第33話 相棒として



「きゃあああっ!」


 ローズが叫んで後ずさった。

 屋根の穴から飛び出したヴァイゼが、壁際に居た敵兵を地面に引き倒して、その身体に鉤爪を食い込ませる。


 ヴァイゼは回廊の様子に視線を向けた。

 フェルが相手にしているのは残り二人。


 回廊の幅から、敵は二人並んで同時に動けないものの、交互に間断無い攻撃を加えている。

 フェルが防戦する場面が多いようだ。


 それに、フェルの得物えものは尺が長い。

 射程が広いという利点はあるが、小回りが利かないという欠点もある。


 背を塞いでいる事で、敵も背後に回れないが、自分もそれ以上は後ろに下がれない。

 攻め込まれてしまえば、槍は壁につかえて役に立たなくなる。


 敵兵はすでにそれに気付いて、じりじりと間合いを詰めつつあった。


 フェルの槍は、そもそも、自分よりも大きい魔獣に対峙するための武器なのだ。

 完全に対人用としての武器を、しかも室内戦に特化したものを持っている相手との差は、最初から大きい。


 フェルの息が上がっているのが、ヴァイゼも分かっていた。

「頃合いか・・・」


 ヴァイゼの視線に気付いたフェルが、一瞬だけ敵兵から目を逸らして、見る。

 それだけで充分だった。

 ヴァイゼは素早く決断する。


 足元でうめく兵にとどめを刺して、ヴァイゼは一度の跳躍で小屋の屋根に上がり、穴から中へと下りた。


 小屋の隅で、頭を抱えて小さくなっているローズが居た。

 見てすぐに分かるほど、ガタガタと震えている。


「ローズ、私に乗れ。ここを離れよう」

 ヴァイゼはそう言って、騎乗しやすいように身体を沈めた。

 すでに鞍は乗せてある。


 だが、ローズは動こうとしない。


「さあ、ローズ。私と行こう」

 出来る限り穏やかに、声をかける。


 ローズがやっと、頭を上げた。

 顔には色が無く、おびえが貼り付いている。

 それでもどうにか立ち上がり、足を震わせながらも、ヴァイゼに跨った。


「よし、良くできたな。鞍の取っ手を掴めるか?」

 ローズが言われた通りに取っ手を掴むが、その手がガクガクと震えている。


 本来ならばベルトを使って身体を固定するのだが、今それをローズにさせるのは無理と、ヴァイゼは判断する。


「カイム大丈夫か、ローズにしっかり掴まっていろ」

 尼僧服の中がモソモソと動いて、中から「キュー」と、返事が上がった。


 時間が無い。

 フェルが相手をしている敵兵の一人が、すでにこちらをうかがっている。


「行くぞ!」

 一足飛びで穴から屋根に上がり、ヴァイゼはそのまま翼を広げて飛び上がった。


「えっ!フェルさんは?尼僧長さんは?」

 ローズの声に耳を貸さず、ヴァイゼは月に向かってどんどん高度を上げる。


「フェルさんっ!フェルさんっ!フェルさんっっ!!」


 その叫びは、地上のフェルの耳に届いた。


 フェルが目を向けると、月の光を受けて遠くなって行くヴァイゼの影が見える。

 その背には確かに人を乗せていた。


 さすがは俺の相棒だ。

 小さくなる影に向かって、フェルはニヤリと笑いかける。


 選択肢は二つだった。

 「フェルが敵兵を全部倒す」と「途中でローズを連れて逃げる」の二つ。


 一つ目の選択が不可能と判断した場合、即座に二つ目を決行する。

 それがフェルとヴァイゼとの、約束だった。


 判断はヴァイゼに一任していた。

 彼はそれを的確に実行してくれた。

 フェルはただ満足だった。


 ヴァイゼが飛び去ったのを、敵兵も気付く。

 一人が中庭に出ようとするが、フェルの槍が許さなかった。

「おいおいおい、一人ずつで負ける俺だと思うか?」


 槍を差し出しているその隙を見て、回廊に残ったもう一人が仕掛ける。

 だがフェルは、素早く左手で、ベルトにあったかぎ状の穂先を抜き、その剣を受けた。

 両手の武器で二つの剣を払いのけ、フェルは再び間合いを取る。


 ローズが居なくなった。

 それはかせが無くなった事でもある。

 目の前の戦いだけに、集中できるのだ。


 仕切り直すように、フェルは息を整えた。

 一度、身体の中心に合わせて己が武器を引き寄せる。


 それはエルーガの騎士の、決戦の作法。

 敵の兵士は、その仕草に一瞬ひるんだ。


 今までよりも更に鋭い一撃が、フェルから放たれる。

 敵兵の顔色が変わった。



 寺院を後にしたヴァイゼは、リンデン村ではなく、山に向かって飛んでいた。


 岩肌の見える、山の中腹を目指して下りて行く。

 そこには沢と緑があって、荒涼としたふもとの景色とは違う、清涼感のある光景だった。


 沢にせり出た岩だなに、ヴァイゼは降り立つ。

 ここは、この事態の為に、ヴァイゼが見繕みつくろっておいた避難場所だ。

 ローズが降りたのを確認して、ヴァイゼは再び立ち上がった。


「ローズ、この辺りで待っているんだ。私は寺院に戻ってフェルを加勢する」

 カイムを抱いたローズは、目を丸くして首を振った。

 こんなところに置いて行かれるとは、思っていなかったのだろう。


 ヴァイゼは、宥めるように話を続ける。

「この辺りに魔獣の気配は無い。命をおびやかすような動物も居ない。沢に降りれば水が飲める。・・・大丈夫だ。遅くとも朝には必ず戻る」


「わ、わたし一人で待っているの?」

「カイムが一緒だ。必ず戻る。約束する」

 ローズは首を振って、ヴァイゼの翼を掴んで離そうとしない。


「・・・ローズ、お前は魔獣狩人となる者なのだろう?」

 ハッとしたローズは、ようやく翼を離す。


「早く戻る」

 ヴァイゼは短く言って、岩だなを蹴った。


 ローズがじっと見上げている。

 けれど、手を挙げる事も、振る事も無かった。

 泣きそうな顔で、ただ見ていた。


「たいした卑怯者だな・・・私は」

 ヴァイゼは独り言を呟きながら、高く舞い上がり、再びリンデン寺院に向かう。


 気はくが、風は向かい風で、翼はとても重かった。

 四角く空間を切り取ったような寺院の建物が見えてくると、ヴァイゼは夜空を駆け下りるようにして、中庭を目指した。


 たすん、と、ヴァイゼが地面に下りる音が響く。

 それほどまでに、そこは静かだった。


「フェル」


 声を掛ける。


 返事が無い。


 羽毛が逆立つような寒気を感じながら、ヴァイゼは回廊へと上がった。


 家具が積まれた場所へと歩く。

 フェルが戦っていた場所だ。


 回廊に落ちていたのは、フェルの槍とおびただしい血だまり。


「・・・フェル」


 ヴァイゼは槍を咥えると、家畜の飼料小屋に持ち込んで、残っていた飼葉の中に隠した。

 そして寺院の屋根へと跳び上がり、目を閉じて気配を探る。


 死んだのなら遺体があるはずだ。

 それが無いのなら、生きて連れ去られたと思われる。

 ・・・そう信じたかった。


「フェル、私だ。返事をしてくれ」


 再度呼びかけたが、返事は無い。

 それほど遠くに行ける時間は、無かったはずだ。


 だが、返事は無い。


 ヴァイゼは目を開くと、月の輝く夜の空へと羽ばたいた。

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