獅子の翼
矢芝フルカ
第1章 出会い
第1話 少女とグリフォン
「グリフォンに選ばれし者、神託の王なり」
ウェスペル大陸の西、エルーガ王国に古くから伝わる言葉だ。
グリフォンとは、
大陸の山地や森林に生息しているが、あまり人に馴れず、時として人を喰らうとも言われ、恐れられていた。
だがそのグリフォンは、神の
神に選ばれし王がこの世に生を受ける時に現れ、その者が死を迎えるその時まで、共に生きるのだと言われている。
ゆえにそのグリフォンは、「神託のグリフォン」と呼ばれていた。
神託の王が治める世は、
しかし最後の神託の王が逝去して、すでに百年。
「神託のグリフォン」を知る者はこの世には無く、伝承はただ書物の中にあるだけのものと、人々がそう思い始めた頃であった。
大陸暦710年、エルーガ王国北西部、ヨークレフトの地でそれは実現したのである。
領主の嫡男が出生の折、一頭のグリフォンが舞い降り、その誕生を
男児の名はファーディナンド。
後にエルーガ国王となる者であった。
それから25年後、大陸暦735年。
エルーガ王国北東部にあるノースオークの町。
闇夜に降る雨の中を、少女は泣きそうになりながら走って行く。
少女の痩せた身体に、雨が容赦なく叩きつけた。
着古した木綿の服も粗末な靴も、たっぷりと雨を吸って、少女の足を重くさせる。
栗色の三つ編みが、背中に貼りついていた。
少女の名はローズ、15歳。
小雨が降るなか買い物に行かされたのだが、あっという間に激しくなってこの有様である。
提げていた
通い慣れた道とはいえ、通り沿いの家々から漏れる灯りだけが頼りなのは、何とも心もとない。
突然、頭上でバサバサッと何かがはためく音がした。
「きゃあっ!」
思わず悲鳴がこぼれて、ローズは建物の壁に身を寄せる。
「キュ、キュー」
鳴き声に顔を上げると、窓から漏れた灯りを受けてその姿が浮かび上がる。
鷲の頭に前足は
だが、このグリフォンは、子猫ほどの大きさで、鷲と呼ぶよりはせいぜいカラスという風体だ。
恐るべき魔獣とは程遠く、どことなく可愛らしい。
「カイム!」
主人に名を呼ばれて、小さなグリフォンは嬉しそうに羽ばたいた。
そしてローズが向かっていた方へと飛び出し、「キュー」と鳴いて振り返る。
「一緒に行ってくれるの?ありがとう」
ローズはカイムに笑顔を向けた。
カイムはローズのグリフォンで、幼い頃から共に過ごしている。
猫のように小さいとはいえ、魔獣であるカイムは、暗闇をものともせずに飛んで行く。
その様子に元気付けられて、ローズは雨の中を一生懸命に走った。
やがて町並みを外れた坂道の上に、大きな館が見えてくる。
このノースオークで一番の材木商、バーチ家の館だ。
ローズはホッと胸を撫で下ろした。
「カイム、ありがとう。誰かに見られるといけないから、ここでお行き」
ローズの言葉に「キュー」と小さく返事をして、カイムは高く飛び上がり、森の方へと消えて行く。
それを見届けると、ローズは坂道を一気に駆け上がった。
「ああ、待ってたよローズ!」
勝手口を開けたローズを出迎えたのは、リリィという娘だ。
ローズと同じ歳で、お互い似たり寄ったりの簡素な服を着ているが、リリィは巻き毛の金髪を、端切れのようなリボンできっちりと結い上げていた。
「ただいま、リリィ」
「無理言って悪かったねぇ、恩に着るよ。こっちへ来て乾かしたらいい。火を落とさないでおいたからさ」
リリィは、ローズの手を取って
「あ、待って」
ローズは胸元から服の中に手を入れて、油紙で厳重にくるまれた包みを取り出した。
「濡れたらいけないから」
両手で差し出したそれを、リリィが大事に受け取る。
ローズとリリィは、このバーチ家で住み込みの下働きをしている。
