第35話 宰相の企て
フェルは、石牢の床に腰を下ろした。
朝食の時間だと言っていた。
ならばすでに朝なのだ。
リンデン寺院で戦っていた時から、随分と時間が経ってしまっている。
「ヴァイゼが戻ってくるまでは、
誰へともなしにそう言って、フェルは頭をかいた。
ヴァイゼがローズを、どこに避難させたのか、フェルは知らない。
万が一、自分の口からそれが漏れないように、あえて聞かなかったのだ。
ローズ・・・。
おそらく、もう会えないだろう。
尼僧長から話を聞いた後、ローズは「ファーディナンド王が自分を嫌っている」と言っていた。
あの時、全てを語っておけば良かったのだろうか。
「俺が・・・エルーガ国王、ファーディナンドなのだと・・・」
どうしても・・・言えなかった。
ローズに聞かれるのが、怖かった。
どうして、わたしから王位を横取りしたの?
どうして、お母さんを助けてくれなかったの?
どうして、わたしを探してくれなかったの?
どうして・・・と。
フェルは、自嘲にも似た笑いを浮かべて、冷たい石の壁に背を預けた。
「間違っているよ、ローズ。ファーディナンド王がお前を嫌っているんじゃなくて、お前がファーディナンド王を嫌いになったんだよ。お前が・・・メアリーローズが享受するはずだった全てを奪った・・・この俺を」
フェルの心は激しく痛む。
その痛みが、取り返しのつかない事への後悔では無く、ローズに憎まれる事が辛いというものだと・・・フェルは小さな驚きとともに、はっきりと自覚した。
「結局、俺は・・・『神託の少年王』はただの
彼の乾いた声は、薄暗い石牢に吸い込まれるように消えていった。
地下牢の長い階段を上がり、地上に出ると、日差しの眩しさに目が眩むほどだ。
朝からこの日差しでは、夏も近いだろうと、サイモンは思った。
「・・・さて、本当に現れますかな?神託のグリフォンは」
「来るよ。フェルとヴァイゼの絆は深い。・・・僕は子供の頃から、それが
ファーディナンド王・・・いや、マリウスは晴れた朝の空を振り仰ぐ。
空には、刷毛でサッと刷いたような薄い雲があるだけで、鳥すら飛んではいない。
「間もなく陛下のものとなりますよ」
サイモンの言葉に、マリウスは首を振った。
「それはどうかな。あれでフェルの言う事しか聞いてくれないからね。ターロンの時だって、そうだったじゃないか。あの時ヴァイゼは、味方の兵をなぎ倒してフェルの所へ行ってしまった。今回だってそうなりかねない」
言われて、サイモンは当時の事を思い出して、顔を歪める。
兵を無駄に失ったのも痛かったが、グリフォンの暴走は、味方の士気を大きく下げてしまったのだ。
元来、グリフォンとは
「是が非でも、大人しくさせないとなりませんな」
これは早急に、方策を考えなくては。
サイモンはマリウスを王宮へ送り届け、足早に自分の執務室へと向かった。
朝の、まだ人気の無い執務室の扉の脇で、何者かが平身低頭で控えているのが見えた。
謹慎を申し付けていたクリントだ。
サイモンはそれを
「お、お待ち下さい、サイモン閣下」
「私の方に用事は無い。忙しいのだ、去るが良い」
クリントは泣き顔になって、サイモンの足元にすがりついた。
「お願いでございます、お見捨てにならないで下さいまし。む、娘が結婚しますもので、せめて貴族の娘としての、支度をしてやりたいんでございます」
サイモンは眉一つ動かさない。
クリントは、ノースオークのバーチ家で、フェルとグリフォンと王女を目の前にして、みすみす取り逃がした上、王女の報告が後回しになった。
この大失態の代償が謹慎程度だというのは、これまでの働きを考慮しての
面倒になったサイモンはふと、思いついた事を口にする。
「・・・ああ、そうだ。お前は昔、グリフォンの世話役をしていたのだったな。ならば魔獣の事には詳しいのだろう?」
クリントは目を輝かせた。
「はい、もちろんでございます!」
「そうか、では頼みがある。魔獣を大人しくさせる手立てが、早急に必要なのだ」
そう言って、懐の中から金貨を数枚取り出すと、クリントに握らせた。
「手付けだ。仕事の出来栄え次第で、色を付けよう」
「はい!すぐに取り掛かります!」
クリントは金貨を大事そうにしまうと、飛び跳ねるようにして廊下を走って行った。
あまり厄介をかけるような男ならば、始末する事も考えねば。
クリントを横目で見送って、サイモンは執務室へと入った。
朝の陽射しが差し込む窓際から下を見ると、幾重にも王城を囲う城壁が見える。
ちょうど、衛兵の交代が行われているところだ。
それを眺めながら、サイモンは渋い顔を浮かべる。
今朝、すでにマリウスは、
こちらからは、何も報告していないのに・・・だ。
マリウスが感づく前に、小僧から娘とグリフォンの行方を聞き出そうと思っていたが、それもできなくなってしまった。
「・・・誰かが、
メアリーローズ王女らしき娘が発見された事も、まだ内密にしてある。
マリウスが、「王位を譲る」などと言い出しかねないからだ。
たわ言ならばもみ消すだけだが、国王令など出されてしまっては、面倒になる。
そこまで考えて、フッとサイモンは笑った。
考えすぎだ。
マリウスが、私に内緒で間者を使っているなど。
「私あってこその王なのだという事は、他ならぬマリウス自身が分かっている」
後でマリウスに聞けば良いだけの話だ。
マリウスは隠し事はしない。
いや、できない。
そんな胆力は持ち合わせていないのだ、あの坊やは。
「長年、思い描いたものが、やっとこの手に入るせいか・・・少し疑心暗鬼になっているのかもしれないな」
サイモンは気持ちを落ち着かせるように、両手のひらをすり合わせてみる。
手のひらは、うっすらと汗をかいていた。
「グリフォンが来る。それが何よりも肝要だ。神託のグリフォンが王城に在る事で、マリウスは真のファーディナンド王となり、その治世は神の承認を得たものとなる」
サイモンは窓を開いた。
眩しい陽の光が、サイモンに降り注いだ。
「国の隆盛と安寧に必要なのは、物言わぬ王と有能な執政者だ。王は宝石であれば良い。その血統を磨いて赤く輝き、
今日が、始まろうとしていた。
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