第52話 歳月の尺度



「ふざけんなよ、この野郎。どれだけ心配したと思ってんだよ、俺も祖父様も。生きてたなら何で・・・何で黙ってたんだよ・・・」

 怒っていた。

 怒っているはずなのに、どうしてだか泣きたくなってくる。

 本当は、声を上げて泣きそうなのを・・・ごまかしたいだけなのかもしれない。


「・・・この10年、ずっと王宮に隠れていました。ヘレン王妃の部屋に匿われていたのです。マリウスの手によって」

「えっ・・・」


 フェルは息を呑んだ。

 ダーヴィッドが語った全てが、衝撃だった。

 ローズも驚いた顔で、ダーヴィッドを見ている。


「10年も隠れていたって?本当に?・・・そんな事が・・・」

 ダーヴィッドはにっこりと笑って、襟を掴むフェルの手を取った。

 その手のひらが、ダーヴィッドに間違い無くて、フェルは湧き上るものを堪える。


「詳しい話は、後ほどゆっくり。それよりフェル、脱出を急がないと。看守は縛り上げましたが、交代の時間が来れば・・・」

「分かった」

 ダーヴィッドに最後まで言わせず、フェルは手を離した。


 ここで今、長話をしている訳には行かない。

 フェルは、ダーヴィッドの腰に剣があるのを見る。

 それで決心した。


「ヴァイゼを呼んで、一旦王城を離脱する。後の事はそれからだ」

 言って、フェルはすぐ、ヴァイゼに向けて意識を開放した。

 ところが・・・。


「・・・あれ?」

 フェルの表情が曇る。

 ヴァイゼの反応が無い。


「ヴァイゼ・・・王宮に入った時には繋がっていたのに」

 うろたえるローズの手に、大きな羽根があった。

 ヴァイゼの羽根だと、フェルはひと目で分かった。


 フェルは手を伸ばして、その羽根に触れる。

 だが、柔らかく艶やかな手触りがあるだけで、ヴァイゼの意識を感じられない。

 嫌な予感が、走った。


「フェル、グリフォンの厩舎に行きましょう。ヴァイゼが捕えられているのなら、救出するまでです」

 状況を察したダーヴィッドが、声を上げる。


 そうだ、とにかく地上へ出なければ。

 フェルは槍をしっかり持ち直すと、先頭を切って、地上へ繋がる階段を駆け上がった。




「ほう、これは随分と大人しくなるものだな」

 サイモンは感心の声を上げる。

 厩舎の中は、霞みがかかるほど煙が焚かれていた。


「こんな便利な物を今まで黙っているとは、やはり使えない男だったよ」

 ひとりごちて、サイモンは厩舎の中央に立つグリフォン、ヴァイゼを見た。


 身体じゅうを幾重もの鎖で巻かれ、厳重に繋がれている。

 それでもヴァイゼは、地面に伏せる事なく、まっすぐに首を上げ、立っていた。

 魔獣とはいえその姿は、やはり「神託」という名にふさわしいと、サイモンは感じ入った。


「とにかくグリフォンというものは、馴れなくて困る。人の手からは餌も水も口にしないものだから、皆、ふた月足らずで死んで行く。・・・お前が不在のために、どれだけのグリフォンがここで命を落としたと思うのだね?その鎖には、同胞の血と肉が染み付いているのだよ。分かるかね、神託のグリフォンよ」

 しかしヴァイゼは、唸り声ひとつ上げない。

 サイモンは構わずに、話を続けた。


「まさか『神託の王』よりも『神託のグリフォン』の方をげ替えるのに苦労するとは、思いもよらなかったよ。・・・でも、本物がこうして手に入った。やはり本物は違う」

 感慨深く、サイモンはヴァイゼを見る。

 捕らえた衛兵に死傷者が出たというのに、ヴァイゼには傷ひとつ無い。


「・・・そう命令してはあったが、本当に無傷で捕われるとは・・・。それほどまでに、あの小僧フェル王女ローズが大切か?」

 サイモンは喉の奥で笑った。


「10年ぶりに小僧を見たが・・・なかなか立派になったものだ。粗野に拍車がかかってはいるが、本質は変わっていない。あのまま国王の座にあったのなら、さぞ勇壮な国王となっていただろうに・・・」

