第5話 使われる者
周囲がざわざわと動き出す気配がする。
木こりたちが、午後の仕事に取り掛かり始めたようだ。
昼食が終わったなら、ローズは館に帰らなくてはならない。
木こり衆の親方が、フェルに手招きをしている。
彼も仕事に戻る頃合いだ。
「名前、聞いていなかった」
去り際、思い出したようにフェルが言った。
「ローズです」
あちこちに置き去りにされた、皿やカップを拾いながら、ローズが答える。
「ローズ」
フェルは確かめるように呟いてから、
「・・・なぁローズ。あんた、以前に俺と会った事が・・・」
と、言いかけて首を振った。
「いや、何でも無い。・・・じゃあ、また明日な」
ローズに向けて手を上げてから、フェルは親方の方へと歩いて行った。
その背の高い後ろ姿を、ローズはしばらく見ていたが、ベンに催促され、急いで荷物をまとめて荷馬車の荷台へ上がる。
振り返った時にはもう、彼の姿も、グリフォンも、見えなくなっていた。
館に戻ると休む間も無く、ローズは持って行った樽や食器の後片付けに取り掛かる。
裏庭にある井戸端で食器を洗いながら、明日はフェルとどんな話をしようかと考えていた。
ヴァイゼについても色々聞きたいし、フェルがこれまでどんな所に行ったのかも興味があるし、カイムの話も聞いてもらいたい。
そう考えるだけでわくわくする。
明日が楽しみだなんて、いつ以来だろう。
ローズは、はりきって食器を洗った。
どんどん仕事を終わらせば、早く明日が来るように思える。
これが、夢を持つという事なのだろうか。
ローズはいつになく明るい気持ちになっていた。
「おいおい!あんた一体何なんだ!」
突然、大声が裏庭に響き渡って、ローズは皿を落としそうになる。
料理人のジムの声だ。
台所で何かあったらしい。
もうこの時間は、夕食の支度に取り掛かっているはずだが・・・。
ローズは洗い終えた食器を抱えて、台所に急いだ。
台所では、ジムと見知らぬ男が、
「だからこれがご主人様の夕食なんだよ!仕事の邪魔をしないでくれ!」
「邪魔をしているのはあんたの方だ。それは使用人たちで食べればいい」
その男は、煮えている鍋の中を
「ちょっとあんた!そっちは台所だよっ、勝手に入らないどくれっ!」
今度はマギーの声だ。
しかし台所に現れたのはマギーではなく、きちんとした身なりの男と、ツンとした顔の女だった。
二人とも台所に入るなり、辺りをぐるぐると見回している。
「狭いわねぇ、汚いし」
女は嫌味っぽく顔をしかめた。
身なりの良い男は、棚から食器を出して見ている。
「それはお客様用の食器だよ!そんな扱いをしたら壊すじゃないか!」
ギョロッとした目を更に大きくむいて、マギーは男の腕を力任せに引っ張った。
「ああ、心配無い。来客用の食器は発注済だ」
男はマギーを気にも留めず、食器を棚へと戻し、胸ポケットから手帳を取り出して何かを書きとめた。
「あの人たち、いきなり来たと思ったら、ああして館の中を見て回ってるんだ。マギーがずっと怒っててさあ・・・」
その様子を呆然と見ていたローズに、リリィが小声で教えてくれた。
マギーの怒りが空回っているのが、面白いらしい。
普段、何かと叱られてばかりだから、胸のすく思いなのかもしれない。
叱られてばかりという点ではローズも同じだが、一緒に笑う気にはなれなかった。
バーチ家の台所で、マギーが仕切れない事態が起きているのだ。
こんな事は、初めてだ。
「全員、旦那様がお呼びだぞ!」
勝手口で声を上げたベン老人を、台所に居た者全てが振り返る。
「全員」という言葉に、それぞれの顔を見合わせた。
「こうして集ってもらったのは他でもない」
バーチ家の主人は、ローズたち使用人を見据えて、重々しく口を開いた。
館の居間には、バーチ氏の他に、奥方と息子チャールズ、娘ヴィヴィアンの、一家全員が顔を揃えていた。
それを前にして、ローズ、マギー、ジム、ベン、リリィの面々が、緊張の面持ちで並び立っている。
使用人全員が、主人一家と同じ部屋に集るなど、めったに無いからだ。
その上、あの三人の
使用人たちの緊張に比べて、こちらは落ち着き払っている。
異様な空気が、辺りに漂っていた。
「すでに聞いているとは思うが、チャールズがこのたびクリント卿のご令嬢と婚約の運びとなった。我がバーチ家も、いよいよ貴族と親戚関係を結ぶこととなる」
バーチ氏は、丸々と太った身体を椅子にどっしりと預けて、せり出た腹に組んだ両手を乗せている。
そろそろ薄くなりはじめた髪を、どうにか頭に撫で付けていた。
「我が家も貴族の
それはバーチ家の使用人たちにとって、思いもかけない話だった。
あの三人は闖入者ではなく、主人から招かれた者たちだったのだ。
身なりの良い男は執事、ツンとした女は奥方付きの女中、もう一人の男は料理人だと紹介された。
皆、貴族の家で働いた経験があり、これからはこの三人のやり方に従うようにとの事だった。
「だ、旦那様、俺の料理がお気に召さないとおっしゃるんですか・・・」
ガタガタと震えながら、ジムが絞り出すような声を上げた。
「そんな事は言っていない。だがね、これから先、うちには上流階級のお客様が大勢お見えになるんだ。きちんとした作法を踏まえたお食事をお出ししなければならない。お前が一人でこなすのは、難しいだろう?」
上流階級の作法などと言われてしまっては、ジムも返す言葉が無いようで、肩を落として小さく「はい」と答える。
それはマギーも同じだった。
長年かけて築き上げた彼女の立場は、新参の執事に取って代わられる事になったのだ。
けれどマギーにとって、全てに優先される主人の命令であるから、何もかもを腹に収めて「承知しました」と短く返事をしただけだった。
「ローズ、お前は明日からヴィヴィアン付きの女中になってもらう」
突然の指名に、ローズはきょとんとした顔を返す。
事態がよく呑み込めない。
「な、なんでローズなんですか!」
反応はリリィの方が早かった。
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