第4話 夢の力



 ベンは、よっこらしょと荷台の車輪に背中を預けるようにして、地面に腰を下ろした。

 ローズも荷台から降りて、隣に座る。


「今のファーディナンド国王陛下が初めて王城おうじょうにお入りになられる時、グリフォンに騎乗されていた。その行列を見物したんだ。国王陛下は14歳というお若さながら、大そう凛々しくご立派だったさ」

 老人は遠く過ぎた日を思い起こすように、目を閉じた。


「14歳!国王陛下ってそんなに若い方だったの!」

 ローズは驚きの声を上げる。

 14歳なら自分よりひとつ年下、そんな少年がこの国の王だとは思ってもみなかった。


 だが、ベンは苦笑いをして首を振った。

「違う違う、もうずっと前の話だ。そうさなぁ・・・11年も前になるのか。『グリフォンに選ばれし者、神託の王なり』の伝承どおり、ファーディナンド陛下は先代国王の悪政から、わしら国民を救って下された」


「先代の王様は悪い人だったの?」

 ベンは眉間に皺を寄せた顔を、ずいっとローズに近寄せる。


「先代の王妃が性悪な女だった。城の門番だったわしを、馬車で引っ掛けたんだ!大怪我をしたんだぞ!そのせいでわしは、職を辞するはめになった。わずかばかりの見舞金が出ただけで、王宮からは謝罪も、長年の奉公に対するねぎらいの言葉も無かったんだ!」

