第2章 魔獣狩人

第10話 新しい景色



 このエルーガ王国が位置するのは、ウェスペル大陸の北西である。


 東にヴルツェル帝国、西にアランドラ王国、南にコライユ王国と、三つの国に囲まれ、エルーガを含めたこの四つの国は、長き歴史の中で、時に争い、時に盟約し、併合と分裂を繰り返しながら、大陸の覇権を争ってきた。


 現在エルーガの南の端、ヴルツェル、コライユの三か国が接する国境をめぐって、三つ巴の紛争が続いている。

 足掛け10年にも及ぶ争いに、終結の目処めどは立たず、兵士も民も疲れ切っていた。


 しかし最近、「コライユがヴルツェルに和平交渉をもちかけている」という報せがもたらされた。

 もしこれが成立すれば、ヴルツェルはコライユ側に割いていた軍勢を、エルーガに向けて来ると予想される。

 エルーガにとって大打撃となるのは、間違い無かった。


 この窮地に、エルーガ軍は政府に対し、国王の出陣を要請する。


 ファーディナンド王は、少年王と呼ばれていた頃、国王の象徴である「神託のグリフォン」と共に自ら戦場に立ち、勝利を収めていた。


 その勇姿は10年を過ぎた今もなお、人々の記憶に鮮明に残されている。

 兵たちを鼓舞こぶするのに、これ以上のものは無い。


 だが王も、王を補佐する宰相さいしょうも、首を縦には振らなかった。


 王が戦場を軽んじていた訳では無い。

 兵士たちへの激励は存分に送られていたし、物資も惜しみなく回されている。


 だが、王とグリフォンの出陣だけは、何かと理由を付けられて実現しなかった。


 そんな軍幹部の苦悩とは別に、兵士たちの間では、ある噂が流れていた。


 ファーディナンド王が戦場に立たないのは、「神託のグリフォン」がすでに死んでいるからなのでは・・・というものだった。


 「神託のグリフォン」は、王城の中の特別な厩舎きゅうしゃに居て、常に衛兵が護っている。


 厩舎で奉仕する世話係たちは、国王直下の部門であり、門外の者に厩舎内の事を洩らすのは厳禁であった。


 世話係たちは今も、毎日必ず厩舎へと参上している。


 しかしここ数年の間、グリフォンが厩舎の外に出された事は一度も無い。


 それまでは、少なくとも新年の祝賀の時には、王と共に姿を現していたのだが、ここ何年かはそれすらも無くなってしまっていた。


「あれも歳を取ってしまって、外に出るのを好まないのだよ」

 王は、グリフォンを出さない理由をそう話していると聞く。


 だがそれにしても、厩舎の周辺はいつも静かで、啼き声ひとつ聞こえないのはどうした事なのか。

 疑問は疑惑となり、疑惑は噂を生んだ。


 そして今日も、王城の厩舎はひっそりと扉を閉じている。




 ・・・眩しい。

 うっすらと目を開けると、太陽はもうすでに高く上っていた。


 ローズはびっくりして飛び起きる。

 寝坊だ!

 ヴィヴィアンを起こして、朝の支度をしなければ朝食に間に合わない!


「キュー、キュー」

 目の前で、カイムが嬉しそうに羽ばたいていた。


 ・・・え?どうしてカイムが?

 ローズは目をこすってから、辺りをよく見渡した。


 頭の上で、緑の葉がサワサワと揺れている。

 大きな木の下だ。

 周りにもたくさんの木が立っている。


 でも、バーチ家の森では無いのはすぐに分かった。

 そこに生えている木々は、好きな方向へ太い枝を伸ばし、曲がったりねじれたりと自由だったからだ。


 どうやら野外で寝ていたらしい。

 地面に直接横になっていたわりには、寒いとか、身体が痛いとかが無い。

 どうして?

 ・・・それに、ここは?


「目覚めたか?ローズ」

 男の人の声が聞こえる。

 振り返ると、すぐ近くに、青みがかった紫の大きな瞳があった。


「ヴァ、ヴァイゼ?」

 ローズの後ろに、大きなグリフォン、ヴァイゼが伏せていたのだ。


「わたし、あなたに寄りかかって寝ていたの?」

 鷲の横顔はゆっくりと頷く。


 彼の翼を毛布にして、しなやかな獣の身体の上で寝ていたのだから、野外でも心地よく眠れる訳だ。


「ご、ごめんなさい」

「気にする事は無い。フェルはいつもそうしている」

 その名に、ローズはハッとした。

 なぜ、ここにこうしているのかを思い出したからだ。


 バーチ家を飛び出して来てしまった。

 ヴァイゼに乗って、バーチ家を、ノースオークの町を後にした。


 そのまま、しばらく夜の闇を飛んでいた・・・までは覚えている。

 フェルの身体に回した手が、ずっと握られていたのも。

 ・・・でも、いつ地上に降りたのか記憶に無い。


 ローズは空を見上げた。

 枝と枝、茂る葉のすき間からよく晴れた空が見える。


 バーチ家の森で見ていた空と、何も変わらない。

 風に葉が揺れる様も、そこから陽の光が零れ落ちる様も、特別な色合いがある訳では無く、いつもと同じであった。


 けれど・・・


「わたし・・・自由になったのね・・・」


 ここからは確実に新しい日。

 今までとは違う時間が始まるのだ。


 ローズは胸に残った古い空気を吐き出して、新しい風を吸い込んだ。


「・・・よう、起きたな」

 背の高い影がローズに落ちる。

 見上げるとフェルが立っていた。


「喉が渇いたろ、水だ」

 差し出された瓶には水滴が付いていて、中にあるのが冷たい水だと物語っている。

 受け取ったローズは、喉を鳴らして水を飲んだ。


「食い物は、この先の町まで行かないと手に入らない。もう少し待ってくれ」

 背負った長い棒を外して、フェルは向かい合わせの地面に腰を下ろした。


 食い物と聞いて、ふと思い出し、ローズは服のポケットを探る。


「これ、まだ食べていなかったわ」

 ポケットから取り出したのは、昨日、フェルからもらった飴玉の包みだった。


「これはありがたい」

 返事をしたのはヴァイゼだ。


 フェルは仕方無いというように眉尻を下げると、ひとつを自分の口に入れ、もうひとつをヴァイゼに向かって放った。

 開いた大きなくちばしが、飴玉を器用に受け取る。


「本当に食べるのね」

 ローズは目を丸くした。


 食べ物があると悟ったカイムが、ローズの肩に乗って、ねだるように頬ずりする。


 ローズは手に残った飴玉を見つめていたが、

「・・・喉に詰まるといけないから」

 と、飴玉を噛んで半分に割り、

「カイム、いい?口の中でゆっくり溶かして食べるのよ」

 そう言って、カイムの嘴にくわえさせた。


 カイムは半分の飴玉をパクリと口に入れたが、すぐに空の口を開いて、もっと欲しいと催促する。


「ああ、やっぱり飲み込んじゃった。もう無いのよ、ほら」

 ローズは両手を広げて見せる。フェルの笑い声が上がった。


「普通のグリフォンはそうだよ。・・・なあ」

 水を向けられたヴァイゼは黙っている。

 どうやらまだ、口の中に飴があるようだ。


「・・・で、ローズ。あんたをどこへ送って行けばいいんだ?」

 カリカリと飴を噛み砕きながら、フェルが言った。


 どこへ・・・?

 聞かれたローズの方が途方に暮れる。


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