第34話 決着と思惑



 サイモンがその報せを受け取ったのは、間もなく夜明けという頃だった。


 「男は捕えたが、娘とグリフォンは逃した」という。

 それも、寺院に放った六人の兵のうち、死者四人、重傷一人、軽傷一人という散々な戦果の上で、だ。

 だが、サイモンはなぜか、満足そうな笑みをもらした。


「魔獣狩人などという、俗な生業なりわいに身をやつしていても、腕はなまっていないらしい」


 サイモンは、手のひらに納まるほどの、小さな書簡を握り潰すと、無事に届けた鳩に餌を与えて、再び窓から空へと放ってやった。

 ひとつ大きく息を吐いて、サイモンは椅子の背もたれに身体を預ける。


 クリントがバーチ家で会ったという若い女中は、あろうことか王女の儀礼を心得ていたという。


 腰を深く落とし、右胸に左手を沿え、視線を落とす。

 これはエルーガにおいて、王室の子女が、国王に対して行う儀礼の所作である。


 すぐに裏を取らせて、行方不明のメアリーローズ王女ではないかと目星を付けた。

 それが、リンデン寺院に向かったという。

 寺院の尼僧長は、ヘレン王妃の侍女だった者だ。


 見当が確信となった。

 メアリーローズに間違い無い、と。

 ならば、奪いに行くのが当然だ。


 それを、あの小僧こぞうはしっかりと予測して、備えたという訳か・・・。

 武術の腕前だけではなく、頭の方も鈍ってはいない。


「ふっ、ふふ・・・」

 サイモンは肩を震わせて、笑う。

「これは・・・面白い事になりそうだ」


 いつもより少し早い時間ではあったが、サイモンは朝の支度をさせるために、鈴を鳴らした。


 さて・・・陛下に何と言って報告するか。

 思案のしどころだと、サイモンは考える。


 今日は忙しくなる。

 そんな予感がした。




 今、どのくらいの時間なのだろうか・・・。


 暗闇を照らすのは、鉄格子の向こう側の壁に掛けられた、蝋燭が一つだけ。

 外の光が一切入らない空間では、時間を推し量るのは難しい。


 転がされている石の床の冷たさが、身体に染みている。

 少し離れた場所で、番兵が、こちら側に背中を向けているのが見えた。


 フェルは、ゆっくりと身体を起こす。

 手も足も、拘束されていない。

 だが当然ながら、武器はベルトごと外されていた。


 首の後ろに鈍い傷みが走る。

 ・・・ここで、気絶おとされたか。


 一人の肩を突いたのまでは、覚えている。

 穂先を抜く隙に、もう一人が、わき腹に鋭い蹴りを入れてきた。

 それで膝を付いた後の、記憶が無い。


 気が付いた時には、手足を縛られて荷車のようなものに乗せられていた。

 上からこもを掛けられていたが、そのすき間から見えた光景は、王城の正門だった。

 そのまま意識が戻っていないふりをして、運びこまれたこの場所は、王城の地下牢らしい。


 その時、辺りが動く気配がした。

 番兵が直立不動の姿勢を取る。

 その様子から、相当身分のある者が来たのだと、分かった。

 それは・・・


「お前たちに、陛下が御酒を下されたぞ。上で頂いてくるが良い」

「はっ、ありがたき幸せでございます」

 牢番たちは嬉々としてその場を離れて行く。


 果たして、その人物が現れた。


「・・・ほら、やっぱり起きていた。君の事だから、ここに運び込まれる前から気づいていたんでしょ?」


 豪奢な衣装を着た青年が、フェルの姿を見て目を細めた。


「随分と背が伸びたね、僕より高いや。それに身体つきもがっしりしてるし・・・10年振りだものね、フェル」


 くすんだ金髪、榛色はしばみいろの瞳、自分とよく似た顔立ち。

 10年前の、15歳の少年だった頃とあまり変わっていないように見えた。


「あの頃は、僕たち背格好もそっくり同じで、双子のようだったけど・・・大人になるとこんなに違ってしまうんだね」

 目の前に居ながらも、青年は、遠いものを見るような目つきをした。

 フェルはふん、と鼻を鳴らすと、片手を軽く挙げる。


「ああ、久し振りだな、マリウス。・・・いや、エルーガ国王ファーディナンド陛下と呼んだ方がいいか?」


 青年はそれに答えず、穏やかな表情のまま話を続けた。


「手荒い真似をして悪かった。こうでもしないと、君はここへ来てくれないだろう?」

「きちんとご招待頂ければ、それを受けるくらいの礼節は、持っているつもりだがね」

「話をしたいんだ。・・・ずっと話をしたかったんだ」

 マリウスと呼ばれた青年が、薄く微笑んだ。


 フェルは二人を隔てる鉄格子の隙間から、マリウスへと手を伸ばす。

 マリウスの身体がビクッと震えた。


「・・・怖いか、俺が」

「怖いよ。僕は裏切り者だから」


 言われて、フェルはその手を引っ込める。

 そして息をひとつ吐いた。


「話をしたかったのは、俺も同じだよ。・・・だがな、鉄格子の向こうとこちらで交わす話は、尋問じんもんって言うんだぞ。・・・そうだろう、サイモン」

 すると、マリウスの後ろに控えていた初老の男、サイモン卿がフェルの前に立つ。


「どうぞ私にお気遣いなく。お久し振りのご対面、ごゆるりとお話しなさいませ。私めがお気にかかるとおっしゃるのでしたら、どうぞヴルツェル語でお話し下さい」


 サイモンは大げさな素振りで、牢に向かって頭を下げた。

 そして、

「ダーヴィッド卿とそうなされていたように。・・・ファーディナンド様」

 と、口の端をニヤリと引き上げた。


 フェルの拳が、サイモンめがけて飛ぶ。

 しかしそれは、鈍い金属音と共に、鉄格子に阻まれた。


「おお、これは失礼致しましたフェルディナンド様。お名前もエルーガ名ではなくヴルツェル名の方が、お気に召されておいででしたね」

 サイモンは表情を変えずに、喉の奥で笑う。


「・・・なぜ、俺を殺さなかった?俺を殺してしまえば、お前もマリウスもゆっくりと玉座に座っていられるだろうに」

 フェルの問いに、サイモンは相変わらず口元に薄笑いを乗せたままで、

「殺すなどとは、滅相めっそうも無い。あなた様には、重要な役割がございますから・・・」

 そう言った。


 重要な役割。

 フェルは、その意味をすぐに理解する。


 ファーディナンドが「神託の王ファーディナンド」であるために、何よりも欠かしてはならないものがあるのだ。


 サイモンは懐から、金鎖に繋がれた時計を出して見る。

「陛下、そろそろ御朝食のお時間でございます。戻りませんと」

「そうだね。フェルにも朝食を出すように。兵の食事と同じものを」


 マリウスの言葉に、サイモンは少しだけ眉を寄せるが、

「かしこまりました」

 と、反論もせずに頭を下げた。


 マリウスはそれを見届けてから、出口の方へときびすを返す。


「それではフェルディナンド様、御前、失礼いたします」

 嫌味なほどに綺麗なお辞儀を残して、サイモンもマリウスの後に付いて行く。

 扉が閉じる音が響き、牢内には静けさが戻った。




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