第51話 待ち望む



 地下牢のフェルは、命を絶つ決意を固めていた。


 さて、どういう手段を使おうか・・・。

 フェルは牢の中を見渡しながら、考える。


 幼い頃から、誘拐や暗殺の危険に曝されていた。

 自らを護るために、武術とは別に、敵を確実に仕留める技を仕込まれた。


 それを今、自分に向けて使おうとしている。

 ・・・でも。

 フェルは、手のひらを開いて見た。


「参った・・・震えてるときた」

 そう、怖い。


 不思議だった。

 昨夜、リンデン寺院で戦った時は、死など恐れなかったのに。

 いつだって、これで終われると思っていた。

 それは安心感ですらあったのに。


「・・・本当に似ているな、あの時と」

 額の傷に触れる。

 ダーヴィッドに突き落とされた谷底で、命を拾った時だ。


 戦闘は苦しくて、痛くて、辛くて、でも自分から諦める訳には行かなくて・・・。

 だから「もう終わっていい」と言われた時は、嬉しかった。


 なのに・・・

 川から這い上がって、生きていると感じた時は、残念だと思わなかった。

 傷を手当して、ひたすら救助を待っていた。


 ひとりで死んでしまうのが、悲しかったから・・・。

 もう一度会いたいと、思ってしまったから・・・。

 慕わしい者たちに・・・。


 フェルはギュッと、手を握り締める。


 その時、こっちへ向ってくる足音に気付いた。

 軽い音だ。

 看守の兵のものではない。

 フェルは立ち上がって、身構える。


 誰だ?

 牢の中で殺すための刺客?

 もしそうだとするなら、ヴァイゼはすでに捕えられたのか?

 フェルは緊張しながら、その足音が近づくのを待った。



「フェルさん!」


 えっ・・・?

 ・・・現れた足音の主を見て、フェルは自分の目を疑った。

 それは、短く切った栗色の髪を揺らして、小さなグリフォンと共に駆け込んで来る。


「ローズ?!」

 水色の大きい瞳を、さらに大きく開いて、ローズは鉄格子に取りすがった。


「フェルさん、良かった!フェルさん!」

 瞬く間、ローズの瞳に涙がたまる。


 フェルは呆然とローズの前に立っていたが、

「お、お前、どうして!祖父様・・・パウル卿の所へ行かなきゃダメだろう!」

 我に返って、叱り付ける。

 ローズはぶんぶんと首を振った。


「ヴァイゼは?どうしてヴァイゼは、お前を連れて行かなかったんだ?」

 戸惑いが広がる。

 自分の感情の整理がつかない。

 ローズをここへ来させたくなかったから、命を張って戦ったのに・・・。


 全てが無駄になったじゃないか。

 どうするんだよ、お前が来たからって、何ひとつ好転しないんだぞ。


「わたしがヴァイゼに頼んだの。わたしがマリウスさんに、フェルさんを帰してもらうようにお願いするからって」

「マリウスに・・・って、お前、それをどうして・・・」

 言葉を失うフェルに、ローズが涙を溜めた顔を上げる。


「ヴァイゼから聞かせてもらいました。フェルさんが本当はファーディナンド陛下だって事。マリウスさんと入れ替えられてしまった事・・・」

 ローズの言葉が、フェルの胸を衝いた。


「・・・それでも来たのか?俺が・・・ファーディナンド王が、お前とヘレン王妃に何をしたのか知っていただろうに・・・」

 こっくりとローズが頷く。


「だから・・・だから、フェルさんに会わないといけない、って思いました」

 フェルをまっすぐ見つめる、ローズの瞳から、とうとう涙があふれて流れ落ちた。


「良かった、会えて良かった。フェルさんはやっぱりフェルさんでした。わたしの大事なお師匠さんです」

 涙の流れる顔のまま、ローズはにっこりと笑った。


 お前が来たからって、何も好転しない。

 足手まといにしか、ならないくせに。


 なのに・・・

 なのに・・・


 フェルは鉄格子の間からの伸ばした両手で、ローズを抱きしめる。


 なのに・・・

 もう一度会えて良かったと、思うなんて・・・

 心のどこかで、待っていたなんて・・・


「まったく・・・お前を護るために死のうと思ったのに、それで俺のツケが返せるはずだったのに・・・これじゃあ格好が付かないだろ・・・」


 フェルの呟きに、ローズはまた笑った。

「だめですよ、フェルさん。わたしはお店ではありませんから、ツケは利きません」


「・・・そりゃ厳しいな」

 フェルも笑った。


 そして・・・気持ちを切り替える。


 ならば、どうにかして道を拓こう。

 虚しい希望かもしれない。

 けれど・・・!


 フェルはゆっくりと、ローズから手を離した。


「ローズ、ヴァイゼに乗って来たんだろう?ヴァイゼはどうしている?」

「王城の近くで待っていると言ってました。呼べば、すぐに行くって」

 ローズの話に、フェルはひとつ頷く。


「それは俺の槍か。持って来てくれたんだな」

「ええ」

 背に縛り付けていた槍を下ろして、ローズは鉄格子の間から、フェルに手渡した。


 武器があれば、可能性はより高くなる。

 望みが繋がるかもしれない。


「・・・よし、ここを出るぞ。ローズ、ベルトの物入れには何が入ってる?」

 言われて、ローズはベルトから下げている、物入れの蓋を開けた。

「えっと、地図と、紐と・・・」

 フェルも中を覗き込みながら、牢を開けるのに使えるか、考えを巡らせる。


「どうぞこちらを、お使い下さい」


 スイッと、目の前に差し出された物に、フェルは目を瞠った。

 鍵だ。


 え・・・?

 鍵を持つ長い指から、その人物へと視線を移して・・・フェルは度肝を抜かれる。


「お久しぶりです、フェル。あなた随分と背が伸びましたね」

 相変わらずの端正な顔立ち、優雅な微笑み、穏やかな声音。


「ダー・・・ヴィッド?」

 呼び慣れたその名が、フェルの口から漏れる。


 けれども、頭の中は真っ白で、何も考えられない。

 突然、10年前に引き戻されたような、妙な感覚に動揺する。


 当の本人は涼しい顔で、錠前に鍵を差し込み、難なく牢を開けてしまった。

 フェルは呆然自失で、身体が動かない。


「・・・どうしました?出て来ないのなら閉めてしまいますよ、フェル」

 そう言って、本当にまた閉めようとするので、


「ち、ちょっと、ちょっと待て!」

 あわててフェルが外に出る。

 飛んでいたカイムが喜んで、フェルの頭にまとわり付いた。


「ああ、カイム。分かった、分かった」

 頭の上のカイムを抱き下ろして、撫でてやる。

 その、小さなグリフォンの手触りが、フェルを落ち着かせて行く。

 そしてやっとの事、目に映るこの状況を呑み込んだのだ。


「ダーヴィッドーッッ!!お前、今までどうしてたんだよ!どうしてここに居るんだよ!」


 腹が立った。

 10年の歳月をあっさりと飛び越え、さも当たり前のように、そこに居る男に。


 声を荒げるフェルに、ダーヴィッドは悲しげな顔を向けて、

「フェル、10年ぶりの再会だというのに、私の事は抱きしめてくれないのですか?」

 と、両手を広げた。


 フェルは、抱いていたカイムをローズに渡して、ダーヴィッドへと近づく。

 そして、その胸倉を思いっきり掴み上げた。

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