第2話 夜明けの森
ローズの背よりも高い所に、鷲の頭があった。
その頭だけでも、丸まったカイムと同じくらいの大きさだろう。
前足の
畳まれた大きな翼から連なる獅子の身体は、馬よりも立派だ。
大きなグリフォンは、じっとこちらを見据えている。
青いような紫のような不思議な色合いの眼が、ローズの姿を捉えていた。
鉤爪の前足が、ゆっくりとこちらへ動き出す。
ハッと、ローズは身構える。
こんなに間近で、カイム以外のグリフォンを見るのは初めてだ。
グリフォンはめったに人を襲わないと言われているが、こんなに大きいのだ。
あの
だが、食われてしまうという恐怖よりも、ずっと見ていたいという思いが勝るほど、そのグリフォンは美しかった。
朝日を背負った姿は、静かな威厳に満ちあふれている。
神様とはこんな姿をしているのではないかと、ローズは思った。
その時、ローズはある事に気づく。
グリフォンの背中に、馬の
・・・まさか、人を乗せるというのだろうか?
「ヴァイゼ!こんな所に居たのか!」
突然上がった男の声に、ローズは弾かれたように振り返った。
若い男が大きなグリフォンへと歩いて来る。
歳の頃は20代半ば辺りだろうか。
長身を丈のあるマントで包んだ風体は、旅人のようだが・・・。
青年はローズとその肩のカイム気づいて、感心したような顔を向けた。
「へえ、幼体のグリフォンか。人に馴れるなんて珍しいなぁ。・・・なるほどね、これが気になったんだな、お前」
言いながら、恐れる事なく大きなグリフォンに手を伸ばし、クシャクシャと喉元をさすった。
グリフォンもそれを嫌がる様子も無く、目を細めて大人しくしている。
「その小さいのは、あんたのグリフォンかい?」
青年が問う。
ローズは答えずに後ずさった。
他に誰もいない森の中で、気安く声をかけてくる見ず知らずの男などは、魔獣よりも危ういに違いない。
前合わせのマントのすき間から、見え隠れする腰のベルトには、短剣らしきものの他、いくつかの金属製のものが付けられている。
肩先からマントの内側に抜けているのは、長い棒だ。
片耳にはいくつもの
どちらにしても、こんな早朝の森に居るのは、怪しい。
ローズの警戒を察したのか、青年は額にかかるくすんだ金髪をかき上げて、笑った。
「ああ、悪い悪い。驚かせるつもりじゃ無かったんだ」
その笑顔は、とても人懐っこい感じがする。
けれど日焼けした顔の、額から右の目尻にかけて、ざっくりと斬られたような傷跡があった。
「行くぞヴァイゼ。現場はもっと北の方だ」
青年はグリフォンに付けられた鞍に手を掛け、いとも軽がると
やはりそれは、人を乗せるための物だったのだ。
「俺はフェル。仕事でこの森に来た。邪魔して悪かったな」
名乗られて、ローズはハッと青年を見た。
青年は柔らかく笑っている。
こちらの不安を察してくれたのだろうか。
だとしたらむやみに怖がったのは失礼な事だ。
何か言わなければと口を開きかけた時、グリフォンは畳んでいた翼を大きく広げ、地面を蹴って飛び上がった。
羽ばたきが生む風に、木々の枝が音を立てて揺れる。
空への道を譲るかのように、鳥たちがほうぼうへと飛び退いた。
「・・・すごい・・・」
人を乗せたグリフォンが、森を揺らして飛んで行く。
散らされる葉を顔に受けながら、壮観とも呼べるその光景を、ローズは瞬きも忘れて見つめていた。
「お前もいつか、あんな風になれるのかしらね、カイム」
ローズの頬に擦り寄る小さなグリフォンは、撫でられてクルクルと喉を鳴らしている。
いつか自分も、このカイムの背に乗って空を飛ぶ日が来るのだろうか。
もし、本当にそんな事ができるのならば・・・。
ローズは朝日の
そして、ハッと顔を
「いけない!時間が!」
朝日が昇って一日が始まったという事は、つまりローズの仕事が始まったという事だ。
あわてて走り出すローズの肩から、カイムが飛び立って行く。
「またね、カイム!」
あわただしく声を掛けて、ローズは急いで館へ向かった。
「遅いじゃないかローズ!」
古参の使用人であるマギーの怒鳴り声に、ローズは身をすくめる。
台所ではすでに、主人たちの朝食の準備が進められていた。
「のろまのくせして、人より後に来て何ができるっていうんだい!お前がいくらバカでも時間ぐらい分かるだろう?お天道様が上ったら、仕事が始まるんだよ!」
マギーのギョロッとした大きな目が三角に吊り上がっている。
干物みたいに痩せた身体のどこから出るのか、台所に響きわたるほどの大声で叱られて、ローズはひたすら身体を小さくするしかない。
「す、すみません、マギーさん」
とにかく頭を下げて、ローズはすぐに仕事に加わった。
マギーはぶつぶつと小言を並べていたが、それ以上の説教にはならなかった。
朝は本当に忙しいのだ。
スープ、卵料理、チーズ、焼きたてのパンに果物。
料理人のジムを中心に、てきぱきと食事が調えられ、館の
その後ようやく、使用人たちの朝食となる。
豆と芋が入った
さっきまでここで作られていた、主人たちの食事とは大きな差はあるが、量だけはたっぷりと用意されている。
「ローズ!」
マギーに呼ばれて、ローズはビクリと顔を上げた。
「今日は北の森に行きな。木の切り出しが始まるんで、木こり衆に昼食を届けるんだよ」
「北の森だって?」
固い声を上げたのは料理人のジムだ。
働き盛りの男は、三杯目の粥も大盛りによそっている。
「北の森には普通の
眉をひそめるジムに、マギーが応える。
「だからさ、木こり衆は狩人を雇ったらしいんだよ。魔獣専門の狩人をね」
それを聞きながら、ローズは先ほどの青年を思い出していた。
フェルと名乗った彼も、北へ向かった。
もしかしたら・・・
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