第11話 大空を行く



 どこへ行けばいいのだろう。

 一緒に連れて行って欲しいと願って、ここまで・・・バーチ家の外へ連れ出してもらったのは良かったが、その先の事なんて何も考えていなかった。


「あんた、実家とか身寄りは無いのか?」

 フェルの問いに、ローズは力無く首を振った。


「ありません。わたしは孤児です。孤児院で育ちました」

 フェルはさして驚いた様子も見せず、ただ納得したように頷いた。


「その孤児院まで送って行こう。場所は分かるか?」

 ローズは再び首を振る。

 困ったような笑顔を浮べたフェルが、なだめるように言った。


「帰りづらいだろうが、そうした方がいい。場所が分からなくても、町の名前とかは覚えていないか?ノースオークまで馬車で来たのか?」

「・・・孤児院はフェーザーの町にありました」

 フェーザーという地名を聞いた途端、フェルの顔が曇った。


 淡々とローズは話を続ける。

「4年前、院長先生が兵隊に取られてしまって、孤児院は閉鎖されました。わたしはその時、バーチ家に行く事が決まったのです。11歳でした」

 小さく唸るように、ヴァイゼが喉を鳴らす。


 フェーザーは、エルーガとヴルツェルの国境の町だ。今、三か国で紛争を起こしているのが南の国境であるのに対し、そこは東の国境地帯だった。


 山地が多い東の国境の中で、このフェーザーの辺りは平地であるため、昔からヴルツェルとの衝突がしばしば起こる地域であった。


 4年前、南の国境争いに軍事力を割いていたエルーガ軍の隙をついて、ヴルツェル軍は手薄となっていた東の国境、フェーザーに侵攻した。


 町は義勇兵をつのり抵抗したが、兵力の差は大きく、たちまちフェーザーは町全体が戦場となり、住民たちは町を出て、安全な場所へ逃れて行った。

 現在フェーザーの町全てが、緩衝地帯かんしょうちたいとして非居住地となっている。


「そうだったのか・・・それはむごい事だったな・・・」

 フェルの絞り出すような声に、ローズはまた、首を振った。


「戦争が始まってすぐ、院長先生が全ての手配をしてくれたので、わたしは怖い思いをしないまま、フェーザーを離れる事ができたのです」

 ローズが言い終えると、フェルはため息ともつかないものを吐いて、立ち上がった。


「・・・よし、分かった。とりあえずは飯を食いに行こう」

「へ?」

 ぽかんと、ローズはフェルを見上げる。

 榛色はしばみいろの瞳がニヤリと笑った。


「飯を食ってから、ゆっくり考えよう。それがいい」

 あの長い棒を背負い直すと、フェルはローズへと手を差し出した。

「そうですね」

 ローズも笑ってその手を取る。


 ヴァイゼが翼を震わせてゆっくりと起き上がり、騎乗させる姿勢をとる。

 先にくらまたがったフェルの手を借りて、ローズも鞍の後ろに乗った。

 昨夜は夢中だったから気にも留めなかったが、こうして座ってみると、スカートの裾が気になって仕方無い。


「これをあんたの腰に巻くんだ」

 フェルから渡されたのは革紐だった。


 言われたとおりに腰にひと巻きさせてから、端をフェルに返す。

 それをフェルは、自分のベルトに繋ぎ止める。


「また後ろで眠られると大変だからな。落下防止用だ」

「えっ、わ、わたし眠ってしまったの?ここで?」


 驚くローズに、フェルは悪戯いたずらっぽい笑みを向ける。

「初飛行で熟睡できるとは、あんたもなかなか度胸がある」


 確かに、フェルの背中の温かさが、心地良かったのは覚えている。

 身体に回した手を握っていてくれたのは、眠るローズを落とさないようにするためだったのだ。


 その後、どうやってヴァイゼから降ろして、寝かせてくれたのかを想像すると、ローズは恥ずかしくて顔から火の出る思いだった。

 いろいろあって疲れていたにせよ、会って間もない男性に、そんな事をさせてしまったとは・・・。


「ごめん・・・なさい」

 申し訳なさに、消えそうな声しか出せない。


「気にする事ではない、ローズ。フェルもよく飛行中に居眠りをする。いつも私がどれほど気を揉んでいるのかを知る、良い機会だったのだ」

 ヴァイゼの冷静な声に、フェルはバツが悪そうに頭を掻く。


「いつもお気遣いさせて悪うございましたね、ヴァイゼ様」

「分かれば良い」

 そのやりとりがおかしくて、ローズはクスリと笑った。


 ふいにヴァイゼが顔を高く上げ、その青紫の瞳を細めた。

「風が変わった。良い頃合いだ」

 そう言って、ヴァイゼはゆっくりと歩き出す。


 いくつかの木々の葉陰を抜けると、明るく視界が開けた。

 広がっていたのは柔らかな草地だ。


 そのずっと先を馬車が横切って行くのが見える。

 王都へ続く街道だと、フェルが教えてくれた。


 バーチ家のあるノースオークの町も、その街道沿いにある。

 もうすでに、街道の右左どちらへ向かえばノースオークに着くのかさえ、ローズには分からない。


 帰るつもりなど毛頭無いが、あんな家でも、自分にとって唯一の拠り所だったのだ。

 ・・・そう、ローズは思った。


「飛ぶぞ、ローズ。鞍の縁をしっかり掴んで姿勢を低くするんだ。カイムは大丈夫か?」

「は、はい!」


 振り返ったフェルの声に、ローズは肩に乗っているカイムの様子を確認する。

 カイムは鉤爪をローズの服にしっかりと食い込ませていた。


「よし、行くぞ!」

 フェルの掛け声を合図に、ヴァイゼは翼を大きく羽ばたかせ、低く沈み込んだかと思うと、全身をバネのように弾かせて跳び上がり、そのまま空へと駆け上がった。


 ヴァイゼの躍動を直に感じて、ローズは声も無く目をつぶる。

 傾斜のきつい坂を駆け上るかのように、ヴァイゼは上へ上へと飛んで行く。


 前から、大きな風の塊がぶつかってくるようだった。

 気を緩めると背後にのけ反って、そのまま背中から落ちてしまうのではと感じる。


 自分の命を支えるものが、鞍を掴んでいる両手と、腰に巻いている革紐だけだというのは、何とも恐ろしい。


 やがてヴァイゼの姿勢が安定する。

 風はローズの三つ編みを激しくはためかせてはいるが、背後から吸い込まれるような感じは無くなっていた。

 ローズは固く閉じていた目をゆっくり開けてみる。



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