 一気にまくし立ててから、ベンは深く長い息を吐いた。


「そ、その王妃様は、今はどうしているの?」

「死んじまったよ。悪い事をさんざんやって、牢屋に入って死んじまった」

 ベンは吐き捨てるように言って、雑穀パンを小さくちぎって口に入れた。

 それでも固くて噛みづらいのか、顔をしかめながら口を動かしている。

 この老人が、お城の門番だった姿は想像つかない。


 けれども、初めて聞いたグリフォンに乗る王様の話に、ローズの心はときめいた。

 できるなら、そのグリフォンと王様を見てみたい。

 どうすれば叶うだろうと考えて、すぐに答えが出た。


 叶う訳が無い、と。


 毎日毎日、朝から晩まで仕事をしている身なのだ。

 お城がある王都になど、行けるはずが無い。


 たとえこの町に王様が来たとしても、自分はその見物人に混ざる事すらできないだろう。

 きっとその日も一日中、働いているのだから。


 働くのが嫌な訳では無い。

 そうやって暮らして行くのが、当たり前なのだ。


 けれど・・・


 けれどわたしは、このまま大人になってしまうのだろうか・・・。

 そして大人になっても、誰かに叱られないよう、嫌われないように、ただ下を向いて暮らして行くのだろうか・・・。


 そんな事を考えてしまう自分は、ただの怠け者のような気がして、ローズはパシパシと自分の頬を両手で叩いた。


「うわあっ!」

 突然、隣から変な声が上がる。

 ベンが驚きの表情で何かを見ていた。


「あっ!」


 今朝の、あの美しいグリフォンがこちらへ向かって歩いて来る。

 フェルと名乗った青年も一緒だ。


 ああ・・・。

 ローズは高鳴る胸をそっと押さえた。


 木こり衆たちと言葉を交わしながら、フェルが荷馬車へと近づいて来た。

 ローズは少し緊張して、立ち上がる。

 フェルと視線が合った。


「あれっ、あんたは・・・」

 気づいてくれたのが嬉しくて、ローズはペコリと頭を下げる。


「ああ、やっぱりそうだ。今朝の・・・」

 フェルが気さくに言い出したので、ローズはあわてて首を振った。

 早朝に森に居た事、特にカイムの事を、隣のベンに聞かれたく無かったからだ。


 それを察してくれたらしく、フェルはそこで言葉を切って、ちらりとベンを見た。


 ベンはと言えば、目の前に立っているグリフォンを声も無く見上げている。

 座ったままなのは、腰が抜けているのかもしれない。


「爺さん大丈夫だよ、こいつは紳士なんだ」

 フェルがグリフォンの頭を撫でながら言うと、

「ふ、ふん。国王陛下のグリフォンの方がずっと立派だったさ」

 そんな負け惜しみを返すので、フェルは大きく笑った。


 それがしゃくに障ったのか、ベンはプイと顔を背けて、ギクシャクとどうにか立ち上がり、馬が繋いである方へと行ってしまった。


 ベンには悪いが、ローズは少しホッとする。


「あんた、バーチ商会の人だったのか」

 フェルが笑顔を向けた。

「旦那様のお館で働いています」

 ローズは昼食を渡しながら答える。


「大丈夫だよ、今朝の事は誰にも言わない。あの小さいやつの事もだ」

 小声でフェルが言った。

 ローズはもう一度深く頭を下げる。


 そして、そのかたわらに立つグリフォンを見た。

 青みがかった紫の大きな瞳が、じっと自分を見返している。


「そいつはヴァイゼというんだ。どうやらヴァイゼは、あの小さいやつよりも、あんたに興味があるようだな」

「えっ、わたし?」


 フェルは具の挟まったパンにかぶり付きながら、ニヤリと笑う。

「もっとも、あんたも同じようだ。両思いで良かったな、ヴァイゼ」

 ヴァイゼと呼ばれたグリフォンは、声も上げず、その大きな瞳をゆっくり閉じた。


「あ、あの、フェルさんは、魔獣狩人なのですか?」

 おずおずと、ローズがたずねる。


「そうだよ。・・・でも安心しな、この辺り一帯に魔獣の気配は無いから。内緒だぞ、途中で帰されては困る。手当ては日払いなんだ」

 ニッとフェルが悪戯っぽく笑った。

 思わずローズも、クスリと笑う。


「さっきベンさんから、国王様もグリフォンに乗っているって聞きました。やっぱりグリフォンに乗るって、特別な事なのでしょうね」

 フェルは手に残ったパンを口に放り込む。


「馬に乗るのとそう違ったものじゃ無いさ。乗り手と魔獣に信頼関係があればできる。とはいえ、そこが難しい訳だが・・・」

 真剣な眼差まなざしを向けて、ローズはフェルの話に耳を傾けた。


「・・・あんたグリフォンに乗りたいのか?」

 フェルの低い声に、ローズは我に返った。

 前のめりで話を聞いていたのを、変に思ったのかもしれない。


「ご、ごめんなさい」

 しかしフェルはローズをじっと見て、

「謝って欲しい訳じゃない。乗りたいのかと聞いているんだ」

 そう言った。


 怒って、声を荒げているのではないが、なぜだろう、ごまかしを許さないようなものを感じる。


「あ、あの・・・カイムが大きくなって、わたしを乗せてくれたらって、考えました。そうしたら・・・どこか遠くへ行けるのかなって・・・」

 小さい声でたどたどしく、それでもローズは自分が考えていた事を正直に話した。


 だが、話し終えてハッと気付く。

 これではここから逃げ出したいと言っているようなものだ。


「あっ、違います!遠くへ行くとか、思っていませんから!」

 即座に訂正する。


 行きずりの人ではないのだ。

 うっかりバーチ氏の耳に届いてしまったら、大変な事になる。


 黙ってローズの話を聞いていたフェルは、フッと力を抜いたように笑った。


「夢を思い描く自由は、誰でも持っているはずだろ?」


 ローズは背の高いフェルを見上げた。

 夢とか自由とかいう言葉は、この人にこそ似合う気がする。

 ヴァイゼと一緒に、どれ程多くの空を渡って来たのだろう。


「わたしも、そんな事を願っていいのですか?たとえ叶わないと分かっていても?」

 フェルは柔らかく笑ったまま、その榛色はしばみいろの瞳を空に向けた。


「・・・人生なんてどう転ぶか分からないもんさ。自分の中に、夢とか願いを持っていれば、自分を動かす力になるし、途方に暮れた時の道標みちしるべになる」

 彼の言葉に呼応するかのように、かたわらに立つヴァイゼが小さく喉を鳴らす。


 そんな風に考えた事すら無いローズは、フェルの言葉をただ噛み締めるのが精一杯だった。






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