第7話 晩餐の客



「その貴族はクリントと言うのか?どこの貴族だ?この辺りの領か?」

 立て続けに聞かれ、ローズは目をぱちくりさせる。


「よ、よくは知りません。元は兵隊だったけど、戦争の功績で貴族になられた方だって、旦那様がおっしゃっていて・・・」

「何・・・だって?」

 フェルはひどく驚いた様子で、目をみはった。


「フェルさん、どうかしましたか?」

 不安になったローズが顔を覗きこむと、フェルはすぐに笑顔を作る。

「いや、すまない。昔の知り人かと思ったからつい・・・」


 知り人?・・・ローズは違和感を覚えた。

 貴族に知り合いだなんて、魔獣狩人のフェルには、似つかわしくない気がする。


 どういう事なのかもう少し話を聞きたいが、見上げた東の空には、もうすっかり太陽が上がっていた。

 ヴィヴィアンを起こしに行かないと、朝食の席に間に合わない。

 ローズは別れの挨拶もそこそこに、急いで森を後にした。



 午後、いよいよクリント卿の馬車が到着する頃合いとなり、バーチ一家は出迎えのために、玄関に集っていた。


「とにかく最大級の礼儀を尽くように」

 そう執事に言われて、ローズは戸惑う。


 行儀作法など教わっていない。

 どうしようと考える間も無く、クリント卿の馬車が館の門をくぐって来た。


「ようこそおいで下さいました。クリント卿」

 主人のバーチ氏が、満面の笑顔で挨拶をする。


 馬車から出てきたのは、背の低い中年の男だった。

 手柄を立てた元兵士という話から、ローズは雲をつくような大男を想像していたのだが、これでは木こりたちの方が、はるかに強そうだ。


 クリント卿の近くで、ひっそりと立っている娘が、チャールズの婚約者だろう。

 レースが幾重にもついたドレスは、いかにも貴族の令嬢らしい装いだが、どことなく垢抜けない感じだ。

 チャールズに挨拶されて、令嬢は恥ずかしそうにうつむいている。


 バーチ氏の先導で、クリント卿と令嬢が館へと入って来た。

 執事と女中とローズが、壁に控えてそれを迎える。

 すると、通り過ぎて行くはずのクリント卿が、ローズの前で止まったのだ。


 え?

 ・・・ローズはこっそり、隣の女中の様子を窺った。

 女中はまっすぐ腰を折るようにして、頭を下げていた。


 だがローズは、軽く膝を折って右胸に左手を沿え、頭を下げるというよりは、視線を落とすという姿勢だった。


 あ、違った。

 と、思うが早いか

「ローズーッ!」

 バーチ夫人の甲高い悲鳴が、響き渡る。

 ローズは身体を跳ね上げて、すぐに隣と同じ姿勢を取った。


「申し訳ございませんクリント卿。この娘は最近女中にしたばかりでして・・・」

 バーチ氏が汗をかきながら、取り繕う。


「・・・ローズというのか。顔を上げなさい」

 じっとローズを見据えていた、クリント卿が言った。

 見てくれは弱そうな小男だが、声はさすがに元兵士らしく、はっきりと力強い。


 震えながら、ローズは言われた通りに顔を上げる。

 クリント卿は顎を突き出し、ローズを上から下まで舐めるように見回した。


「歳はいくつになるのだ?」

「じ、15です」

 緊張で舌を噛みそうになりながらローズが答える。


 クリント卿は口元の貧相な髭を撫でながら、床に視線を落として、ひとしきり何かを考えた後、傍らのバーチ氏に耳打ちをした。

 ローズを見ながら二、三度うなずくバーチ氏の、口元に薄笑いがあったのを、大失敗におびえていたローズには、気付くはずもなかった。



 その夜はクリント卿を迎えての晩餐ばんさんとなった。

 広間に用意されたテーブルには、数々の料理が並んで、新しい使用人たちは、てきぱきと立ち働いている。


 ローズも広間に出るように言われたのだが、何をしたら良いのか分からない。

 新しい女中も執事も、そつのない仕事ぶりで、とてもローズが手を出せる事では無い。

 邪魔にならないよう、隅の壁際に立っているしかなかった。


「・・・それで戦争の状況はいかがなものでございましょうか、クリント卿。我がエルーガ国が優勢と聞き及んでおりますが・・・」

 バーチ氏が太い指でワイングラスを揺らしながら、クリント卿に話しかける。


「軍の知人から聞いた話ですと、コライユ王国が水面下で、ヴルツェル帝国と和平交渉に入ったという情報があるそうです。二国間に和平が成立すると、ヴルツェル帝国は全軍を、我が国へ投入してくるでしょうな」

 皿の上の肉を切り分けながら、クリント卿が大きくうなずく。

 バーチ氏はおおげさに頭を振って言った。


「この戦争は、ヘレン王妃をめぐる名誉戦争みたいなものですからなぁ。自国の皇女が嫁ぎ先の国で投獄された挙句、死んでしまったのですから、ヴルツェルとしては我がエルーガ国の領地を、少しでも削り取らなければ、面目が立たんのでしょう。亡くなられて10年以上経つというのに、国民を苦しめる王妃様にも困ったものです」


「心にも無い事を」

 嘆くバーチ氏を、クリント卿が笑い飛ばす。


「長引く戦争で、木材の価格が上がっていると聞いてますよ。バーチ商会にしてみれば、我がエルーガはずっと、ヴルツェルと敵対している方が有難いのでしょう?」

「これはこれは。クリント卿にはおそれ入りますな」

 あっはっはっは、と、バーチ氏は恰幅かっぷくの良い笑い声を上げた。


 戦争の話をしているのに、何がそんなにおかしいのだろう。

 立派な大人たちの話は言葉が難しくて、ローズは全てを理解した訳では無いが、上機嫌に笑うバーチ氏がどうにも納得できない。


 それに、話題に上っているヘレン王妃という人は、あの馬番のベンに大怪我を負わせた王妃なのだろうか?

 今、行われている戦争にも関わっているらしい。だから牢屋に入ったのだろうか?

 もう死んでしまった人のようだが、ベンもバーチ氏も良く言っていない。

 やっぱりとても悪い人なのだろうと、ローズは思った。



 夜も深まり、満月がしんしんと輝く頃、晩餐を終えた面々が、応接間に場所を移して歓談を始めていた。


「ローズ、ヴィヴィアンを部屋で休ませてちょうだい」

 バーチ夫人がローズを呼びつける。


 長椅子でウトウトしている、ぽってりとしたヴィヴィアンを、細っこいローズが抱きかかえるようにして、応接間を後にした。


 ヴィヴィアンの部屋に戻り、どうにか寝支度をさせてベッドへと押し込む。

 途端、ヴィヴィアンはいびきをかいて眠りだした。

 ローズはなるべく物音を立てないように、そっと部屋を出る。


「ローズ」

 廊下で呼ばれて振り向くと、リリィが立っていた。



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