは遠い国との交易の話を、面白おかしく話し始める。
それを興味深く聞き入りながら、マリウスは二つ目の菓子に手を伸ばした。
近頃、サイモンはよくマリウスの元を訪ねていた。
こうして茶菓子を持って来る事もあれば、食事に誘ってくれたりもする。
はじめは気乗りしなかったマリウスだが、世事に通じて、機知の富んだサイモンの話は面白く、いつしか来訪を楽しみに思うようになっていた。
即位したフェルに付いて、王城へ来たまでは良かったが、フェルもダーヴィッドも戦地へ赴く事が多く、留守がちだった。
たまに帰ってきても、フェルは国王としての仕事が忙しくて、この一年、ゆっくり話をするのも
一緒に王城に入った、ヨークレフト領の家臣や従者たちも、今ではほとんど領地へ戻ってしまって、フェルの元に数人が残っているだけだった。
マリウスの身辺の世話をしてくれているのも、前から王宮の侍従として仕えていた人々で、マリウスを主人として丁重に扱ってくれるが、格式ばっていて、親しみを感じられなかった。
他に知り合いも無く、15歳になったばかりの少年が、政務に関われるはずも無く、マリウスは王城に来てからのほとんどの時間を、部屋で一人で過ごしていた。
そんなマリウスに声をかけ、話し相手になってくれたのが、サイモンだったのだ。
「ファーディナンド陛下の戴冠式が終わりますれば、マリウス様は陛下のお
サイモンが笑顔を向けた。
フェルの・・・ファーディナンド王の戴冠式は、今年の終わりに予定されていた。
戴冠式を経て、新年を迎え、今まで中断していた、国や社交界の行事も再開するのだという。
「私としては、もっと早く式を行うべきだと、陛下にご進言致したのですが、陛下はダーヴィッド卿の意向が第一でいらっしゃるので・・・」
ふう、と大きなため息をついて、サイモンはお茶を口にした。
この噂は、マリウスも聞いている。
正直、「それのどこが問題なの?」と思っていた。
ヨークレフト領で、それは至極当然の事で、何の問題も無かったのだ。
ダーヴィッドはいつだって正しかった。
だから、ヨークレフトの家臣も、誰も文句を言わなかった。
そうマリウスは思っていた。
フェルは、ダーヴィッドに全幅の信頼を置いているのだ。
けれど、今それが、新政府で波紋を広げているらしい。
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