第56話 帰郷



 エルーガの王都は、小高い丘であった。

 王城を頂点として、ゆるやかに広がる裾野に、町を形成している。

 そのはずれ、緑豊かで閑静な一角に、パウル卿の館が建っていた。


 その館の大きさと敷地の広さは、ローズの想像をはるかに超えていた。

 手入れの行き届いた、美しい庭園の真ん中に、城と呼んでも過言ではないほどの、立派な館がある。

 しかもここは、王城に伺候する時の為の別邸だと言うのだから、更に驚く。


 ヴルツェルの名門貴族であるというパウル卿は、上品で物静かな老紳士だった。

 ヴルツェル風の生活をし、ヴルツェル語で会話すると聞いて、ローズはとても緊張していたのだが、パウル卿は流暢なエルーガ語で、温かく迎え入れてくれたのだ。


 館に入ってすぐに、フェルはヴァイゼの治療を始める。

 薬はほとんど吐き出せたようだが、念のためフェルは解毒剤を調合した。


 これが功を奏し、ヴァイゼは3日ほどで、いつもの食事が取れるまでに回復する。

 だが、翼に負った傷もあり、本復するにはしばらくかかるだろうという、フェルの診立てだった。


 治療が必要なのはヴァイゼだけでなく、脚に怪我を負ったフェル自身もだった。

 診察した医師によれば、機能がどうにかなるほどの深い傷では無いが、きちんとした養生が必要との事だった。



 そして半月が過ぎ・・・


 夏らしい陽気となった日の朝、マリウスとダーヴィッドが、館を訪れた。


 出迎えたパウル卿は、ダーヴィッドの姿を見るなり、人目もはばからず、涙を流して抱きしめる。

 この時ばかりはダーヴィッドも、涼しい顔でやり過ごす事はできなかったようで、恐らく用意してあっただろう、挨拶の言葉も言えないまま、年老いた父親に身を任せていた。


 揃った面々は、客間に集まった。

 フェルの傍らにヴァイゼが伏せ、ローズの膝の上にカイムが座る。

 マリウスに付いて来た近衛兵も、館の使用人も、全て部屋から出されて、文字通り「余人を交えない」場が作られた。


 まずマリウスが、パウル卿に対し、長年の無沙汰を詫びる。

 そして、ローズに優しげな笑顔を向けて、

「メアリーローズ姫ですね。先日はご挨拶できず、失礼致しました」

 と、挨拶した。


 ローズは緊張しつつ、

「い、いいえ。わ、わたしの方こそ・・・」

 どうにか返事をする。


 子供の頃は、フェルと瓜二つだったという、マリウス。

 今はその名残はあるものの、もう二人を見間違う事は無いだろう。


 身体つきも華奢で、背も高くないマリウスに、ローズは少年時代のフェルを感じていた。

 「少年王」と呼ばれていた頃のフェルは、きっとこんな風だったのだ、と思った。


「・・・それは、姉上の昔のドレスですね」

 ダーヴィッドのつぶやくような声に、ローズは振り返る。

「とてもよくお似合いですよ、姫君」

 綺麗な微笑みを浮かべて、ダーヴィッドが誉めると、パウル卿が満足そうに何度も頷いた。

 ローズは恥ずかしくて、うつむいてしまう。


 この館に来てからというもの、ローズは「お嬢様」と呼ばれて、そのように扱われているのだ。

 装いもそれに相応ふさわしく、優雅なドレスを着せられ、髪も毎日整えてもらっている。


 格好だけがやけに立派で、不釣合いに違い無いと、ローズは身の縮む思いなのだが、この姿に、亡くした娘の面影を重ねるようなパウル卿を見ると、無下に断る訳にも行かなかった。


 そしてフェルもまた、この館にふさわしい服装をしていた。

 今日は光沢のある絹のシャツに、綾織りの長衣をひっかけている。


 パウル卿やダーヴィッドが、格式の高い上着を着込んでいるのに対して、いささか気楽な装いだが、本人は当然という風で、堂々としている。

 そんな様子に、「ああ、この人は本当に王様だったのだ」と、ローズは改めて思うのだ。



「サイモン卿が、宰相を辞職なさいました」

 ダーヴィッドが静かに、話の口火を切る。


 ヴァイゼに放り投げられたサイモンだったが、重傷を負ったものの、命に別状は無いらしい。

 だが、宰相としての職を全うする事はできないとの判断で、辞職に至ったのだと言う。

 ・・・表向きは。


 フェルがため息をついた。


「殺されかけた割りに、安い代償だ・・・と、言いたいところだが、10年前の件を告発して、サイモンの首を刎ねると言うのなら、もうひとつの真実も明かさなければならない・・・」

