第58話 運命を越えて
「生きているんだろう?ヘレン王妃は」
フェルの言葉に、ダーヴィッドはゆっくりと指を下ろした。
「なぜ、そう思うのです?」
「お前がこうして生きているからさ、ダーヴィッド」
その明確すぎる答えに、ダーヴィッドは観念したような笑みを浮かべる。
ヘレン王妃が収監されていたアロゲント牢獄は、火災により焼け落ちた。
その時の焼死者のなかに、ヘレン王妃も居た・・・はずだった。
「焼死者の半分は損傷が激しくて、人物の確定が困難だった。焼死者と生存者の数が、収監者の数と一致していたので、ヘレン王妃も焼死者として数えられたが、王妃と分かる死体は無かった。・・・焼死体とヘレン王妃を、すり替えたんじゃないか?」
フェルの推理に、ダーヴィッドは笑って首を振った。
「そう簡単には行きませんよ。火災の原因は、看守の火の不始末であった事は、はっきりしているのです。ヘレン様を逃がしてから、死体を用意するなんて事は、無理です」
「それじゃあ・・・」
「ですから、記録の方を書き換えました。収監者を一人減らしたのです」
「は・・・」
言い出したフェルの方が、言葉を失う。
ダーヴィッドは、静かな声で話し始めた。
「・・・あの火災現場で、私はヘレン様を見つけ、逃がしました。どこに逃げられたか、無事に逃げおおせたか、私には分かりません。私はヘレン様と共に逃げる覚悟でしたが、あの方はそれを拒まれたのです。ですから私は、自分の馬を差し上げ、その場から逃がしたのです。それが・・・別れでした」
それは、予想外の答えだったのだろう。
フェルはうつむいて沈黙する。
やがて、小さな声で、
「・・・やっぱり牢獄へ入れなければ良かった。俺のせいだ・・・」
と、呟いた。
その落ちた肩を、ダーヴィッドの手が触れる。
「いいえ、その決断へ誘導したのは私です。ヘレン様を護るために、あなたがそう決断するように仕向けました」
フェルの顔が、ゆっくりと上がった。
「・・・フェル、いつだったか王宮で、あなたを怒鳴った事を覚えていますか?あなたが、サイモン卿から『私に操られている』と言われたのを怒って、私を宰相に据えると言った時です」
すぐにフェルが頷いた。
「覚えている。あの様子をマリウスに見られていたのが、全ての発端だった」
ダーヴィッドは「ああ・・・」と、腑に落ちたように、薄いため息をついた。
「あのサイモン卿の指摘は、全くもって正しかった。私は図星を指されて、動揺したのです。・・・私は、私の恋心のために、あなたを国王に仕立てました。『神託の王』の名を利用して、あたかもそれが運命であったかのように、策を
その言葉は、庭のヴァイゼにも届いていた。
あの、ヨークレフト城を取り囲む群衆を見て、ダーヴィッドが「運命を利用する」と言ったのを、思い出す。
「民衆の要求通りにあなたを国王にして、ヘレン様の身柄を保護しようと考えました。牢獄に収監させたのは、暗殺や襲撃からヘレン様を守るためでした」
ダーヴィッドが、庭のヴァイゼへ視線を向ける。
細い月明かりだけの夜、この距離では、はっきりと姿形は見えないだろう。
あの夜の、ヨークレフト城の屋上のように。
それでもヴァイゼは、ダーヴィッドに向かって頷いて見せた。
「・・・王太后に手紙を書かせたのも、お前か?」
フェルに問われて、ダーヴィッドが「ええ」と、頷いた。
「ヘレン様を『フレデリク王の正妃にしたい』と、熱望したのは王太后様なのですよ。ですから、『その責任を問われますよ』と、脅しました。王太后を押さえた後は、割りと簡単でしたね・・・色事に持ち込むまでも無かったですよ」
ニヤリと口の端で、ダーヴィッドが笑う。
あの当時、世間でそう噂があったのを、承知していたのだろう。
「フェル・・・私は10年前、入れ替わったマリウスから、あなたが王宮へ帰って来た事を聞いた時、本当に嬉しかった。・・・だから、マリウスにこのまま国王で居るように奨めたのです」
