第4章 神託の少年王

第37話 ヨークレフトの領主



 黄金色こがねいろの穂波の中を、一頭の馬が行く。

 その背には、くすんだ金髪の少年を乗せていた。


 大陸暦723年の初夏。

 13歳になったばかりの少年は、まだ幼さを残す顔立ちだが、榛色はしばみいろの瞳が理知的な光を宿している。


 一面に広がる麦畑は、今まさに収穫の時を迎えていた。

 一年で最も忙しい、麦刈りの時期である。

 エルーガ王国の北西、海から内陸へと拡がるヨークレフト領は、国内屈指の漁港と広大な穀倉地を抱え、領内は豊かであった。


 畑の中の農夫たちは、少年を見ると、作業の手を止めて笑顔を向けた。


「これはファーディナンド様、お見回りですかい?」

「馬に乗っておられるとは、お珍しい事で。領主様」


 声をかけられて、少年は馬を止める。


「精が出ますね、皆さん。僕ですよ、マリウスです」

 笑顔で言う少年に、農夫たちは目を丸くするが、すぐに声を上げて笑い出した。


「こりゃあ失礼しました、マリウス様でしたか」

「いやぁ、本当によく似てらっしゃる」


 農夫たちは口々に言って、笑い合った。


「そう言ってもらうと僕も嬉しいですよ。・・・それで皆さん、そのフェルなんですが、見かけませんでしたか?」

 マリウスの問いに、農夫たちは笑いを止めて、顔を見合わせる。


「あっちの方で、グリフォンが飛んでいるのは見たよ」

 麦を束ねていた男の子が、西の空を指差して言った。


「ありがとう!」

 礼を言ってその場を離れると、マリウスは西の方角へ馬を進める。


「ヴァイゼが飛んでいるのなら、すぐに分かるはずだけど・・・」

 空を仰いでみるが、それらしい影も無い。


「まったく、どこへ行っちゃったんだろう・・・最近はサイモン卿も、僕とフェルを見分けてしまうから、身代わりできないのになぁ・・・」


 ぶつぶつとマリウスが文句を言った時、進んでいる道のはるか先に、人が集まっているのが見えた。

 目を凝らすと、その中に大きな鳥のような姿がある。

 マリウスは馬を駆けさせた。


 集まっているのは、この辺りの農夫たちと・・・甲冑かっちゅうを着込んでいるのは、ヨークレフト領が所有する騎兵団の兵士だ。

 その一団の中に、大きなグリフォンと、くすんだ金髪をした、身なりの良い少年を見つける。


「フェル!」

 呼ばれて、少年は振り返った。


「おー、マリウス」

 同じ榛色はしばみいろの瞳をした、同じ13歳の少年。

 ヨークレフトの少年領主、ヨークレフト公ファーディナンド。

 フェルである。


 馬を降りたマリウスは、探し回った文句を言おうとして、言葉を飲み込んだ。

 フェルの足元に、縄を打たれた男が転がっていたからだ。


「・・・何かあったの?」

 マリウスは、フェルに問うた。


「こいつは盗人ぬすっとだ。麦刈りで留守になった農家を狙って、金目のものを盗みやがった」

「えっ!」

 フェルの返答に、驚いたマリウスは、周囲を見た。

 農夫たちも兵士たちも、厳しい顔で頷いている。


 マリウスは、地べたに転がされている盗人を見た。

 壮年の男で、痩せこけた身体に、農夫たちと似たり寄ったりの粗末な服を着ている。


「こいつは本営に連行。城のダーヴィッドにも連絡して。王城へも報告した方が良いな・・・あ、サイモンが城に来てるんだったな、ちょうど良いや、あいつにやらせよう。『俺がぜひ』と言ってたと、サイモンに伝えてよ」

 領主フェルの命令に従って、兵士たちは動き出し、農夫たちは畑仕事に戻って行く。


「・・・会うのは避けるのに、使う時は使うんだね」

 少しだけ皮肉を込めて、マリウスが言った。


「あいつは俺にこき使われるのが好きだという、変な趣味の持ち主だからな」

 悪びれる事なく、フェルが返答する。

 マリウスは力が抜けるような、ため息をついた。


「とにかくフェル、城へ帰るよ。これでもダーヴィッドに見つかる前に出てきたんだからね」

「さすがマリウスだ。じゃ、帰ろうか」

 調子よく言いながら、フェルはヴァイゼにまたがって、マリウスの馬の横に付いた。


「フェルは飛んで行っていいよ、その方が早い」

「俺を連れて帰れば、マリウスは説教されないで済むだろ?」

 フェルが真顔でそう言うと、ヴァイゼがマリウスの馬の並足に合わせて歩き出す。


 こういう所が憎めない・・・と、マリウスは思う。

 だからこそ、客人を放って城を出るような勝手をしても、家臣と領民に愛されるのだ、とも。


「・・・ねぇ、フェル。サイモン卿、苦手?」

 麦畑の中の道を進みながら、遠慮がちにマリウスが問う。


「うーん・・・面倒なんだよね、あいつ。事あるごと俺を『神託の御子みこ』だとか言ってさぁ。うちの家臣だったら遠くに追っ払ってやるのに、政府の領主顧問官りょうしゅこもんかんじゃあどうしようも無い」

 フェルが「はぁー」と深いため息をついた。



 領主顧問官とは、各地の領主とエルーガ政府とをつなぐ役目で、政府の意向や命令、領主たちの報告や要望を、双方に伝達する役を担っている。


 ヨークレフト領の顧問官は、元王室財務長官であったサイモン卿である。


 王室財務長官とは、王室の金庫番であり、次期大蔵大臣ともくされる人物が就任する、とも言われるほどの高官だ。

 サイモン卿は、ヘレン王妃の浪費をとがめて、その職を追われたという噂があった。


 その経緯いきさつからすると、領主顧問官という職は左遷に他ならないのだが、サイモン卿は、若きヨークレフト公の麾下きかとなるその役目を、喜んで受け入れたという。


 けれど、肝心のフェルは、サイモン卿とそりが合わないようだ。


 サイモン卿が顧問官として赴任した当初は、マリウスがフェルのふりをして、代わりに応対する事もたびたびあった。

 もちろんそれは、フェルの後見人である祖父のパウル卿や、守り役のダーヴィッドが留守の時に限られたのだが・・・。


 もっとも近頃は、サイモン卿も慣れて、すぐに見分けてしまうので、こうしてマリウスがフェルを探しに出た、という訳だ。



「俺たち本当に似ているからな。実は生き別れの双子なんじゃないかって、噂があるの知ってたか?」

 フェルが笑いながら言う。


「そんな噂、フェルの亡くなったご両親に悪いよ」

 マリウスは真剣な顔をして、大きく首を振った。



 マリウスとフェルは、先々代のヨークレフト公を祖父に持つ、従兄弟いとこ同士だ。

 フェルの父親の妹の子が、マリウスである。

 しかし、妹と言えど妾腹の子で、認知すらされて無かった存在だった。


 ヨークレフト公の嫡流であるフェルとは、従兄弟とはいえ、雲泥の差があるのだと、マリウスは承知している。

 本来ならば、こうして気安く話しができる相手では無いのに、フェルは初対面から、こんな感じで接してくれている。


 マリウスは、フェルと初めて会った時の事を、思い出していた。








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