 チャリッ、と鎖の音が立つ。

 だがそれだけで、ヴァイゼはやはり動かない。

 また、サイモンは笑う。


「勝手な物言いだと思うかね?まぁ、その通りだな。・・・あの、ヴルツェル人の王妃に左遷されて、大臣への道を閉ざされた私が、『神託の御子』に仕える好機に恵まれたのは、大きな喜びだった。しかも政治的には何の後ろ盾も無い、孤児の領主だ。伝承が真実ならば、『神託の王』の宰相という、稀なる栄誉を手にする事ができる、と。・・・だがまた、ヴルツェル人の横槍だ。・・・ダーヴィッド」

 その名を口にした途端、サイモンの顔つきが渋いものとなる。


「あの青二才ダーヴィッドが居る限り、私は臣下の筆頭にはなれない。私の長年の努力と献身を、小僧フェルは一顧だにしなかった。エルーガ国王となりながら、ヴルツェルの名を使い、ヴルツェル語を使い・・・残念だよ。10年を過ぎた今でも・・・」

 ケホンと乾いた咳が出た。

 こんな煙の中に居るからだろう。

 しかし、それでもサイモンは、ヴァイゼを見ていたかった。


「グリフォンよ、あの二人の事は心配せずとも良い。西ウェスペル全ての王族と血縁がある元国王に、ヴルツェル皇帝の孫姫だ。我がエルーガの外政に貢献して頂くために、大切に大切に扱うのでな・・・もちろん、お前がそうして大人しくしている事が条件だよ」

 言い終わって、また咳をする。

 人には無害と聞いているが、やはり気持ちの良いものではない。


 厩舎を出ようとして、ふとサイモンはもう一度振り返った。

「・・・ヴァイゼと言う名も改めよう。エルーガの神託を聞く者が、ヴルツェル語の名を持っているのも、おかしい話だからな。ふさわしい名を考えておこう」

 返事は無い。

 彫像のようにただ立っているグリフォンを置いて、サイモンは厩舎を後にした。


 厩舎の外では、厩舎の世話役の兵士たちが、薬を燻していた。

 その中に、薬を調達して来たクリントの姿が無い。


「・・・クリントはどうしたのだ?」

 サイモンに問われて、兵士たちは揃って頭を下げる。

「もう随分と前に、お帰りになられました」


 チッ、と、サイモンは大きく舌打ちした。

 面倒だからと、先に金を渡してしまったのが間違いだった。

 この薬剤の取り扱いを知る唯一の者が、現場を指揮しないでどうすると言うのか。

 クリントが今度頼って来た時は、何も聞かずに首を刎ねてやろうと、思った。


「誰か!クリントを呼び戻して・・・」

 サイモンが兵士らに指示を出していると、兵士たちが急に直立の姿勢を取る。


「サイモン、グリフォンを捕えたそうだな」

 その声に、サイモンも臣下の礼を執った。

 こちらへ向かって来る国王マリウスは、渋い顔つきをしている。


「何か薬を使っていると聞いた。すぐに止めるように」

 明らかに不愉快と分かる口調で、マリウスが命じた。


「ご心配には及びません。ちょっとした気を静める薬でございます」

 努めて穏やかに、サイモンが言い返した。

 しかし、


「王の命令であるぞ、サイモン」

 マリウスは厳しく断じる。


 この言葉に敵うものなど、ありはしない。

 サイモンは神妙に頭を下げ、兵士たちは弾かれたように、厩舎へと走って行く。


 マリウスが、これほど明確に、公然と反抗するのは初めてだ。

 下げた頭を上げられずに、サイモンは微かな動揺を感じていた。


 その時、王城の塔の方から、衛兵たちが騒ぐ声が聞こえた。

 何者かが、衛兵を蹴散らして、こっちへ向かってくるようだ。


「フェル!」

 マリウスの声にサイモンは目を凝らす。


 確かに小僧だ。

 しかしもう一人、細身の男が居る。

 あれは・・・


「ダーヴィッド!ダーヴィッドではないかっ!」

 驚きと憎悪が篭もった声が、サイモンから絞り出された。


「ダーヴィッドとフェルが相手じゃあ、ただの衛兵に止めさせるのは酷だなあ」

 そのマリウスの言い様に、サイモンは信じ難い事実に気づく。


「・・・もしや、もしや・・・陛下、あなたは・・・!」

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