フェルが目を瞠る。
「ただのフェルとして、生きて欲しかった。生まれた時からずっと、『神託の王』の名に縛られ、痛めつけられていた、あなただったから・・・」
ダーヴィッドが微笑んだ。
そして、
「・・・とはいえ、なかなか奔放に生きて来たようですね。いったい、いくつ開けたんです、これ」
フェルはサッと顔を赤くして、
「俺の勝手だろ」
と、その手を払いのけようとする。
だが、そのダーヴィッドの指は、フェルの手をすり抜けて、額の傷に触れた。
「よく、今まで生きていてくれましたね・・・フェル」
そう・・・言った。
フェルが、無言でうつむく。
その肩が、小刻みに震えていた。
ヴァイゼは翼を広げて、庭を飛び立つ。
ここに居たのでは、フェルは素直に泣けまい。
なるべく遠くへ行こう。
フェルの声が聞こえないほど、遠くへ。
ヴァイゼは夜の闇に溶け込むように、飛び去って行った。
翌日の昼過ぎ、王宮からダーヴィッドの迎えが到着した。
「・・・
玄関へ向かう廊下で、フェルがダーヴィッドに聞いた。
「人前で取り乱したく無いそうです。事が落ち着いたら、私もまた来ますから・・・」
後ろを振り返りながら、ダーヴィッドが言う。
行方不明だったダーヴィッドが帰城して、宰相のサイモンが辞職した。
それだけでも、政府内は大変な騒ぎだろう。
「内政の事もなのですが・・・」
ダーヴィッドがそこで言葉を切って、また後ろを振り向く。
フェルは目顔で頷いて、辺りに誰も居ない事を確かめてから、廊下の隅に寄った。
「・・・コライユとヴルツェルが和平交渉に入った、という話を知っていますか?」
小声でダーヴィッドに問われ、
「噂程度では」
と、答える。
コライユ王国とヴルツェル帝国は、このエルーガ王国と国境線を争って、長く戦争をしていた。
そのコライユが、ヴルツェルと和平を結ぼうとしているという噂があった。
もしそれが本当であれば、ヴルツェルはコライユに向けていた戦力を、エルーガに向けてくる可能性が大きく、戦況はエルーガに不利に動いてしまう。
「ヴルツェル側からコライユに働きかけているそうです。理由は、ヴルツェル皇帝の健康不安と、それに伴う皇位争いらしく・・・」
どこの君主も大変だな・・・。
フェルは自身に起きた事を思って、少々うんざりした顔をダーヴィッドに向ける。
ダーヴィッドは苦笑を返すと、話を続けた。
「ヴルツェル皇帝には、皇后との間に三人のお子が在りました。ヴルツェルは性別に関係無く、母親の身分と生まれた順番が一番上の子供に、第一継承権があります。ヘレン様の姉上が皇太子でしたが、一昨年、子供が無いまま亡くなりました。今はヘレン様の弟君が皇太子に就いています。ですが、このお方も虚弱な体質らしく・・・」
「つまり、今の皇帝が死ぬ事があれば、その虚弱皇太子が皇帝になる。そうなる前に戦争をどうにかしたい・・・って腹なんだな」
フェルが話を受ける。
ダーヴィッドが頷いた。
「それでヴルツェル皇帝は、ご自分の孫を、今の皇太子の、次に据えたいようなのです。ですが、今の皇太子にもお子様が居ません。皇帝の庶子には孫があるのですが・・・」
「おい、それは・・・」
言葉の先を遮るように、ダーヴィッドはフェルの肩に触れる。
「ヴルツェル皇帝は、嫡出の孫を探しているそうです」
嫡出の孫・・・それはヴルツェル皇帝の嫡出である、ヘレン王妃の子供。
ローズか・・・。
フェルは声に出さずに呟いた。
「あなたに、それを承知しておいて欲しかったのです。姫君は、あなたを師匠として、魔獣狩人を目指しておいでだと、おっしゃっていたので・・・」
そう言うと、ダーヴィッドはフェルから離れて、一人廊下を歩いて行く。
フェルは唇を引き結んで、廊下の隅に立ち尽くしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます