第6話 違う明日



「ヴィヴィアンお嬢様は、ローズよりあたしの方に用事をお頼みになるのが多いんです。ねぇ、そうですよねえお嬢様」

 すがるような目で、リリィはヴィヴィアンを見た。


 当のヴィヴィアンは、長椅子にどっしりと座って、夕食前だというのに焼き菓子を頬張りながら「そうかもしれないわねえ」と、気の無い返事をする。


 だがこれには、ヴィヴィアンの母親であるバーチ夫人が口を開いた。

 髪を高々と結い上げたバーチ夫人は、ひょろりと細い身体をしている。


「ローズに決めたのは私です。リリィ、お前もヴィヴィアンに付きたいと思っているのなら、もう少し勉強しなければなりませんよ。字も読めないようでは女中が勤まるはずないでしょう?」

 頭のてっぺんから出ているような甲高い声で言われて、リリィは悔しそうに唇をかみ締めた。


「それからローズ、お前も不足があればすぐ辞めてもらいますよ。しっかりとおやりなさい。リリィも分かりましたね」

 女主人らしくきっぱりとした言いように、ローズもリリィも「はい」と神妙に頭を下げる他は無かった。



 夕食後、ローズは部屋を替わるように指示される。

 今までは館の屋根裏でリリィとベッドを並べていたが、今夜からは館の一室に作られた女中部屋で寝泊りするのだという。


「上手いことやったよね、ローズ。あたしもあんたみたいに大人しくしてりゃ良かった。お上品な言葉使いをしてさ。そうすりゃあ良かったよ」

 少ない荷物をまとめるローズに、リリィがドアに身体をもたれながら言った。


「リリィ、できるものなら代わってもらいたいわ」

 これはローズの本心だった。


 こんな事は全く望んでいなかった。

 リリィがやりたいというのなら、そうすれば良いじゃないか。

 なぜ自分なのか、と思う。


 けれど、リリィは乾いた笑いを口に浮かべて言った。

「そんな事言って、あんたはあたしを笑ってるんだ。あたしの言葉使いも、あたしが読み書きできないのも。腹ん中ではバカにしてるんだろう」


「違うわ。わたしだって簡単な文字しか読めないし、言葉だってちっとも上品なんかじゃないわ」

 ローズは首を振るが、リリィはさらに食ってかかる。


「はっきり言やあいいじゃないか。でもね、そんな事できたからって何になるんだい。どんなに勉強して頭を良くしたところで、あたしら、ご主人様の言う事に逆らうなんてできやしないんだ。だったら何も分からないでいた方が気が楽ってもんだよ!」


 叩きつけるような言葉を吐いて、リリィは部屋を出て行った。

 階段を下りて行く足音を聞きながら、ローズはなぜか悲しくなって、涙を落とす。


 一緒に働くのだから、これからもずっとここで働くのだから、同じ歳なのだから、女の子同士なのだから・・・リリィとは仲良くしたかった。

 何でも言い合える、心休まる者同士になりたかった。


 そう思って、ローズは努力してきたつもりだった。

 ・・・けれど、間違いだったのだろうか。


 昼間、森に行った事が、もう随分と遠くに感じる。

 あれほど明日が楽しみだったのに、もう森へは行けないのだ。

 そう思うとよけいに涙がこぼれて、止まらなかった。



 翌日からローズの日常は一変する。


 まず、お仕着せの黒い毛織のワンピースが与えられた。

 足首近くまで裾が長く、首元まで襟のつまったものだ。


 仕事も、朝から晩まで、文字通りヴィヴィアンが起きて眠るまでの間、ずっと彼女に付ききりとなった。


 木こり衆の昼食を運ぶ役目は外されて、代わりに誰が行っているのかさえローズの耳には入らなかった。

 気にはなったが、あの夜以来、マギーやリリィたち、台所で一緒に働いていた面々とはろくに顔も合わせていない。


 主人たちを直接世話する者たちと、下働きをする者たち。

 同じ使用人ながら、仕事も生活もはっきりと分けられてしまったのだ。


 そんな中、チャールズの婚約者とその父親が、バーチ家に来るという日になる。


 当日の早朝、ローズは森でカイムに会っていた。

 台所で働いていた頃は、井戸端で洗い物をしていた時など、森の上を飛ぶカイムの姿を見る事ができたが、今はこうして朝のひとときだけしか触れ合えない。

 この時ばかりは、起こしてもなかなか起きないヴィヴィアンの寝坊グセに、感謝したい気持ちだった。


 肩に止まって頬ずりしてくるカイムを撫でていると、パキリッと落ちた小枝を踏み抜く音が聞こえて、ローズは振り返る。

 朝もやがけぶる中、ヴァイゼとフェルが立っていた。


「あ・・・」

 ローズは胸がいっぱいになって、声が出せない。

 もう会えないと思っていた・・・なのに。


「あれから森に来ないから心配していた。ここに来れば会えると思って」

 フェルが少々照れくさそうに言った。


 ローズは目を見開く。

 ずっとこらえていたものがジワッと目から溢れ出た。


「ああ、おい、どうした?」

 突然の涙に、フェルが慌てる。

 ローズは泣きながら、森に行けなくなった理由を話した。


「・・・そうか。それで来られなくなったのか・・・」

 フェルは深く頷いて、腰から提げていた物入れから、小さな紙包みを取り出した。

「これ、やるよ」

 差し出された包みを開くと、きれいな色の大きな飴玉が三個ほど出てきた。

「・・・飴?」

 魔獣狩人という、いかつい生業なりわいの男から出てくるにしては、意外すぎる品だ。


「こいつの好物なんだ」

 フェルはヴァイゼを指す。

「えっ!」

 これまた意外な答えだ。


「飴を食べるの?グリフォンが?」

「こいつは甘いものが好きなんだ。おかげで菓子屋に買いに行くたび、店の者に変な顔をされる」


 ・・・確かに。

 菓子屋の客は、子供や女性が多い。

 そこにフェルのような、長い棒を背負った男が入って来たら、怪しまれても仕方ないかもしれない。


「ふふっ」

 想像して、思わずローズから笑いが漏れた。

「ありがとう、フェルさん、ヴァイゼ」

 ローズの笑顔に、フェルも安心したように微笑んだ。


 辺りが次第に明るくなり始める。

 ローズは飴の包みを、大事にポケットにしまった。


「そろそろ行かないと。今日はお客様があって忙しいから」

「例の婚約者とやらか」

「そう、クリント卿とご令嬢がいらっしゃるの」

「クリント卿・・・だと?」

 返ってきたフェルの声音は固く、穏やかに微笑んでいた顔は、一変して険しいものになった。


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