 フェルの目がマリウスを見る。

 傍らのヴァイゼが、低く唸りを上げた。


 マリウスは、その視線を逸らさずに受けて、

「そう、僕が『ファーディナンド王』を偽っていた事も明らかにしなければ、サイモンの罪を問えない」

 と、言った。

 それから、深く長く息を吐いて、10年前の事を話し始めたのだ。


「・・・信じてもらえないだろうけれど、ターロン戦の身代わり作戦を引き受けた時には、二人を殺す計画だったとは知らなかった。僕は本当に、フェルの代わりに、反対派の攻撃を受けるつもりでいた。・・・今にすれば、浅はかだけれど、当時の僕は本気でそう信じていた。サイモン卿は、その場を与えてくれたのだと、感謝すらしていたんだ・・・」


 しかしターロンに到着しても、王城に戻っても、フェルは帰らない。

 ターロンで逃げ出した、ヴァイゼの行方も分からない。

 サイモンは、フェルとダーヴィッドが山中で命を落としたと伝えてくる。

 そして「だからこれからもずっと、あなたはファーディナンド王で居なければならない」と、言ったのだ。


 こんな事になるなんて。

 マリウスが戸惑っている間に、サイモンは動き出す。

 国王フェルに付いていた、近侍や近衛兵、侍従、女官に至るまで、別の人間に一新した。

 特に、残っていたヨークレフトの家臣たちは、問答無用で、全員領地へ帰してしまう。


 そんな中だった。

 フェルとヴァイゼが王城に帰って来たのは。


「僕は『今更、帰って来られても困る』って、思った。・・・あの時にはもう分かっていたから。全てサイモンが仕組んだという事を。それに乗った僕も、共犯だって事を。・・・でもね、君に怒鳴られて、我に返った。僕が何をしたのか、どれだけのものを裏切ってしまったのか・・・やっと気づいたんだ」


 これからどうすれば良いのか、どうしたら良いのか・・・。

 悩みぬいたマリウスは、遺体が見つかっていないダーヴィッドの生存に、一縷の望みをかける。


「ダーヴィッドにすがるしか無かった。僕は、どう償えば良いのかも分からなかったんだ。サイモンの目をくぐり抜けるのは、簡単では無かったけど、密かにダーヴィッドを探し始めた」


 そして、とうとう見つけたのだ。

 その後の話は、ダーヴィッドが引き継いだ。


「私はあの戦闘の折、谷に身を投げたふりをして、山を登り、山頂付近にある、狩人たちの集落に身を寄せていました。そこへ、王の命を受けたという兵士たちが来たのです。フェルの手の者では無いのは、すぐに分かりました。ならば『王』とは誰なのか?私は兵士たちとは別に、一人で王城へ帰還しました」


 ダーヴィッドは王宮で、マリウスに再会し、全ての事情を聞いた。

 そしてサイモンを告発するよりも、このままマリウスがファーディナンド王として生きる道を薦める。

 その代わり、サイモンの傀儡かいらいとならないよう、自分が導くと。


 以来10年。

 ダーヴィッドは、使われていない王妃の部屋に潜伏し、マリウスを支え続けたのだ。


「・・・当時の国の状況などを総合的に鑑みて、その決断をしました。そして今に至っている訳です」

 ダーヴィッドが話を締める。



 そして、誰も何も言わなかった。

 沈黙が降りるなか、ローズの膝のカイムが、退屈そうにあくびをする。

 フェルが手を伸ばして、カイムの頭を撫でた。


「フェル・・・いや、ファーディナンド陛下。あなたに玉座をお返ししなければなりません」

 満を持して、マリウスが口を開く。

 カイムを撫でたまま、フェルはマリウスに目を向けた。



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