同じ11歳の時にバーチ家に入ったが、リリィの方が半年ばかり先輩なので、ローズはこのリリィに頭が上がらない所があった。
そう、今夜だって・・・。
「あら、リリィじゃなくてローズが行ってきたの?」
鼻にかけた甘ったるい声が、台所に響いた。
途端、リリィは「チッ」と小さく舌打ちをする。
大きな花柄を織り出したドレスをまとった、まん丸い顔の女の子が台所へと入って来た。
「これは、ヴィヴィアンお嬢様」
リリィは猫なで声を出して、その女の子へ笑顔を作る。
ゆっさゆっさと歩いて来るヴィヴィアンは、ローズたちと同じ15歳。
痩せこけて小枝のような二人に対して、ヴィヴィアンの身体は丸々と大木の幹のようだ。
「わたしはリリィに言いつけたはずだけど?」
ヴィヴィアンの声音には、はっきりと不機嫌の色が感じられる。
「申し訳ありません、ヴィヴィアンお嬢様。このローズがどうしてもと言うもので、仕方なくお役目を譲ったのでございます」
「えっ!」
リリィの言い分にローズは思わず声を上げた。
それに反応してヴィヴィアンが口を開きかけたものだから、リリィは急いで油紙の包みをほどいて箱を開ける。
「さあさ、お嬢様、お待ちかねのお菓子でございますよ」
ぎっしりと詰められたチョコレートを見たヴィヴィアンは、たちまち満面の笑みを浮かべた。
「リリィ、お部屋にお茶を持って来てちょうだい」
ヴィヴィアンは箱を抱えて、鼻歌まじりで台所を出て行った。
「もうご用意できておりますよ、お嬢様」
すでに茶器を揃えていたリリィが、いそいそとヴィヴィアンの後を追う。
静かになった台所に、ローズがぽつりと取り残された。
とにかく濡れた身体をどうにかしようと、まだ燃えている竈に近寄る。
掛けっぱなしの鍋の湯が、くつくつ煮える音が響いてた。
何のことは無い。
この火は雨に濡れたローズのためではなく、ヴィヴィアンのお茶のために残されていたのだ。
リリィはそういう娘なのだ。
ローズはそれを分かっていた。
それなのに断れず、リリィの代わりに雨の中を菓子屋へ走った。
夜の闇よりも雨よりも、リリィに冷たくされる事の方が、ローズには怖かったからだ。
孤児で身寄りの無いローズには、ここより他に帰れる場所など無い。
この先もずっと、ここで生きて行くしかないのだ。
おそらく、リリィも一緒に。
だから・・・。
大きなくしゃみをひとつして、ローズは薪を一本、竈へと放った。
翌日の明け方、バーチ家の館の裏手の森にローズの姿があった。
雨はすっかり上がり、ひんやりと湿った空気が、薄明るい初夏の森に立ち込めている。
その中のひときわ高い木を見上げて、ローズはピュイッと指笛を鳴らした。
すると、葉に隠された上の方の枝から、昨夜の小さなグリフォンが下りてくる。
「おはよう、カイム」
カイムは差し上げられたローズの腕に、鉤爪のある前足で止まった。
甘えるように「キューキュー」と鳴いて、猫のような尻尾をパタパタと振る。
「昨夜はありがとう。さ、お食べ」
ローズが取り出したパンの切れ端を、カイムは嬉しそうに
森をわたる風が葉を揺らすたび、昨夜の名残の雨粒が落ちてくる。
手をかざしてそれをよけながら、ローズは上を見上げた。
その枝を小鳥たちがさえずりながら飛び交っている。
茂る葉のすき間から、柔らかな朝の光が差し始め、今日が始まろうとしていた。
「ク、ククッ」
突然、カイムがくぐもった声を上げ、食べかけのパンを放り出して、ローズの肩へと上がって来た。
「えっ?カイムどうしたの?」
カイムは、ローズの首と肩の間で身を丸める。
何かに
何が・・・と、ローズもその方向を見た。
そして、息を呑む。
グリフォンが居た。
・・・とても大きくて、立派な。
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